オクトパストラベラーの戦闘曲を聴いていると、かなり強く思うことがある。
これ、BGMゲーじゃねーか。
もちろん、悪口ではない。
むしろ褒めている。
ただ、正確に言うなら、単なる「BGMがいいゲーム」ではない。
BGMの入り方がうますぎるゲーム。 もっと言えば、BGM遷移ゲーである。
特にボス前イベントから、バトルエクステンドを経由して、ボス戦BGMへ繋がる流れがかなりエグい。
普通のRPGなら、
会話が終わる
暗転する
戦闘開始
ボス曲が流れる
という流れになる。
それでも十分熱い。
でもオクトパストラベラーは少し違う。
キャラクターの旅の感情が高まる
そのテーマが戦闘用に拡張される
そのままボス戦BGMに繋がる
という感じになる。
曲が切り替わったというより、旅そのものが戦闘形態に変身する。
ここが強い。
「旅路の果てに立ちはだかる者」が強すぎる
代表例が、オクトパストラベラー1の「旅路の果てに立ちはだかる者」である。
タイトルからして強い。
ただのボスではない。
「敵が出てきた」ではなく、あなたの旅の最後に、避けられない存在が立っているという感じがある。
しかも、この曲は作曲者の西木康智さん本人が、各主人公の旅の終着点で待つ因縁のボスとのバトルで使われる曲だと説明している。さらに、バトルエクステンドからシームレスに繋がる曲であり、「死闘感」と「旅にかけて来た思い」を感じられる曲を目指したとも書いている。
ここで重要なのは、この曲が単なる敵の威圧BGMではないことだ。
むしろ、かなり主人公側のBGMに聞こえる。
敵が強いから盛り上がるのではない。
ここまで来た主人公の旅、因縁、積み上げた時間が、戦闘曲として爆発する。
だから、未プレイで動画だけ見ても刺さる。
ストーリーを全部知らなくても、曲のほうが先に、
ここは旅の終点です
これはただの戦闘ではありません
今までの全部を乗せる場面です
と説明してくる。
BGMが演出を先回りしている。
バトルエクステンドは「曲の切り替え」ではなく「感情の変換」
オクトパストラベラーのすごいところは、ボス戦BGMそのものだけではない。
その前にあるバトルエクステンドの存在が大きい。
ざっくり言えば、バトルエクステンドは、イベント曲やキャラクターテーマの感情を、戦闘BGMへ接続するための拡張パートのようなものだ。
普通のゲームでは、イベント曲と戦闘曲は別々に流れる。
しかしオクトパストラベラーでは、
イベント曲
バトルエクステンド
ボス戦BGM
が流れとして繋がる。
これにより、プレイヤーの感情が途切れない。
会話シーンの熱量を持ったまま、戦闘に入れる。
この効果はかなり大きい。
なぜなら、戦闘開始の瞬間に、
さあ敵を倒しましょう
ではなく、
ここまでの旅を、この戦闘で決着させましょう
になるからだ。
この違いはでかい。
曲の切り替えではない。
曲の意味が進化している。
BGMがゲーム本体より先に名作感を作ってしまう
ただ、このタイプのゲームには少し危うさもある。
BGMが強すぎると、ゲーム本体への期待値が先に上がりすぎる。
たとえば「旅路の果てに立ちはだかる者」みたいな曲を聴くと、こちらの脳内では勝手に、
世界の終端
神話級の因縁
逃れられない宿命
旅の総決算
最終決戦
みたいな映像が立ち上がる。
ところが、実際のボスを見ると、人型の権力者や地主のような存在が、戦闘画面で大きく表示されていることもある。
もちろん、そのキャラクター本人にとっては人生のラスボスなのだろう。
でも、BGMのスケールがあまりに大きいので、
「曲は神話級なのに、敵の絵面はわりと生活圏だな」
というズレが発生する。
これは昔のFFにもあった。
イベント中は普通の人間サイズなのに、戦闘に入ると急にデカくなる。
昔のドットRPGでは、これはある程度「舞台表現」として受け入れられた。
戦闘画面は現実のサイズではなく、強さや存在感を記号化する場所だったからだ。
ただ、オクトパストラベラーはHD-2Dで画面が綺麗な分、逆に「人型ボスが巨大化している感」が見えやすい。
その結果、
曲はやりたい
でもこのボスと戦うために数十時間やりたいかは別
