親戚・先祖・出身地まで調べたら「顔だけ時空を越えた」が一番近かった
五代友厚の肖像を見ていると、ある瞬間から狩野英孝にしか見えなくなる。
やや縦長の顔、強い眉、細めに見える目、通った鼻筋。髪を横へ流した写真まで重なると、脳内で勝手に「幕末に転生した狩野英孝」が完成する。
では本当に先祖なのか。親戚なのか。出身地に接点はあるのか。
結論から言うと、似て見えるのは分かる。しかし、今回確認した公開資料では、五代友厚と狩野英孝を親戚・先祖子孫として結ぶ記録は確認できなかった。 出身地も、五代は鹿児島、狩野は宮城県栗原市でかなり離れている。[1][2][4][5]
現時点で一番根拠があるのは、壮大な家系ロマンではなく「他人の空似」である。
0. 30秒版――顔はつながる、家系はつながらない
先に全部まとめる。
- 五代友厚は1836年、薩摩国鹿児島郡城ヶ谷生まれ。[2]
- 現在の鹿児島市長田町には「五代友厚誕生地」が整備されている。[3]
- 狩野英孝は宮城県出身で、宮城県の公的資料では栗原市の旧栗駒町出身。[5]
- 狩野は実家の櫻田山神社で第39代神主と紹介されている。[6]
- 今回確認した公的プロフィールや地域資料には、五代家と狩野家を結ぶ血縁の記載がない。
- ただし「公開資料で確認できない」と「絶対に血縁がない」は同じではない。
なので現状は、
顔面:かなり親戚会議が成立する。
家系:会議資料がない。
1. どこが似て見えるのか
「似ている」は主観だが、五代の有名な肖像と狩野の写真を比べると、共通して見えやすい要素はある。
- 顔がやや縦長
- 眉がしっかりしている
- 目元が細めで横方向の印象が強い
- 鼻筋が目立つ
- 髪を横や後ろへ流したときの輪郭が近い
さらに五代の古写真は白黒で、表情も硬い。色、肌、服装、時代の情報が減ると、見る側は輪郭や眉・目・鼻の配置へ注意を向けやすくなる。
そこで現代の顔記憶が引っ掛かる。
「あれ、この顔どっかで……」
そして狩野英孝が召喚される。
ただし、これは見た目の話であって、家系の証拠ではない。顔面だけでは戸籍謄本の代わりにならない。
2. 五代友厚はどこの人?――薩摩ど真ん中
大阪の経済人として有名なので、大阪生まれだと思うと外れる。
大阪商工会議所の年譜によれば、五代友厚は1836年2月12日、薩摩国鹿児島郡城ヶ谷で、薩摩藩の儒臣・五代直左衛門秀喬の次男として生まれた。[2]
現在の鹿児島市も、長田町に五代友厚誕生地を整備している。[3]
その後、長崎で航海・砲術・測量などを学び、欧州へ渡り、明治政府に出仕し、のちに大阪へ移って大阪商法会議所の初代会頭などを務めた。[1][2]
つまり、
生まれ:鹿児島
背景:薩摩
大活躍:大阪
である。
大阪の人というより、「薩摩から来て大阪経済に巨大な足跡を残した人」に近い。
3. 狩野英孝はどこの人?――宮城県栗原市
一方の狩野英孝は東北である。
所属事務所の公式プロフィールは出身地を宮城県とし、宮城県の「みやぎ絆大使」一覧では栗原市、旧栗駒町出身とされる。[4][5]
宮城県のインタビューでは、狩野が栗原を故郷として語り、実家の櫻田山神社で神主を務めている。プロフィール欄では「櫻田山神社 第39代神主」と紹介されている。[6]
鹿児島の薩摩藩士の家と、宮城県栗駒の神社の家。
公開されている出自だけを見ると、最初から別ルートである。
南九州と東北なのに、顔だけ先に親戚会議を始めている。
4. 先祖・親戚としてつながっているのか
ここが本題。
今回確認した大阪商工会議所、鹿児島市、宮城県、栗原市、所属事務所などの公開資料では、五代友厚と狩野英孝の血縁関係を示す記述は見つからなかった。[1]-[7]
五代側では父まで公的年譜に明記され、狩野側では栗原の実家神社と神主としての継承が確認できる。しかし、その間を結ぶ人物の列は確認できない。
だから安全な答えは、
「親戚ではないことが証明された」ではなく、「親戚だと確認できる公開証拠がない」
である。
歴史上の家系は、養子、婚姻、改姓などが入る。名字が「五代」と「狩野」で違うから100%無関係、とも言い切れない。
しかし逆に、顔が似ているから親戚、はもっと言えない。
5. 「1500年続く神社」=「1500年続く狩野の血統」ではない
