結論――死者数に比例する正義ではなく、象徴・罪悪感・回復不能の確定が重なった
ゴンは500万人規模の選別計画を止めようとするし、G.I.で他人が殺されても完全に無関心ではない。それでも、知らない多数の死によって自分の全将来を捨てるほど壊れはしない。
カイトへの反応は明らかに非対称である。
その理由を「カイトと長く過ごしたから」と説明するのは弱い。再会後の同行期間は長くなく、キルアもほぼ同じ時間を共にしている。カイトは厳しい師匠ではあるが、交流量だけならゴンの反応は重すぎる。
重さを作ったのは、次の重なりである。
- 幼少期にゴンを助け、ジンが生きていると教えた原点
- 会ったことのない父ジンへつながる証人・象徴
- ゴンとキルアを逃がすため、一人でピトーへ残った人物
- 強くなれば救える、ピトーなら戻せるという希望
- 「もう治せない」と告げられ、失敗を修正できないことが確定した瞬間
2011年版アニメは原作第1話のカイトとの出会いを後回しにしたため、アニメだけでは象徴的な積み重ねが弱く見えやすい。それでも、原作を含めても反応が比例的とは言いにくい。これは公平な正義ではなく、ゴンの私的な愛着が暴走した場面である。
責任転嫁ではなく、自己責任感の外向化に近い
ピトーは実際にカイトを殺した。したがって、ピトーへ怒ること自体は責任転嫁ではない。
ただしゴンの怒りには、
- 自分たちが付いて行った
- 自分が弱かった
- カイトを置いて逃げた
- 救出すると信じていた
- その希望が誤りだった
という自己嫌悪が混ざっている。
より正確には、ピトーの実際の加害責任へ、ゴン自身への怒りと無力感まで集中させた状態である。敵を倒せば元に戻る問題ではないのに、倒すという一方向へすべてを変換した。
ゴンとピトーは、その場だけ「人間性」と「怪物性」が反転する
コムギ治療中のピトーは、戦闘を止め、膝をつき、無関係な少女の命を救おうとし、自分の身を交渉材料へ差し出す。ゴンは、カイトと無関係なコムギをピトー制御の担保として扱う。
この場面だけなら、怪物であるピトーの方が他者の命を守り、人間の少年であるゴンの方が目的遂行装置に見える。
ただし善悪が完全に交換されたわけではない。ピトーは王への忠誠からコムギを救い、治療後には王の脅威であるゴンを殺すつもりである。ゴンも恒常的な悪人ではなく、喪失と罪悪感で倫理の優先順位が崩壊している。
反転しているのは、総合的な善悪ではなく、その瞬間に誰が他者の生命を守り、誰が私的目的のために弱者を利用しているかである。
ゴンの怖さは、残虐性より価値のゼロ化にある
ゴンは残酷さを楽しむタイプではない。怖いのは、一つの目的へ納得した瞬間、それ以外の価値を急にゼロへ近づけることだ。
ゲンスルー戦では腕を代価に作戦を通す。ピトー戦では将来、才能、生命まで支払いに入れる。自分自身も道具として消費できるため、普通の自己保存がブレーキにならない。
ゴンの怪物性は、「他人を傷つけたい」ではなく、目的以外を存在しないものとして処理できる点にある。
