「普通」って何だろう?──普通も結構こだわりなんよ

「普通はこうでしょ」

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「普通」って何だろう?

「普通はこうでしょ」

この言葉は、かなり強いです。

普通は出社する。
普通は上司に合わせる。
普通は家族を優先する。
普通は結婚式をする。
普通は察する。
普通は言われなくても分かる。
普通はこのくらい我慢する。
普通はみんなと同じようにする。

こう言われると、反論しづらくなります。

なぜなら、「普通」に逆らうと、自分が変な人のように見えるからです。

でも、普通とは何でしょうか。

真理でしょうか。
正義でしょうか。
全員にとっての最適解でしょうか。

たぶん違います。

普通とは、多くの場合、その集団でいったん採用されている初期設定です。

あるいは、説明を省略するための共通認識。
あるいは、多数派の行動パターン。
あるいは、声が大きい人・立場が強い人にとって都合のよい仮ルール。

普通は便利です。

でも、普通が絶対化されると危険です。


普通は、社会を回すための省略記号である

社会には普通が必要です。

毎回ゼロから説明していたら、何も進みません。

たとえば、

  • 店では列に並ぶ
  • 電車では順番を守る
  • 約束の時間に行く
  • 会議では相手の話を聞く
  • 仕事では必要な連絡をする
  • お金を払って商品を受け取る

こうした普通があるから、社会はある程度スムーズに回ります。

普通は、社会のショートカットです。

「毎回確認しなくても、だいたいこうするよね」という初期設定です。

だから、普通そのものが全部悪いわけではありません。

問題は、その普通が説明されず、見直されず、拒否権もなく、相手に押しつけられる時です。


普通は、真理ではない

普通は、真理ではありません。

時代で変わります。
地域で変わります。
職場で変わります。
家族で変わります。
世代で変わります。
立場で変わります。
権力関係で変わります。

昔の普通が、今ではおかしいこともあります。

ある地域の普通が、別の地域では通じないこともあります。

ある家族の普通が、別の家族ではかなり異常に見えることもあります。

ある会社の普通が、転職先ではただのローカルルールだったと気づくこともあります。

つまり、普通は絶対ではありません。

普通は、その場で通用している仮ルールにすぎないことがあります。


普通も結構こだわりなんよ

ここが大事です。

少数派のこだわりは、「こだわりが強い」と言われます。

でも、多数派のこだわりは「普通」「常識」「社会人として」「家族なら」と呼ばれます。

たとえば、

  • 普通は出社する
  • 普通は残業する
  • 普通は上司の意図を汲む
  • 普通は家族を優先する
  • 普通は親の希望を聞く
  • 普通は結婚式をする
  • 普通は空気を読む
  • 普通はみんなに合わせる

これらも、見方を変えれば、集団のこだわりです。

ただ、多数派が採用しているから「普通」に見えるだけです。

つまり、普通も結構こだわりなんよ。

少数派のこだわりは見えやすい。
多数派のこだわりは見えにくい。
少数派のこだわりは「特性」と呼ばれる。
多数派のこだわりは「常識」と呼ばれる。

ここに、かなりの非対称性があります。


多数派のこだわりは、制服を着て歩いている

多数派のこだわりは、こだわりに見えません。

なぜなら、「普通」という制服を着ているからです。

普通はこう。
社会人ならこう。
家族ならこう。
みんなそうしている。
昔からそうしている。
そういうものだから。

こう言われると、それが誰かのこだわりだと気づきにくい。

でも、よく見ると、そこには価値観があります。

何を大事にするか。
何を優先するか。
何を我慢するか。
誰の都合を優先するか。
誰の負担を見えなくするか。

普通とは、価値観の集まりです。

それを「普通」という言葉で包むと、議論しにくくなります。


「普通はこう」は、後出し採点にもなる

普通は、後出し採点にも使われます。

たとえば、

普通は言われなくても分かるでしょ。
普通はそこまでやるでしょ。
普通は家族を優先するでしょ。
普通は上司の意図を汲むでしょ。
普通はその場で察するでしょ。

これはかなり危険です。

なぜなら、普通の中身が事前に定義されていないからです。

事前に説明されていない。
基準もない。
拒否権もない。
なのに、後から「普通」と言われる。

これは、普通ではなく後出し採点です。

普通は、説明を省略するための便利な言葉です。

でも、省略しすぎると、ただの責任転嫁になります。


みんなやっているから、は怖い

「みんなやっているから」

これも強い言葉です。

人は、周囲がやっていることを正しいと感じやすい。

社会が大きく動く時、危険なのはここです。

みんな行くから行く。
みんな従うから従う。
みんな黙っているから黙る。
みんな我慢しているから我慢する。
みんなそうしているから、自分もそうする。

それが本当に自分の選択なのか。
それとも、選択肢が潰されているだけなのか。

ここは分けた方がいいです。

もちろん、社会の中で合わせることが必要な場面はあります。

でも、「みんなやっている」は、根拠としては弱いことがあります。

みんながやっているから正しいとは限らない。

みんながやっているから、自分もやりたいとは限らない。

みんながやっているから、自分に合うとは限らない。


自分が普通かどうかで悩みすぎなくていい

ここまで考えると、一つ分かります。

自分が普通かどうかで、あまり悩みすぎなくていい。

なぜなら、普通は場所によって変わるからです。

今いる職場では普通ではない。
でも、別の職場では普通かもしれない。

今いる家族では普通ではない。
でも、別の家庭では普通かもしれない。

今いる集団では変わっている。
でも、別のコミュニティではむしろ自然かもしれない。

つまり、「自分は普通か?」という問いは、かなり不安定です。

普通は絶対基準ではありません。

だから本当に見るべき問いは、たぶんこっちです。

  • 自分はどう生きたいか
  • 自分の価値観に合っているか
  • 誰かに押しつけていないか
  • 誰かから押しつけられていないか
  • 自分や他人を傷つけていないか
  • 説明できるか
  • 見直せるか
  • その普通に拒否権はあるか
  • その普通に従った先に、自分がなりたい未来があるか

