社会人経験があるだけで面白くなるわけではない
「社会人経験がある作家の方が、人物や組織を面白く書ける」という意見は理解できる。
ただし、会社に何年いたかが、そのまま作品の深さになるわけではない。
長く働いていても、経験を、
上司が嫌だった。
若者は根性がない。
仕事は大変だ。
で止めれば一般論のままである。
一方、社会人経験が短くても、学校、家庭、地域、競技、介護、アルバイト、友人関係などを細かく観察し、矛盾を考え続けた人は深い話を書ける。
重要なのは、所属年数ではない。
単純な説明では現実を説明できない、と知った回数
である。
経験が与えるのはネタより「反例」である
経験が少ない時、テーマは標語になりやすい。
- 努力すれば報われる
- 本音を言えば分かり合える
- 悪人を倒せば問題はなくなる
- 仲間を信じることが大切だ
- 自分らしく生きるべきだ
これらは間違いではない。
しかし、現実は適用条件を突き付けてくる。
- 成果を出した人へ、さらに仕事が集中する
- 本音を言ったことで、修復不能になる関係もある
- 悪い人を外しても、同じ役割を別の人が引き継ぐ
- 仲間を守る行動が、本人の意思を奪うこともある
- 自分らしく生きるには、収入や所属を失う場合がある
経験が作品を深くするのは、立派な答えを増やすからではない。
既存の答えに対する反例を増やすからである。
反例が増えると、テーマは標語から問いへ変わる。
努力は大切だ
↓
努力が報われない環境で、努力を続ける意味は何か
仲間を守るべきだ
↓
仲間を守るためなら、本人の選択を奪ってよいのか
責任を果たすべきだ
↓
責任を果たすことと、他人の責任まで抱えることは何が違うのか
この「ただし」が、物語の固有性になる。
組織経験は、人を性格だけで説明できないと教える
経験の浅い物語では、嫌な上司が「性格の悪い人」で終わることがある。
現実の組織では、行動に複数の要因が絡む。
- 上から結果だけを求められている
- 判断責任を負いたくない
- 情報を持っていない
- 過去に失敗して防御的になっている
- 従順さを能力と誤認している
- 周囲も標的にならないため沈黙している
- 制度が責任転嫁を合理的にしている
- 本人は組織を守っているつもりである
この理解は、悪い行動を正当化するものではない。
人を立体的にするために、
なぜ本人にとってその行動が合理的に見えるのか
を考えるということだ。
人物が悪いから問題が起きるだけなら、その人物を倒せば終わる。
制度、評価、権限、保身、善意が絡むなら、主人公の正論だけでは解決しない。
そこでドラマが生まれる。
経験は素材であり、抽象化と文章技術がなければ作品にはならない
経験から作品までには、変換工程がある。
経験する
↓
違和感を持つ
↓
何が起きたかを分解する
↓
自分以外の立場から見る
↓
個人の性格と構造を分ける
↓
一般化しすぎず、具体的な人物と場面へ戻す
↓
読者が追える因果と選択に組み直す
プロの文章力も、人生経験だけでなく、計画、文章化、推敲、領域知識、長期的な練習によって形成される。Kelloggの専門的文章作成に関する整理は、長文執筆が思考、言語、記憶を同時に扱う課題であり、熟達者が計画、文章生成、レビューを管理すると説明している。Kellogg, “Professional Writing Expertise”
したがって、
経験が多い=面白い作家
ではない。
より正確には、
経験によって得た反例を捨てず、複数の立場へ分解し、人物の選択として再構成できる人は、一般論では終わらない作品を作りやすい。
である。
子どもや社会人経験のない人でも、深い作品は作れる
社会人経験がないことは、社会を知らないことと同義ではない。
人間関係の複雑さは、家庭や学校にもある。
- 愛情と支配
- 集団への同調
- 評価される側の不安
- 友人関係の権力差
- 大人の矛盾
