1. 結婚相手を審査した兄、ついに「結婚式に誰を呼ぶか」まで監査し始める
前編では、俊樹がフミ子の婚約者・太郎の職業を気にし、結婚そのものを「俺が認める/認めない」の案件として扱い、さらに引っ越し荷物まで気にしていた。そこから物語が進むと、家族監査法人・加藤俊樹事務所の監査範囲はついに結婚式の招待客へ到達する。
普通なら、
妹「この人たちも式に呼びたい」
兄「そうなんや」
で終わる。
俊樹の場合、
誰や
なぜ呼ぶ
その人たちは家族なのか
うちのお父ちゃんとの関係はどうなる
まで行く。
もう「兄として心配」ではなく、婚礼ガバナンス委員会である。
ただし、ここで重要なのはフミ子側だ。フミ子は兄を無視して突っ走るわけではない。公式に公開された場面でも、太郎と一緒に俊樹へ結婚の許しを求めに行く。兄の感情も聞く。できれば納得してほしい。[R2]
しかし、兄が納得しない=自分の人生を停止するにはならない。
ここがこの兄妹のいちばん面白い差である。
2. フミ子は「恩がある」と「決定権を渡す」を分けている
フミ子は、俊樹に育ててもらったことを軽く扱っていない。兄への愛情も恩義も強い。だからこそ話を聞きに行くし、本音もぶつける。
でも、
兄ちゃんには恩がある
↓
だから兄ちゃんの嫌いな人には会わない
↓
兄ちゃんが反対するなら結婚しない
とはならない。
むしろフミ子の動きは、
兄ちゃんの意見は聞く
兄ちゃんの気持ちも大事
でも繁田家との関係は私の関係
太郎と結婚するのも私の人生
と、かなり明確に切れている。
映画制作側も、大人編を作る際に「フミ子は大人になっても繁田家との関係をつないでいたのではないか」という前提を置いたと前田哲監督が明言している。[R4][R5]
つまりこれは偶然の小ネタではない。
フミ子は、俊樹を大切にしたまま、俊樹以外の大切な人も持てる。
ここが俊樹との決定的な違いである。
俊樹は「家族」を一個の箱として守りたい。
フミ子は「大切な関係は複数あっていい」と生きている。
兄の気分を守るために繁田家へ、
「ごめんなさい。兄が嫌がるので、式にも呼べませんし、もう会えません」
とは言わない。
これ、当たり前に見えて結構強い。
育ててもらった相手への恩が大きいほど、相手の不機嫌を「自分が解消しなきゃいけない問題」にしやすいからだ。
フミ子はそこをかなり切れている。
3. 父親アカウントが三つある。しかも実父より“もう一人のお父さん”のほうが現在会話できる
この映画、家族構造だけ抜くと相当変である。
フミ子の周囲には、父親ポジションが三つある。
① 実父
→ 本当のお父ちゃん
→ 亡くなっている
→ 俊樹へ「妹を守れ」という役割を残した
② 俊樹
→ 兄
→ しかし長年、実質的な父親・保護者を担当
③ 繁田仁
→ フミ子の実父ではない
→ だがフミ子が持つ喜代美の記憶の側では「父」
→ しかも存命なので、現在のフミ子と交流できる
戸籍上の父親は一人なのに、物語上の父親アカウントが三つ走っている。
だから俊樹が「お前のお父さんは、うちのお父ちゃんだけや」という方向に感情を爆発させるのも、理屈は分かる。
俊樹にとって「父」は一席しかない。
しかも自分は、その唯一の父から妹を託された人間である。
そこへフミ子が繁田仁を父親的な存在として扱うと、
実父の席を奪われる
+
自分の父親代わり役も揺らぐ
+
妹の家族が自分の知らない場所で増える
が同時に起きる。
そりゃ感情CPUが100%になる。
一方フミ子は、
実父は実父
俊樹は俊樹
繁田家は繁田家
と、複数の愛情を排他的にしない。
「一人を大事にしたら、もう一人を裏切る」という発想になっていない。
ここでも境界線というより、関係を複数保持できる能力の差が出ている。
