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平安時代の寿命から見ると、現代の「労働がつらい」は贅沢なのか?
想定キーワード
平安時代 寿命 / 平安時代 死因 / 古代日本 平均余命 / 現代 労働 贅沢 / 自由に生きたい
平安時代の人口や寿命を調べていると、現代人は一度はこう思う。
俺、平安時代ならもう死んでるじゃん。
古代日本の人口研究では、出生時平均余命が30年前後、5歳未満死亡率が非常に高い推計がある。たとえば美濃国702年のモデルでは、出生時平均余命27.75年、5歳未満死亡率53.39%、5歳を超えた人の平均死亡年齢41.56歳という数字が示されている。
ただし、これは「みんな27歳で死ぬ」という意味ではない。
乳幼児死亡が平均を大きく下げる。5歳まで生き残るかどうかが最初のボス戦だった。
では、何で死んでいたのか。
戦争や殺し合いもあっただろう。しかし、人口全体で見るなら、主犯はもっと日常的なものだった可能性が高い。
- 感染症
- 栄養不足
- 飢饉
- 出産
- 乳幼児死亡
- 衛生環境の悪さ
- 寒さ
- 事故
今なら抗生物質で助かる感染症。点滴で助かる脱水。産科医療で助かる難産。ワクチンで防げる病気。清潔な水で避けられる下痢。
それらが、当時は普通に死因になった。
一方、現代日本の平均寿命は男性81年、女性87年ほどまで伸びている。死因も、感染症や飢饉で若く死ぬ世界から、がん、心疾患、老衰といった「長く生きた後のラスボス」に変わっている。
平安時代から見れば、現代はほぼチート環境だ。
清潔な水がある。暖房がある。病院がある。ワクチンがある。抗生物質がある。出産で救急対応がある。飢饉で即死しにくい。戦争に巻き込まれていない。スマホがある。AIがある。温かい布団がある。
その視点で見ると、現代人が「労働がつらい」「会社がだるい」「自由が足りない」と言えること自体、かなり贅沢ではある。
しかし、ここで終わらせると雑になる。
贅沢だから我慢しろ、ではない。
時代によって、人生の課題が変わっただけだ。
平安時代の課題は、まず生き残ることだった。感染症、出産、飢饉、乳幼児死亡、家制度、身分、戦乱。生存そのものがハードモードだった。
現代は、昔よりかなり死ににくくなった。
だからこそ、次の問題が出てくる。
生きている時間を、誰に使われるのか。
会社に時間を奪われる。通勤に体力を使う。長時間労働で自分の脳内工房が止まる。人間関係で神経を削られる。自由に考え、作り、休み、遊ぶ時間が削られる。
これは、平安時代の飢饉や感染症と同じ重さではない。
でも、現代の人生設計としては十分に重要だ。
生存が安定した人間が、次に自由を求めるのは自然である。
つまり、現代の労働不満は歴史的には贅沢かもしれない。
しかし、それは無意味という意味ではない。
むしろ、現代に生まれたからこそ問える問いだ。
死なないだけで十分だった時代から、どう生きるかを選ぶ時代へ。
平安時代を調べると、現代のありがたさが分かる。
同時に、自分の時間と自由を守りたい気持ちも、よりはっきり見えてくる。
それは甘えというより、生存を突破した後の自由センサーなのだと思う。
