ホラー作品を作っている人は、自分で作ったもののせいで怖くなったりするのか。そんなことを考えていた作り手が、制作を進めたあと、夜の散歩で自分も怖くなっていると気づいた。歩いていたのは街灯のある場所。それでも怖い。観客を怖がらせるつもりが、上映前から監督がビビっている。
話を聞いた相手は、さっそく凝った説明を始めた。作り手が考えていたのは、写真の人物がこちらを見る、いつの間にか写真が変わる、何かがじわじわ近づく、といった仕掛け。夜道でも背後の気配を想像しているのかもしれない。なるほど、ホラー作りが現実にまで侵食してきたのか!
ところが答えは、「いや、ただただ暗いから怖い」。以上。こちらは立派な心理分析を始めたのに、本人は「暗いから」で終了。考察班、解散。街灯のある道でも、夜の暗い部分が気になる。それだけでもう怖いのだ。
さらに本人は「具体的に考えても怖いしな」と続けた。あの陰に何かが、と想像し始めれば、ただの夜道に自分で怖い出演者を追加してしまう。怖さを抑えるため、むしろ細かく考えない。散歩中に脳内オーディションを開く必要はない。
この話で妙に面白いのは、写真の目線やじわじわ迫る恐怖を設計している本人が、「暗い」という最もシンプルな演出に負けているところ。画面の仕掛けには工夫がいる。でも現実の暗闇は、何も仕込まなくてもそこにある。特殊効果の予算はゼロ円。観客は一人。しかも観客が監督。
結論:ホラーを作った人が真っ先に怖がらせたのは、自分自身。ラスボスは自作の怪物ではなく、ただの暗闇だった。
