「AIを100体働かせたら、めちゃくちゃ仕事が進むんじゃない?」
この話、ちょっと面白そうじゃない?
100体が一斉に仕事をすれば、すぐ終わるかもしれない。でも、100体が全員間違えていたら大惨事だ。
AIを100体雇った結果、人間だけが残業する。最悪すぎる。
そんな話を記事にしたら、なぜか8章にもなった。
難しい言葉が次々と登場し、研究の数字が出てきて、法律や人間関係の話にまで広がっていく。
そして、読んだ人の感想。
「頭に入らん。」
そりゃそうだ。最初に話していたAI100体、どこ行った?
説明を増やしたら、面白い話が行方不明になった
記事を書いていると、いろんな情報を入れたくなる。
研究で裏付けよう。例外も説明しよう。別の分野にも応用しよう。大事な数字も残そう。
一つずつ見ると、どれも良さそうな考えだ。
でも、全部やったらどうなるか。
AIを100体働かせる話を読んでいたはずなのに、途中から物流や法律の話を聞かされる。
読者は「何の話だったっけ?」となる。
書いた側は満足している。情報をたくさん盛り込んだし、説明も丁寧だ。
読者の方は、すでに帰宅している。
今回の失敗はここだった。
記事に入れられる情報を、できるだけ全部入れようとしていた。
本来なら「AIを増やすと仕事は速くなる。でも確認する仕組みも必要」という話だけで十分だった。
難しい言葉を増やすと、その説明まで必要になる
専門用語を一つ使うと、読者に意味を説明する必要が出てくる。
その説明にまた難しい言葉を使うと、さらに説明が増える。
気がつけば、説明のための説明が始まっている。
例えば、AIに仕事を任せて、間違いがあったら直させる仕組み。
普通にこう書けば分かる。
「AIに仕事をさせる。結果を確認する。間違っていたら直させる。」
これで十分伝わる。
わざわざ難しい名前を付けて、名前の由来や仕組みまで解説し始めたら、話が遠回りになる。
読者は言葉の試験を受けに来たわけじゃない。
「本当に重要なのは〜」と言い始めたら危ない
AIが書く文章には、妙な癖がある。
「これは単なる効率化の話ではない」
「本当に重要なのは、その先にある」
「ここで新たな問題が浮かび上がる」
何か壮大な話が始まりそうだ。
でも、読者はまだ普通の説明を聞きたいだけだったりする。
毎回もったいぶっていたら、話がなかなか進まない。
最初から「AIを増やすと、仕事の確認も大変になる」と書けばいい。
それだけで次の話につながる。
毎段落、世界の真理を発表しなくていい。
同じ内容でも、書き方でこんなに変わる
例えば、こんな文章があったとする。
AIの生産性向上には、複数の作業を効率的に分担し、成果物の品質を継続的に検証する仕組みが重要になる。
言っていることは分かる気がする。
でも、読んでいて何も思い浮かばない。
そこで、こう直す。
AIを100体に分けて仕事を頼んだら、一気に100件の結果が返ってきた。でも30件間違っていたら、誰かが全部確認しなきゃいけない。
数字は説明用の例だけど、今度は場面が浮かぶ。
100体に仕事を頼む人がいる。
結果が100件届く。
間違いが見つかる。
確認する人が泣く。
これなら何が問題なのか分かる。
読んだ瞬間に場面を想像できる文章は強い。
書き終わったら、足すより先に削ってみる
今回の反省から、記事を書くときに確認したいことは三つある。
- 最初の面白い話から脱線していないか。 関係の薄い話題は別の記事にする。
- 普通の言葉で説明できないか。 難しい言葉を使う前に、誰が何をする話なのか書く。
- 読者が実際に場面を想像できるか。 書き手だけが理解できる説明になっていないか読み直す。
もちろん、詳しい説明が必要な記事もある。研究の数字が主役になる記事もある。
必要な情報はきちんと残せばいい。
ただ、面白い出来事を紹介したい記事に、関係する知識を全部詰め込む必要はない。
むしろ、余計な部分を削るほど元の面白さが戻ってくることがある。
今回の記事で学んだのは、その当たり前のことだった。
AIは大量の文章をあっという間に書ける。頼めば研究も集めるし、見出しも増やしてくれる。
だからこそ、最後に文章を削る作業が大切になる。
せっかく面白い話を見つけたのに、説明を盛りすぎて誰にも読まれなくなったら悲しい。
AIが全力で10分かけて説明した結果、読者が30秒で脱落。
もう、それ自体が一番面白いオチになってしまっている。

