スーパーでシャインマスカットの売り場を通る。大きく「199円」と見える。
「安っ!」
近づく。
「100gあたり」。
はい解散。
仮に一房500gなら995円、600gなら1,194円だ。総額を見て高ければ買わない。それなら実害ゼロでは?――いや、そうでもない。こっちは一度「安っ!」という期待を勝手に起動させられている。買わされなくても、「199円!→100gかよ→結局1,000円超えるやん」の小さな肩透かしは残る。
この100g表示、本来は何のためにあるのか。高い商品を安く見せるために生まれたのか。それとも、まともな制度がマーケティングに利用されているのか。
結論から言うと、かなり後者に近い。
1. 100g表示そのものは、もともと消費者の味方だった
単位価格表示とは、商品の値段を「100gあたり」「1kgあたり」「100mlあたり」のように、共通の量へ直して見せる仕組みだ。
目的は単純である。
300gで900円の商品と、450gで1,200円の商品が並んでいたら、パック価格だけではどちらが割安か一瞬で分かりにくい。そこで共通の物差しに直す。[1][3]
つまり100g価格は、本来「比較しやすくするための補助情報」だ。
敵ではない。むしろ味方として実装された。
問題は、その補助情報がある日突然、主役の顔をし始めることである。
2. 起源をたどると「安く見せる発明」ではなく、比較を助ける消費者保護だった
単位価格の世界最初を一本に断定するのは難しい。しかし、現代のスーパーで使われる制度として確認しやすい流れは、1960年代後半から1970年代にかけて強くなる。
米国のNISTは、現在の小売単位価格が1970年代初頭の「表示をもっと分かりやすくしろ」という消費者運動の時代に広がったと説明している。1966年の包装・表示制度、1970年代初頭のスーパーのレジスキャナー普及、商品のサイズ違いを比較したい需要などが背景にあった。[1]
日本でも東京都は1975年に条例を整備し、1976年3月に単位価格表示の対象を指定、同年7月から制度を実施した。最初は60品目だった。[2]
ここだけ見ると、100g表示の祖先は「客を引っかけるテクニック」ではない。
むしろ「サイズが違う商品を暗算させるな」という方向から生まれている。
3. 肉の100g表示には、特に長い制度史がある
肉売り場で「国産豚100g 198円」のような表示が当たり前なのは偶然ではない。
日本の食肉表示の公正競争規約は、1970年以降、都道府県単位で順次整備され、1995年に全国一本化された。[4]
1989年度の公正取引委員会資料でも、当時の都道府県の食肉表示規約について「量目と販売価格は原則として100グラム単位で表示」と整理されている。[5]
現在の規約でも、100g単価は食肉表示の基本的な物差しとして残っている。[6]
だから肉について「なんで100gなの?」への答えはかなり明快だ。
個々のパックの重量が違うから、比較できる共通単位が必要だった。
ここまでは完全に合理的である。
4. でもシャインマスカットで同じことをされると、急に罠っぽく見える
肉は長年100g表示を見てきたので、多くの人が「198円=パック全部198円ではない」と学習している。
ところが果物は、「一房」「一袋」「一玉」で値段を見る場面も多い。
そこで巨大な「199円」が先に見えて、小さく「100gあたり」と付いていると、脳内では一瞬、
「一房199円?」
という別の価格体系が起動しやすい。
しかもシャインマスカット一房の重量を見ただけで即答できる人は多くない。
「一房199円なわけない、常識で分かるだろ」という反論もある。しかし、売り場の専門家にとっての常識と、買い手の常識は同じではない。
客に「今日の相場」と「この房の推定重量」を暗記させてから値札を読ませる必要はない。
研究でも、青果物で「1個あたり」と「重量あたり」のどちらを通常の価格表示と感じるかが評価に影響し、重量情報を追加すると比較のしやすさや確信が高まることが報告されている。[8]
5. そして研究上、本当に「100gのほうが安く感じる」ことがある
ここが一番面白い。
2019年の実験研究は、実質的に同じ価格でも、
100gあたり199円
と
1kgあたり1,990円
のように単位を変えるだけで、価格の感じ方が変わることを示した。[7]
4つの実験で、1kgのような大きな単位で表示された価格は、100gのような小さな単位より「高い」と知覚されやすく、その結果、購入意向も低くなった。
逆に言えば、小さい単位は同じ実質価格でも安く感じさせやすい。
研究上は、このような現象を「測定単位効果」と整理している。