- 才能と努力の不公平
- 家族内の役割固定
これらを鋭く観察できれば、十分に作品の核になる。
さらに、読書、映画、取材、対話、異文化への接触は、自分一人の経験範囲を広げる。
多文化経験と創造性の関係については、単に海外へ行くことではなく、異なる文化へ深く関わり、複数の枠組みを統合することが重要だとする研究群がある。Maddux et al., 2009
つまり必要なのは、会社員という肩書ではない。
自分の常識が通じない他者や状況に触れ、認知の枠を組み替えた経験である。
教訓が開始5分で見えると、物語ではなく証明問題になる
子ども向け作品などで、開始直後に次の流れが見えることがある。
主人公は自分勝手
↓
仲間を傷つける
↓
一人では何もできないと知る
↓
仲間の大切さを学ぶ
この構成自体が悪いわけではない。
問題は、人物の行動より先に、作者の採点基準が見えることである。
読者は、
この作品は友情を正解にする。
自分勝手な行動は罰を受ける。
最後に主人公が教訓を言う。
と理解する。
以降の出来事は、結論へ運ぶための教材に見える。
何が起きるかではなく、予定どおり反省するかを確認するだけになる。
ここで冷めるのは、テーマを読み取れたからではない。
人物が自由に選んでいるのではなく、作者が正解へ運んでいると見えたからである。
説得意図が見えると、読者は物語の外へ出る
物語への没入は、研究ではtransportationと呼ばれる。
GreenとBrockは、物語へ強く没入した読者ほど、物語と整合する信念や登場人物への好意が強まり、物語内の不自然さを見つけにくくなることを示した。Green & Brock, 2000
また、娯楽番組を使った研究では、ドラマ形式が説得意図の知覚を下げ、登場人物との関わりを通じて心理的反発や反論を減らす可能性が示されている。Moyer-Gusé et al., 2010
これを創作へ単純に当てはめるべきではないが、重要な示唆がある。
読者が人物と状況を追っている間は、作品の問いを内側から体験できる。
しかし、
作者は私をこの結論へ説得しようとしている。
と感じた瞬間、人物から距離を取り、論の穴を探し始める。
説教臭さは、言葉が難しいことではない。
作者の操作が人物の人生より前に見えることである。
テーマを隠すのではなく、反対側にも本気の理屈を与える
教訓臭を消すために、テーマを曖昧にするだけでは足りない。
必要なのは、作者の暫定回答を本当に危険へさらすことである。
たとえば「仲間を信じることは大切だ」という考えを扱うなら、反対側を単なる裏切り者にしない。
- 過去に信じて壊された人物
- 信頼より検証を重視して全体を救った人物
- 仲間を信じるふりをして依存している人物
- 仲間を守るために、本人の意思を奪う人物
- 誰も信じないことで生き延びた人物
を置く。
すると問いは、
仲間を信じるべきか。
から、
何を根拠に、どこまで信じ、裏切られた時に何を引き受けるのか。
へ深くなる。
読者は作者の正解を当てるのではなく、自分ならどうするか考えられる。
強いテーマは、冒頭で発表される教訓ではなく、最後に残る判断基準である
テーマが早く分かる作品でも面白いものはある。
悲劇の結末を知っていても、なぜそこへ行くのかが面白い作品もある。
したがって、予測可能性そのものが敵ではない。
冷めやすいのは、
- 答えが分かる
- 答えへ至る経路も分かる
- 反対意見にまともな理屈がない
- 主人公が作者の都合で反省する
- 最後に結論を読み上げる
という状態が重なった時である。
強い作品では、最初から中心的な問いが見えていても、
この人物が本当にその答えを選べるのか。
その答えのために何を失うのか。
選んだ後、本当に正しかったと言えるのか。
が残る。
テーマは入口に掲げる標語ではない。
物語を全部通過した後、読者の中へ残る判断基準である。
