「きく宗」は「きくそう」と読む
豊橋に「きく宗」という菜飯田楽の老舗がある。読み方は「きくそう」。
名前だけ見ると一瞬止まるが、店の歴史を調べるともっと止まる。創業は文政年間。だいたい1818〜1830年ごろである。つまり2026年から見ると約200年前。
ペリー来航は1853年。明治維新は1868年。その前から豆腐を焼いて味噌を塗っている。
「昔からある店」ではない。
日本史の教科書の時代から営業している店である。
ペリーより前から菜飯田楽を出している
愛知県観光協会によると、きく宗は文政年間創業で、代々受け継いできた菜飯田楽の店だ。
菜飯は大根の葉を使ったさっぱりしたご飯。田楽は自家製豆腐を串に刺して焼き、濃い味噌だれを合わせる。
食べて最初に浮かんだ感想は、かなり雑に言えばこうだった。
「おでんの豆腐に味噌をつけた感じで、うまい」
もちろん料理としては別物である。ただ、豆腐、濃い味噌、からしという組み合わせは、東海地方で味噌おでんに慣れている人の脳をかなり強く刺激する。
見た目は素朴。味も変に飾らない。それでも豆腐の焼けた香ばしさと味噌の濃さで満足感があり、菜飯を挟むと口が軽くなる。
約200年残るだけあって、組み合わせが完成している。
ただし、今の建物が200年前からそのまま残っているわけではない
ここは重要である。
店は江戸時代創業だが、現在の建物が文政年間からそのまま立っているわけではない。
豊橋百科事典をもとにした資料では、旧店舗は1945年の豊橋空襲で全焼した。1946年に営業を再開。さらに1968年、矢作ダム建設で水没する地域にあった古い農家を買い取り、現在の場所へ移したとされている。
つまり、あの「ガチで古い」空気には理由がある。
江戸創業の店が、戦災を越え、ダムに沈むはずだった古民家を引っ越してきて、今も豆腐を焼いている。
ただの古民家風インテリアではない。
古民家本人が来ている。
田楽は注文してから焼く。だから40分はわりと仕様
注文してから料理が来るまで、約40分かかった。
豆腐に味噌を塗るだけなら、なぜ40分。と思う。
しかし「あいち発酵食めぐり」の紹介を見ると、きく宗の豆腐田楽は注文を受けてから焼き上げると明記されている。豆腐も国産大豆を使った自家製。菜飯には地元の畑の大根の葉を使うという。
つまり、完成品を出すだけではなく、実際に焼く時間がある。
しかも最近の口コミには、混雑時は提供まで1時間ほど待つ案内があったという記録もある。
40分は事故というより、かなり「この店の時間」である。
令和の客「40分!?」
約200年続く店「焼いております」
ファストフードの対極にいる。
エアコン21℃。それでも暑い
そして夏に強烈だったのが店内の温度である。
エアコンの設定表示は21℃。数字だけ見れば、むしろ冷やしすぎを心配する温度だ。ところが体感は普通に暑い。
21℃なのに暑い。
ここで「古い建物だから断熱性能が悪い」と断定するのは危ない。建物の断熱仕様や空調設備を実測したわけではないからだ。
ただ、古い木造建築で、奥行きがあり、小部屋や廊下が多い。現代の大きなワンフロア店舗とは空気の回り方が違っても不思議ではない。
とにかく現場では、
エアコン「21℃です」
身体「暑いです」
という、数字と現実の殴り合いが起きていた。
夏は料理の待ち時間も含めて、時間と服装に余裕を持って行った方がいい。
小部屋が多くて、城みたい
店内もかなり面白い。
入口から奥へ進むと、廊下、小部屋、座敷、また廊下。最近の訪問記でも「奥行きのある複雑な廊下と間取り」と書かれており、店舗情報では120席、個室ありとされている。
大箱の飲食店なのに、体育館みたいな一室ではない。部屋が分散している。
そのせいで、歩いていると妙に城っぽい。
「ここで武士に襲われても逃げ道いっぱいありそう」
もちろん、武士対策のための構造だという資料は見つからない。たぶん違う。
古い農家を移築した建物の間取りと、飲食店としての動線が合体した結果だろう。
でも体感としては完全にダンジョン。
入口 → 廊下 → 座敷 → 曲がる → また部屋 → どこから来た?
豆腐を食べに来たはずなのに、途中からマップが欲しくなる。
トイレだけ急に令和。さらにQRとマケイン
さらに面白いのが、新旧のギャップである。
建物は本気で古い。しかしトイレはきれいで新しい。古民家系の店で少し身構えるポイントが、ちゃんと現代化されている。
そして訪問時にはQR決済への対応も確認できた。
さらに店内には『負けヒロインが多すぎる!』、通称「マケイン」のフィギュアまで置かれていた。
古民家 → 豆腐田楽 → 八丁味噌 → きれいなトイレ → QR → アニメフィギュア
時代設定が安定しない。
ただしマケインは完全な乱入ではない。作品の舞台は豊橋で、原作者の雨森たきび氏も豊橋出身。豊橋ではJR東海とのコラボや街中の装飾なども行われてきた。
だから、江戸から続く郷土料理の店に令和のご当地作品がいるのは、むしろ豊橋らしい。
江戸の名物の横に、令和の名物が立っている。
QR決済は、ネットの店舗情報と現地が食い違っていた
ここだけ実用情報として注意したい。
訪問時にはQR決済対応を確認した一方、2026年時点で更新されている一部の大手グルメサイトには「QRコード決済不可」と残っている。
現地で最近変わったのか、対象サービスが限定されているのか、掲載情報の更新が遅れているのかまでは確認できなかった。
QRだけを頼りに行くなら、店頭または店舗へ最新状況を確認した方が安全。
200年の歴史より、キャッシュレス情報の方が追跡しにくい。
結論:食事というより、時代をまたぐ体験だった
菜飯田楽はうまかった。味だけで終わっても十分に満足できる。
でも、きく宗のおもしろさは料理だけではなかった。
文政年間創業。戦災後に再開。ダムに沈む地域の古民家を移築。注文後に豆腐を焼くので料理はゆっくり。エアコン21℃でも夏は暑い。奥へ行くほど小部屋が出てきて、なんとなく城。トイレは新しい。QRもある。マケインもいる。
江戸・昭和・令和が、一つの建物の中で普通に同居している。
効率だけ見れば、もっと早く食べられる店はいくらでもある。快適さだけ見れば、もっと均一に冷えた店もある。
でも、約200年続く郷土料理を、古い木造の小部屋で40分待って食べるという体験は、効率を上げたらたぶん消える。
だからここでは、急がない方がいい。
豆腐が焼けるまで待つ。廊下で少し迷う。21℃を見て「うそやろ」と思う。そして最後に、令和のトイレとQRとアニメフィギュアに送り返される。
歴史資料にご飯を食べに行ったら、ちゃんと現代にも接続されていた。
そんな店だった。