さらに重要なのは、100g単価だけでなく実際の販売価格も一緒に見せると、この効果が弱くなったことだ。[7]
つまり、
「100g 199円」
だけを前面に出すのと、
「この房 1,194円・600g・100gあたり199円」
と出すのは、同じ情報量ではない。
後者のほうが人間の頭に優しい。
6. じゃあ100g表示はマーケティングなのか
答えは二段階になる。
100g表示の制度そのものは、比較のために生まれた。
しかし、どの単位を使うか、どの数字を大きく見せるか、総額をどの位置に置くかは、価格の見え方を変えうる。
2019年の研究自身も、測定単位の選択を小売業者にとっての「価格提示の戦略的な選択肢」として扱っている。[7]
だから、
「100g表示は全部、客を騙すためだ」
は言い過ぎ。
一方で、
「100gの小さい数字を一番目立たせれば安く見える効果なんて存在しない」
も違う。
実際にその効果は実験で確認されている。
ただし、特定の店がその心理効果を狙ってわざとPOPを作ったのかまでは、値札だけから断定できない。システム上の標準表示、業界慣行、比較用表示、売場設計の都合など別の理由もあり得る。
意図は分からない。
効果は分かる。
ここを分けるのが一番正確だ。
7. 「総額が高ければ買わないから問題ない」では終わらない
確かに、レジ前や商品ラベルで総額を確認して高いからやめたと戻せるなら、財布の損失はない。
でも買い物体験としては別のコストが残る。
まず199円が目に入る。
「安っ」と反応する。
商品を見る。
100g表示に気づく。
重さを見る。
頭の中で掛け算する。
「あ、1,000円超えるわ」。
戻す。
199円が客を呼び、1,194円が現実を連れてくる。
売上にはつながらなかったとしても、注意と期待は一度取られている。
だから「結局買わないんだからいいじゃん」ではない。
嫌なのは金を失うことだけではなく、毎回「安っ!→違うんかい」を踏まされることなのである。
8. 「一房199円なわけない」は、店側には分かっても客側には義務ではない
売り場の担当者なら、その日の相場も、一房のおおよその重量も、199円では普通あり得ないことも分かるかもしれない。
しかし客は青果部門の実技試験を受けに来ていない。
肉の100g文化に慣れている人でも、ブドウ一房が何gなのか、果物ごとの重量レンジまで知っているとは限らない。
価格表示の役割は「知っている人なら誤解しない」ことではなく、普通の買い手が余計な推測をしなくても取引条件を理解できることだ。
単位価格表示そのものが本来そのために作られたことを考えると、「単位価格のせいで総額をもう一度推測させる」状態はちょっと皮肉である。
9. 100g表記なら法的にアウト、という話でもない
100gあたりの価格を正確に表示すること自体は、不当表示ではない。
むしろ肉のように制度上100g単価が重要な商品もある。[6]
一方、日本の景品表示法では、価格などの取引条件について、実際より著しく有利だと一般消費者に誤認させ、不当に誘引する表示を有利誤認として規制している。[9][10]
したがって「100g」と書いてあればどんな見せ方でも絶対に問題ない、とも言い切れない。
ただし、特定のPOPが違法かどうかは、文字の大きさ、配置、総額表示の有無、商品形態、周辺表示などを含めて判断される話であり、「100gの文字が小さい=即違法」のような単純な式にはならない。
ここは「紛らわしくてうざい」と「法的に違反」は分けて考えたほうがいい。
前者は普通に成立する。
10. 一番分かりやすい値札は「総額を主役、100g単価を比較用」にすること
100g表示をなくす必要はない。
むしろ比較には便利だから残したほうがいい。
問題は優先順位である。
例えば一房600gなら、
この房 1,194円
600g
100gあたり199円
と見せればいい。
これなら「今いくら払うか」と「他の商品より割安か」を同時に確認できる。
量り売りで最終重量がまだ決まらないなら、「100g 199円」に加えて「500gなら約995円」のような計算例があれば、買い手は一房重量当てゲームをしなくて済む。
似た商品では同じ単位を使う。総額が決まっている商品なら総額を目立たせる。単価は比較用として残す。
単位価格制度の本来の目的にも、そのほうが素直だ。[1][3]
結論はかなりシンプルである。
100g単価を消すな。総額のフリをするな。
100g表示は比較の道具だ。
それが「本体価格のコスプレ」を始めた瞬間、
「199円、安っ!」
という期待だけ先に持っていかれる。
そして総額を見て買わなくても、最後に残る感想はやっぱりこれだ。
「いや、最初から1,194円って見せてくれや。」