普通かどうかより、こっちの方が大事です。


こだわりは全部悪ではない

自分が普通ではないかもしれない。

こだわりが強いかもしれない。

そう思うと、自分の違和感を消したくなることがあります。

でも、こだわりや違和感センサーは全部悪ではありません。

それがあるから、搾取構造に気づけることがあります。

それがあるから、「偉い人が言っているから」で流されずに済むことがあります。

それがあるから、自分がなりたくない人生ルートに気づけることがあります。

それがあるから、「お母さんが言ったからこうする」「家族ならこうする」「彼氏ならこうする」といった外部ルールの自動適用に引っかかれることがあります。

違和感センサーは、自分を守ることがあります。

だから、こだわりを全部消す必要はありません。


でも、こだわりも普通も校正が必要

ただし、こだわりは暴走します。

普通も暴走します。

少数派のこだわりも、相手に押しつければ迷惑になります。

多数派の普通も、相手に押しつければ迷惑になります。

だから、どちらも校正が必要です。

自分のこだわりについては、

  • これは守るべき価値観か
  • これは単なる好みか
  • 相手に押しつけていないか
  • 白黒思考になっていないか
  • 飛躍していないか
  • 相手側の事情を見ているか

を見る。

相手の普通については、

  • 根拠はあるか
  • 説明できるか
  • 拒否権はあるか
  • 誰に都合がいいか
  • 自分に押しつけられていないか
  • その普通に従うと、自分の人生はどこに行くか

を見る。

普通もこだわりも、どちらも絶対視しない。

これが大事です。


AIを外部脳にしてフラットに見る

この整理を一人でやるのは難しいです。

なぜなら、自分の普通も、自分のこだわりも、その瞬間は正しく見えるからです。

だから、外部脳を使うといいです。

たとえば、AIにこう聞きます。

この違和感について、事実・推測・感情・リスク・別解釈に分けてください。
私の見方に白黒思考・飛躍・偏見がある場合は、やさしく指摘してください。
ただし、違和感そのものは否定しすぎないでください。
相手の「普通はこう」という押しつけがある場合は、その点も整理してください。

これで、かなりフラットに見られます。

AIは医師でも治療者でもありません。

でも、外部ワーキングメモリとしては使えます。

自分一人では見えにくいグラデーションを、いったん外に出せます。


「普通かどうか」より「グラデーションで見る」

白黒で見ると、こうなります。

普通か、異常か。
正しいか、間違いか。
こだわりか、常識か。
自分が悪いか、相手が悪いか。
従うべきか、完全拒否か。

でも、現実はもっとグラデーションです。

  • その普通は一部妥当
  • でも自分には合わない
  • 相手には理由がある
  • でも押しつけは良くない
  • 自分の違和感は妥当
  • でも言い方は調整した方がいい
  • 今は従うが、長期的には離れる
  • その場では合わせるが、人生方針にはしない
  • 普通ではないかもしれないが、害はない
  • 少数派かもしれないが、自分には大事

こういう見方が必要です。

普通かどうかで悩むより、グラデーションで見る。

その方が、自分も相手も傷つけにくいです。


普通に使われる側にならなくていい

普通は便利な道具です。

でも、普通に使われる側になると危険です。

「普通はこう」で、人生を決められる。
「普通はこう」で、お金を動かされる。
「普通はこう」で、働き方を縛られる。
「普通はこう」で、家族の希望を背負わされる。
「普通はこう」で、自分の境界線を下げさせられる。

これはかなり危険です。

普通は使うものです。

普通に使われる側にならなくていい。

普通を初期設定として使うのはよい。

でも、自分の人生の決定権まで渡す必要はありません。


まとめ:普通も結構こだわりなんよ

普通とは、真理ではありません。

普通とは、その集団で採用されている初期設定です。

普通は便利です。

でも、普通が根拠も説明も拒否権もなく押しつけられると、支配になります。

少数派のこだわりは「こだわり」と呼ばれる。

多数派のこだわりは「普通」と呼ばれる。

つまり、普通も結構こだわりなんよ。

だから、自分が普通かどうかで悩みすぎなくていい。

見るべきなのは、

  • 自分はどう生きたいか
  • 誰かに押しつけていないか
  • 誰かから押しつけられていないか
  • その普通に根拠はあるか
  • その普通は見直せるか
  • その普通に従った先に、自分がなりたい未来があるか

です。

普通かどうかより、自分の価値観と現実の会計を見る。

こだわりは消さなくていい。

普通も盲信しなくていい。

AI外部脳でフラットに見て、グラデーションで判断する。

それが、普通圧に飲まれず、自分の人生を選ぶための現実的な方法だと思います。


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めんどいちゃん

この記事を書いた人

めんどいちゃん

仕事や日常の「めんどい」を構造化して、次に動きやすくする記事を書いています。

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