1. まず結論:ケースに虫が入ったわけではない。作品です
最初にいちばん大事なことを言う。
展示ケースの中に虫が侵入したわけではない。
十五代沈壽官の代表作の一つに、実際に「薩摩蝶乗花瓶」という作品がある。沈壽官窯の公式サイトにも、その名前で掲載されている。[1]
問題は名前だ。
「蝶乗花瓶」だから、普通は「花瓶に蝶がとまっているんだな」と思う。
実際、蝶はいい。花と蝶は昔から相性がいい。白い薩摩焼の上に立体の蝶が乗っていても、「優雅」「生命感」「職人芸」で脳が処理できる。
ところが、虫の造形がリアルになりすぎると事情が変わる。
「……これ装飾か?」
「カメムシっぽくない?」
「え、ゴキブリがケースに入ってない?」
芸術鑑賞のはずが、突然「害虫侵入チェック」になる。
2. そもそも「薩摩蝶乗花瓶」とは
十五代沈壽官は、長く続く沈壽官窯を継ぐ陶芸家で、薩摩焼の伝統を現代までつないでいる。
その作品群の中で、「薩摩蝶乗花瓶」は名前どおり、花瓶の表面や肩に蝶などの立体的な造形を加えた作品として知られる。[1]
同名・同系統の制作例は一つだけではない。2006年には首相官邸で「薩摩蝶乗花瓶」が常設展示されたことが経歴資料に記され、2014年制作の同名作も韓国政府系サイトの展覧会資料で確認できる。[2][7]
つまりネットで見た写真と、目の前で見た作品の細部が完全に同じとは限らない。
ここが重要だ。
「ネットの写真だと蝶しか目立たないのに、現物では別の虫っぽいものもいたぞ」という違和感があっても、それだけで矛盾とは言えない。
3. なぜ蝶を乗せた?――作者は「命」を昆虫で表す
十五代沈壽官本人が、昆虫を使う理由をかなりはっきり話している。
本人は、作品で「命」「生きる」というイメージを表したいとき、昆虫をモチーフに使うと説明している。そして単純に、本人自身が昆虫好きでもある。[3]
蝶は、その考え方と非常に相性がいい。
幼虫からさなぎになり、そこから姿を大きく変えて成虫になる。変化そのものが見える生き物だから、「命」や「変化」を表すには強い。
だから、
白い器
+ 花
+ 蝶
= 生命と変化を表す上品な作品
までは、かなり分かりやすい。
問題はここからである。
4. 「蝶だけでよくない?」――作者は虫全般が好きだった
鑑賞者側からすると、こう言いたくなる。
「蝶で完成してるやん」
「なんでカメムシみたいなやつまで追加した?」
これに対する答えは、かなり身もふたもない。
作者が、蝶だけではなく昆虫全般を好きだからだ。
公式対談で十五代沈壽官は、これまでに蝶だけでなく、カブトムシ、カマキリ、クワガタ、カナブン、トノサマバッタ、スズメバチなども作ってきたと話している。[3]
つまり作者の頭の中では、
蝶=美しい特別枠
その他の虫=気持ち悪い脇役
ではない。
蝶もカブトムシもカマキリも、「昆虫という面白い生命」の仲間である。
ここで作者と一般鑑賞者の認識が割れる。
作者: 「昆虫、面白い。生命の形として全部かっこいい」
鑑賞者: 「蝶は分かる。そこから先は虫かごなんよ」
芸術作品としては、まさにこのズレが面白い。
5. なぜ「カメムシ」「ゴキブリ」に見えるのか
ここは単なる悪口で終わらせるより、研究を入れるとさらに面白い。
東京大学の研究チームは、日本全国約1万3000人を対象に虫への嫌悪感を調べた。その結果、同じ虫でも屋外にいる設定より、室内にいる設定のほうが強い嫌悪を持たれやすかった。また、虫の種類を見分ける知識が少ない人ほど、嫌う虫の範囲が広くなる傾向も確認された。[4]
展示ケースは家の室内そのものではない。
しかし「本来そこに虫がいるはずがない、管理された人工空間」という点では、脳が「異物」を拾いやすい。
しかも立体である。
平面に描かれた蝶なら、最初から「模様」として見る。
ところが、脚、胴体、触角、羽が立体で飛び出していると、一瞬「物体」として認識する。
茶色っぽい。細長い。脚がある。
その瞬間、
美術品の装飾
↓
正体不明の虫
↓
害虫かも
↓
ゴキブリ?