4. 父の夢で「よう守った」。30年前の命令が過去形になり、父親役の皮が剥がれ始める
俊樹にとって亡父との約束は、単なる思い出ではない。
公式設定でも、俊樹は「兄貴はどんな時も妹を守る」という父との約束を胸に生きてきた人物として置かれている。[R1][R3]
前編で見た俊樹は、
妹を守る
= 俺の役目
= 俺の価値
= 俺の人生
くらいまで一体化していた。
だからフミ子の結婚は、本来なら肩の荷が下りるイベントなのに、「妹を奪われる」夢として出てくる。公式公開映像でも、駒子がそれを「行かんといてくれという願望」と見抜いている。[R3]
ところが結婚式前日付近の夢では、父から「ここまでフミ子を守ってくれた」という趣旨の承認が来る。
これを心理描写として読むと綺麗である。
昔の父:
守れ
夢の父:
守った
命令形が過去形に変わった。
これは俊樹の中で、
まだ守らなきゃ
から、
俺はもう十分やったのかもしれない
へ変わり始めた瞬間に見える。
つまり父親役を捨てるというより、父親役を完了扱いにするための承認を、俊樹自身が父の姿を借りて生成しているように見える。
兄から父親代わりになった男が、今度は「ただの兄」に戻る。
その皮が結婚式前日にようやく剥がれ始める。
遅い。
でも30年物の役職なので、退任手続きが前日になったのもまあ分からんでもない。
5. と思ったら、大人編はほぼ映画オリジナル。原作80枚から家族境界線ドラマを増築していた
ここで原作を調べると、かなり驚く。
朱川湊人の原作「花まんま」は、本人の説明では小学生の俊樹とフミ子を中心にした約80枚の短編。大人の兄妹の物語は原作の中心ではない。[R6][R7]
前田哲監督によれば、原作の最後にあるのは、フミ子が翌日、学者肌の真面目な男性と結婚するという数行程度。映画はそこを着地点にして、子ども時代と結婚式の間を大きく新作した。[R4][R5]
そして監督が脚本側へ出した主要な考えの一つが、
「フミ子は大人になっても繁田家との関係を切っていなかったのではないか」
だった。[R4][R5]
脚本を書いた北敬太は、企画プロデューサー須藤泰司の筆名。コロナ禍の時期から約3年かけてプロットと脚本を作ったと監督が説明している。[R5]
ここで以前の実況にあった、
「大人の東京人が書いたら境界線濃そう」
という雑な偏見は即死する。
須藤は北海道出身のプロデューサーとして紹介されている。[R13]
東京人冤罪。
正確には、
北海道出身の東映プロデューサー兼脚本家が、大阪兄妹へ“大人になってからの家族役割解除イベント”を大増築した
である。
6. 原作者の核は「家族の境界線教材」ではなく、子どもの不思議・生と死・失ったものが残る感覚
では、原作者が「境界線のない家族うざいから、こう自立しろ」という教材として書いたのか。
違う。
2005年のインタビューで朱川は、『花まんま』収録作について、子どもにしか分からない不思議な世界、ノスタルジー、生きることの痛みと喜び、そして長年関心を持ってきた“死”を大きなテーマとして語っている。[R7]
別のインタビューでは、朱川は幼少時に両親が離婚し、父と兄二人と東京で暮らしたこと、その結果、家庭内で大阪の話が一時タブーになり、大阪が心の中で「優しかった母のいる場所」のように理想化されていったと話している。[R8]
これは作品を考える上で興味深い背景ではある。
ただし、
作者の両親が離婚した
↓
だから俊樹の境界線問題を書いた
と結ぶ証拠はない。
そこは混ぜない。
むしろ原作者自身が語る『花まんま』の誕生は、金子みすゞの「花のたましい」にある、花びらが子どものままごとのご飯になるイメージから始まっている。[R6]
