「ちょっとゲームでもやるか」
そう思っていたはずなのに、気づけばAIに「画像の人物がマウスを目で追う演出って作れる?」と聞いている。ゲームを起動するつもりが、ゲームの仕掛けを考え始めた。遊ぶ側から作る側への転職が早すぎる。
以前は完成品を手に入れるのが楽しかった。でも最近は、作っている途中のほうがずっと面白い。思いつく。調べる。試す。画面に出る。「おっ、できた」。すると「じゃあ、こっちは?」と次が生えてくる。誰も新クエストを配っていないのに、勝手に無限追加される。
ホラーが苦手なのに、ホラーを作ってみたい
例えば、怖い作品を観るのは苦手でも「一度ホラーを作ってみたい」と思うことがある。そこでいきなり幽霊の顔を描くのではなく、「そもそも人間は何を怖がるんだ?」から調べ始める。
見ていた絵の人物が、いつの間にかこちらを見ている。自分が触れた場所を目が追う。画面の奥の顔が、問題を進めるたびに少しずつ近づく。最初に見た普通の写真が、後半でもう一度出てきたら別物になっている。
ただ怖い顔を出すより、「見ているつもりが見られていた」「安心した場所が安心できなくなる」というひっくり返しを考える。怖いものは苦手なのに、どうすれば怖くなるか考える時間は楽しい。怖がる役より、怖がらせる仕組みを組み立てる役のほうが性に合うのかもしれない。
調べることまでゲームになる
普通のゲームには、作り手が用意したルールや目標がある。自由度の高いゲームもあるけれど、遊べる範囲にはそれぞれの設計がある。
一方、自分で何かを作るときは、目標もルールも途中で変えられる。「怖い診断サイト」を考えていたのに「こちらを見返す画像」に夢中になってもいい。「サイトを作ろう」が「怖さの理由を調べよう」に寄り道してもいい。その寄り道で得た発見が、次の仕掛けになる。
AIは、頭の中のアイデアをすぐ画面で試すための道具だ。もちろん一発で完成するとは限らない。思ったように動かなければ直すし、出来上がったものを自分で確かめる必要もある。でも、その手直しさえ「次はここを攻略するか」に変わる。
重要なのは、アイデアを言って終わりではないこと。小さくても実際に作り、動くか試し、完成まで持っていく。だから次の発想も机上の空論ではなく「これもできそう」に見えてくる。
ゲームで遊ぶときは、用意された世界で次の面白さを探す。何かを作るときは、次の面白さそのものを自分で生やせる。
クリア画面はない。エンディングも自作。しかも遊んだ時間のあとに、現実に触れる作品が一個残る。
そりゃ、なかなかゲームを起動しなくなる。