という誤認ルートが成立する。
実際、424人が動物画像を評価した研究では、ゴキブリ画像はクモ、ヘビ、蝶、猫よりも有意に不快と評価された。[5]
つまり「ゴキブリに見えた瞬間に、作品への評価が急降下する」のは、かなり人間らしい反応でもある。
6. リアルすぎるのは、技術的にはむしろ褒め言葉
ここが最高に皮肉なところだ。
「本物の虫に見えてキモい」という感想は、美術的には作者の技術力を褒めてしまっている。
十五代沈壽官は、蝶を焼くと羽が曲がりやすく、脚や触角のような細い部分は制作中にすぐ乾いてしまうと説明している。[3]
つまり、あの細かい立体虫は、
作れば終わり
ではない。
乾燥する。変形する。焼けばさらに形が動く。細い部分は壊れやすい。
その条件を越えて、「ケースに本物の虫がいる」と誤認されるところまで作り込んでいる。
職人: 「ここまで生命感を出した」
鑑賞者: 「生命感出しすぎ。駆除しかけた」
技術の成功が、鑑賞体験では事故になる。
7. 結局、あの虫は蛇足なのか?
これは美術の面白いところで、作者側と見る側で答えが逆になる。
作者側から見れば、蛇足ではない。
昆虫は「命」「生きる」を表す大事なモチーフであり、蝶以外の虫も制作対象にしている。虫の種類を広げるほど、昆虫という世界そのものを表せる。
一方、見る側からすると、蝶だけで意味が完成している場合がある。
花+蝶なら、
春
生命
変化
優雅さ
と読める。
そこへ甲虫っぽい立体や、害虫を連想させる形が入ると、
「生命の象徴」
から、
「虫がいる」
へ意味が急に具体化する。
そして「虫がいる」から「ケースに虫が入った」に変わった瞬間、象徴表現は消える。
だから「蝶まではいい。カメムシみたいな虫は蛇足」という感覚は、単なる虫嫌いではない。
作品の抽象的な意味と、リアルな造形の強さがぶつかっている。
言い換えれば、
作者の虫愛が、作品の美しさを越えて前に出てきた瞬間
なのである。
蝶で止めとけば「優雅」だった。
作者は止まらなかった。
虫が好きだから。
8. ちなみに「薩摩焼+立体の蝶」は十五代だけの突然変異ではない
ここも面白い。
皇居三の丸尚蔵館には、十二代沈壽官が1893年に作った「薩摩焼 色絵金彩菊貼付香炉」が所蔵されている。
この作品も、菊の花と、その周りを飛ぶ蝶を一つずつ彫刻して器に貼り付けている。[6]
つまり「器の表面に蝶を立体でくっつける」という発想自体は、十五代が急に思いついた変なアイデアではない。
沈壽官家の薩摩焼には、立体装飾を器に貼り付ける長い技術の積み重ねがある。
十五代はそこへ、自分自身の強烈な昆虫好きと、生命への関心を入れた。
伝統: 「蝶を立体で貼る」
十五代: 「なるほど。じゃあ昆虫をもっとやろう」
鑑賞者: 「増やすな」
この三段オチである。
9. まとめ:芸術が「害虫侵入アラーム」を鳴らすほど上手かった
薩摩蝶乗花瓶に虫がいる理由をまとめると、単純に「きれいだから蝶を付けた」だけではない。
十五代沈壽官にとって昆虫は、命や変化を表す大事なモチーフであり、本人自身も昆虫好きだった。しかも蝶だけでなく、カブトムシ、カマキリ、クワガタ、カナブン、バッタ、スズメバチまで陶芸で作っている。
だから「蝶だけでよくない?」という鑑賞者の感覚と、「昆虫全部おもしろい」という作者の感覚が真正面からぶつかる。
そして最大の事故は、技術が高すぎること。
立体の虫がリアルすぎる。
展示ケースという「虫がいるはずのない場所」にリアルな虫がいる。
脳が一瞬、本物判定する。
結果、
「すごい薩摩焼だなあ」
から一秒後に、
「え、ゴキブリ入ってない?」
になる。
美術品としては成功。
虫嫌いへの配慮としては失敗。
そして、その両方が同時に成立するから、この花瓶は妙に記憶に残る。
参考資料(7件)
- 沈壽官窯 公式サイト — https://chin-jukan.jp/
- Korea.net「薩摩焼420年 沈壽官窯展」 — https://japanese.korea.net/Events/Overseas/view?articleId=3416
- 沈壽官窯公式オンラインショップ「十五代 沈壽官 × タブゾンビ スペシャル対談」 — https://chin-jukan.shop-pro.jp/?mode=f73&tid=31
- 東京大学「なぜ現代人には虫嫌いが多いのか?」 — https://www.a.u-tokyo.ac.jp/topics/topics_20210312-1.html
- Quevedo et al., “Cockroaches are scarier than snakes and spiders” — https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC8025455/
- 皇居三の丸尚蔵館「薩摩焼 色絵金彩菊貼付香炉」 — https://collection.shozokan.nich.go.jp/object/SZK002277
- Gallery Kurimoto, Chin Jukan XV biography (2006 Prime Minister’s Office display record) — https://gallery-kurimoto.co.jp/1083/