さらに、若い女性を突然失った父親について読んだ実際の記事も、物語を考えるきっかけの一つになったと朱川は後年書いている。[R10]
原作の核に近いのは、
死んだ人を消滅させず、生きている人の記憶や行為の中にどう残すか
である。
境界線の話は、映画が大人編を増築した結果、その核とものすごく相性よく接続されたテーマと見るほうが自然だ。
7. 「花まんま」は死者との電話ではない。記憶が食べ物になって生者へ届く
フミ子には、若くして亡くなったバスガイド・繁田喜代美の記憶がある。
ただし公式設定は、単純な「フミ子=喜代美の生まれ変わり」とは少し違う。
公式は、フミ子自身の存在は確固としてあり、その上で喜代美の心・記憶が移ったような状態として説明している。[R1]
だからフミ子は、
私はフミ子
でも喜代美の記憶も私の中にある
と生きられる。
そしてその記憶の決定的な証拠になるのが「花まんま」。
日本映画製作者連盟のあらすじによれば、幼いフミ子はツツジなどを食べ物に見立てた花のお弁当を繁田仁へ渡す。それは幼い喜代美が父へよく作っていた遊びの弁当だった。[R9]
つまり死者との交流は、
喜代美が生前に父へ作ったもの
↓
記憶がフミ子へ残る
↓
フミ子が同じ「花まんま」を作る
↓
仁へ届く
である。
死者からLINEが来るわけではない。
弁当箱が通知欄。
8. ところで結婚式前日に招待客を追加するな。式場スタッフが一番の被害者になる
ゼクシィでは一般的な目安として、招待状は式の約2~3カ月前に発送し、返信期限は約1カ月前。返信をもとに席次を決め、料理や引き出物を手配する。[R11]
直前の人数変更では席次、料理、引き出物、席札・印刷物などに影響する。1~2人なら会場によって対応できる場合はあるが、1週間を切ると難しい準備も増える。[R12]
したがって婚礼実務として見ると、
俊樹「繁田家も呼ぼう!」
式場「いつですか?」
俊樹「明日」
式場「明日?」
になる。
映画内で正式な招待状がいつどう送られたかは明示されないので断定はできない。
最も平和な脳内補完は、フミ子が最初から繁田家分の席・料理を仮確保していたである。
そうでなければ、俊樹は人生の呪縛を解く代わりにウェディングプランナーへ残業を付与する。
9. カラス研究家がカラスの苦情に謝り、飲み屋の人が人生相談を受ける
太郎はカラス研究家である。
だから誰かに「カラスうるさい」と言われて太郎が反射的に謝ると、
カラス
↓
研究対象
↓
太郎の管轄
↓
謝罪
という謎の責任ルートが発生する。
カラス本人は謝らない。
一方、飲みの場や駒子は俊樹の非公式相談所で、駒子は「妹を奪われる夢」を一発で「行かんといてくれという願望」と訳す。[R3]
俊樹の周りには「お前それ寂しいだけやろ」と言える人がいる。
問題は周囲ではなく、本人が父親役を手放す準備ができていなかったことだ。
10. 結論:フミ子は「感謝しながら自立」、俊樹は「ただの兄」へ戻る途中
フミ子は、俊樹、繁田家、太郎を同時に大事にし、一人の感情を落ち着かせるために別の関係を消さない。
俊樹は、
妹を守る
→ 父との約束
→ 役割が自分の人生になる
→ 妹が自立
→ 役割を失う怖さ
→ 抵抗
→ 夢の父から「もう十分やった」と承認され始める
という役割解除の途中にいる。
前編では「家族思い」の包装紙の下に境界線問題があった。
今回はさらに、境界線を越えるほど守っていた兄自身も“守る役割”に縛られていたことが見えてくる。
俊樹のゴールは妹を見捨てることではない。
管理する父親代わりから、必要なときに助けて決定権は返す「ただの兄」へ戻ることだ。
原作は家族関係の教材ではない。
それでも映画版からはかなり使える一文が残る。
「大事にする」と「管轄する」は別。
できれば招待状を印刷する前に気づいてほしい。