という感覚になりやすい。
これはかなり正直な感想だと思う。
FFっぽく聞こえる理由
オクトパストラベラーの戦闘曲は、現代ゲームの音源なのに、どこかSFC時代のFFっぽく聞こえる瞬間がある。
特に「バトル2」系の曲や、ボス戦BGMの入り方には、FF4〜FF6あたりの旧スクウェアRPGの文法を感じる。
たとえば、
- 通常戦闘から一段階格上の戦闘曲へ移る感じ
- 弦や金管で一気に緊張感を作る感じ
- メロディが強く、数秒で場面を支配する感じ
- ボス戦なのに、敵だけでなく主人公側の覚悟も鳴っている感じ
このあたりが、かなり古典JRPG的である。
ただし、単なる懐古ではない。
音の厚み、楽器の使い方、曲同士の接続演出はかなり現代的だ。
だから、印象としては、
中身は令和。魂はスーファミ。
みたいな感じになる。
昔のFFをそのまま再現しているというより、旧スクウェアRPGの「戦闘曲で感情を支配する文法」を、現代の音源と演出で再構築しているように聞こえる。
シンフォギア最終盤のOP再召喚に近い快感
この「テーマ曲が最終決戦用に変換される快感」は、アニメでもよくある。
たとえば、シンフォギアのように、OPやキャラクターの歌が最終盤で流れる演出が近い。
普段は作品の顔として聞いていた曲が、物語の終盤で流れると、意味が変わる。
最初はただのOPだった曲が、最後には、
ここまでの積み上げ全部を乗せる曲
になる。
これが気持ちいい。
オクトパストラベラーのバトルエクステンドも、近いことをやっている。
キャラクターテーマやイベント曲が、そのままボス戦へ変換される。
つまり、
この曲は、ここで戦うための曲だったのか
という感覚になる。
曲が再利用されているのではない。
曲の意味が回収されている。
だから強い。
オクトラは「BGMゲー」ではなく「BGM接続ゲー」
結論として、オクトパストラベラーはかなりBGMゲーである。
ただし、単に「曲がいい」という話ではない。
本当に強いのは、曲単体よりも、曲と曲の繋ぎ方だ。
特に、
- ボス前イベント
- キャラクターの旅の感情
- バトルエクステンド
- ボス戦BGM
この流れが強い。
曲が切り替わるたびに、感情がリセットされるのではなく、むしろ加速していく。
だから、動画でボス前から戦闘曲に入る場面を見ているだけで刺さる。
ゲームをやりたいというより、
このBGM遷移を浴びたい
になる。
これはゲーム音楽としてかなり強い。
ただし、ゲーム本編に求めるものは分けたほうがいい
とはいえ、BGMが強いからといって、ゲーム本編まで必ず刺さるとは限らない。
オクトパストラベラーは、曲・雰囲気・戦闘はかなり強い。
一方で、FF6のような「仲間が集まって世界の危機に向かう一本の物語」を期待すると、少し違う可能性がある。
オクトラは、どちらかというと、
それぞれの主人公にとっての旅
それぞれの因縁
それぞれの人生のラスボス
を描くタイプのゲームである。
だから、世界全体の大決戦というより、個人史の決着に近い。
この構造を理解していないと、BGMのスケールに本編が負けて見えることがある。
要するに、
BGMは神話級。物語は個人史。
この差を楽しめるかどうかで、かなり評価が変わる。
まとめ:BGMが「この戦いの意味」を作っている
オクトパストラベラーの戦闘曲が強い理由は、単にメロディがいいからではない。
もちろん、メロディも強い。
でも本質はそこだけではない。
BGMが、戦闘の意味そのものを作っている。
敵が強いから曲が盛り上がるのではない。
曲が流れることで、
これはただのボス戦ではない
ここまでの旅の決着だ
この戦いには意味がある
とプレイヤーに感じさせる。
だから、ボス前から戦闘BGMへ繋がる瞬間が異様に気持ちいい。
オクトパストラベラーは、BGMゲーである。
でも、もっと正確に言うなら、
旅の感情を、戦闘曲へ変換するゲーム
である。
そして、その変換装置がバトルエクステンドなのだと思う。
曲がいいゲームは多い。
でも、曲の入り方でここまで殴ってくるゲームは、やっぱり強い。
BGMゲーじゃねーか。
褒め言葉である。