ここは特に混同しやすい。
栗原市公式観光サイトは、櫻田山神社の正式名称を山神社とし、飛鳥時代、約1500年前に創建されたと紹介している。[7]
一方、宮城県は狩野英孝を第39代神主と紹介している。[6]
しかし、この2つをくっつけて、
「狩野家の同じ血統が1500年間ずっと続いている」
と変換してはいけない。
神社の創建年は神社という場所・組織の歴史であり、「第39代」は神職の継承を表す。歴史的な継承には養子や婚姻などさまざまな形があり得るため、この情報だけで遺伝的な系譜を1500年さかのぼることはできない。
神社史とDNA史は別物である。
6. 赤の他人なのに似ることはあるのか
ある。
2022年に学術誌「Cell Reports」に掲載された研究では、血縁関係のない「そっくりな人」32組を集め、顔認識の仕組みなどで特に似ている組を詳しく調べた。[8]
研究では、よく似た一部のペアで、顔の形に関係する遺伝子の違いに共通点が多いことが示された。
面白いのはここである。
血縁がなくても、顔を作る要素の組み合わせが似れば、結果としてかなり似た顔になることがある。
ただし、この研究は五代と狩野のDNAを調べたものではない。顔が似ているから遺伝子も同じ、だから親戚、とは言えない。
科学まで呼んできても、結論は「他人の空似は普通にあり得る」で止まる。
7. 写真の条件も「似てる」を増幅する
人は顔だけを見ているわけではない。
髪型、角度、表情、光、白黒かカラーか、年齢、服装までまとめて「この人の顔」として見る。
五代の肖像は、現代の自然なスナップ写真ではない。姿勢を整えた歴史的な肖像写真である。
そこへ、
- 横へ流した髪
- 正面寄りの顔
- 強い眉
- すっとした鼻
- 無表情寄り
が重なる。
狩野英孝の特定の宣材写真と脳内で合成すると、一気に「いるわ」となる。
これは血縁判定ではなく、人間のパターン認識が気持ちよくハマった瞬間である。
8. 結論――幕末に転生した狩野英孝、はネタとして強い
まとめると、
- 五代友厚は鹿児島生まれの薩摩藩士の家
- 狩野英孝は宮城県栗原市出身の神社の家
- 公開資料で両家の血縁は確認できない
- 神社が約1500年前創建でも、狩野家のDNAが1500年連続という意味ではない
- 血縁のない人同士でも、かなり似た顔になることは研究上あり得る
なので、現時点で一番正確なのは、
五代友厚、狩野英孝に似てる。
先祖? 親戚?
→ 公開資料ではつながらない。
→ 顔だけ時空を越えてきた。
である。
「幕末に転生した狩野英孝」は歴史的事実ではない。
だが五代の肖像を一度そう見てしまうと、もう戻れない。
大阪、薩摩、僕、五代。
参考資料(8件)
- 大阪商工会議所「五代友厚とは」 https://www.osaka.cci.or.jp/godai/what/
- 大阪商工会議所「五代友厚 年譜」 https://www.osaka.cci.or.jp/godai/record/
- 鹿児島市「五代友厚誕生地」 https://www.city.kagoshima.lg.jp/kensetu/douro/gairoseibi/godai.html
- マセキ芸能社「狩野英孝」 https://www.maseki.co.jp/talent/kanoeiko
- 宮城県「みやぎ絆大使」 https://www.pref.miyagi.jp/soshiki/kohou/taishi.html
- 宮城県「インタビュー12 狩野英孝さん」 https://www.pref.miyagi.jp/site/miryoku/surprise12.html
- 栗原市公式観光サイト「櫻田山神社」 https://visit-kurihara.travel/spots/95
- Joshi RS, et al. “Look-alike humans identified by facial recognition algorithms show genetic similarities.” Cell Reports. 2022. https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/36001980/
