似ているのは趣味ではなく、暮らし方だった

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友達と話していて、「この人、根っこはかなり自分と似ているな」と思うことがある。

表面的な趣味が完全に同じというわけではない。
向こうは、家に帰ったら何年もずっとスプラトゥーンをやっているらしい。釣りや散歩も好きで、「趣味は釣りと散歩です」みたいなことを言っていた。

最初は少し老後みたいだなと思った。
でも、最近の自分も田んぼ道を歩いたり、公園を歩いたり、土曜日に6km歩いたりしている。気づけば、かなり散歩を生活の中に入れている。

つまり、これは老後趣味というより、騒がしさや忙しさから離れ、自分のペースを守りながら、体と頭を休められる趣味なのだと思う。

街中の騒がしさや、人間関係の圧や、職場で次々に話しかけられる慌ただしさから離れて、ただ歩く。
釣りもたぶん近い。
何かを強制されず、自分の時間を自分で持てる。
話さなくてもいい。急がなくてもいい。成果を出さなくてもいい。
ただそこにいて、少しずつ回復する。

そう考えると、友達と自分は、趣味の種類そのものよりも、どんな暮らし方が心地よいかという感覚が似ているのだと思う。

共通しているのは、たぶんこういう感覚だ。

自分の時間をかなり大事にする。
一人で完結する趣味が強い。
相手に人生を背負わせたくない。
自分の分は自分で稼いでほしい。
過干渉や依存が苦手。
恋愛や結婚で、全部を共有する気はあまりない。

「一緒にいること」よりも、「それぞれが自分の生活を持ったまま、必要なところでつながること」の方が自然に感じる。

ただ、違うところもある。

仕事観はかなり違う。
友達は、県庁で繁忙期に残業100時間近くやって、なんとか回しているらしい。年初など大変な時期は、部署ガチャや時期ガチャでハズレを引いたらそうなる、仕方ない、という感覚に近いのだと思う。

一方で、自分はそこをかなり疑う。

そもそも、その働き方で得られるものは、生活や体を削る負担に見合っているのか。
100時間も残業しないと回らない仕事の組み方自体に、無理があるのではないか。
ハズレを引いたら耐えるしかないという前提を受け入れていいのか。
仕事のために生活や体を削ることを、当然にしていいのか。

友達は、環境に耐えて回す力が強い。
自分は、環境そのものを疑って、そこに居続ける価値があるかを見る力が強い。

ここはかなり違う。

恋愛観も、似ている部分と違う部分がある。

友達は、彼女がいても、スプラトゥーンをやる時間が欲しいからあまり会わない、という感じらしい。かなり自己完結型だと思う。恋人はいるけれど、頻繁に会わなくても成立する。趣味時間がかなり上位にある。

自分も、自立している関係がいい。
お互い自分の分は自分で稼いでほしいし、依存されすぎるのも嫌だ。
不機嫌の処理係になったり、相手の不安を全部抱えたりする関係はきつい。

ただ、自分の場合は、好きな人と心や体で近くつながることもかなり重要だ。
好きな人といて安心できること、そのままの自分を受け止めてもらえること、触れ合うこと、ヨシヨシされる感じ。疲れたときに安心して帰れる場所のような関係は欲しい。

つまり、友達は「自分の生活を持ち、趣味にじっくり打ち込み、互いに口を出しすぎない関係がいい人」。
自分は「自分の生活も趣味も大事で、口を出されすぎるのは苦手。ただし、好きな人のそばで安心できる時間も欲しい人」。

どれくらい近くつながっていたいかは違う。
でも、生活で何を大事にするかという根っこはかなり近い。

人と話していて面白いのは、こういう瞬間だ。

表面上の趣味や働き方は違っても、話していくと、かなり深いところで同じ前提を持っていることがある。

毎日会いたいわけではない。
ずっと一緒にいたいわけでもない。
自分の時間は守りたい。
相手にも相手の生活を持っていてほしい。
でも、完全に孤立したいわけではない。
気が合う人とは、同じ方向を向いて、たまに深く話せると面白い。

これは、単なる趣味の一致ではない。
何を大事にして、どんな距離で人とつながりたいかが似ているのだと思う。

散歩が好き、釣りが好き、ゲームが好き、記事を書くのが好き。
表面だけ見ると別々の趣味に見える。
でも、その奥にあるのはたぶん同じだ。

自分の時間を、自分のものとして持ちたい。
外から侵入されすぎたくない。
騒がしさから離れ、落ち着いて休める場所が欲しい。
人に依存しすぎず、自分の生活を自分で運転したい。

そういう根っこが似ている人とは、話していて面白い。

違うところはもちろんある。
仕事観も違うし、どれくらい近くつながっていたいかも違う。
でも、だからこそ、比べてみると自分が大事にしていることも見えてくる。

友達を見ることで、
「自分はどこまで一人で完結したいのか」
「どこからは好きな人と近くつながっていたいのか」
「仕事をどこまで人生に入れるのか」
「どこから先は環境を疑うのか」
が見えてくる。

似ている人を見ると、自分が分かる。
違うところを見ると、もっと自分が分かる。

たぶん、こういう会話や観察も、かなり大事な自己理解の材料なのだと思う。

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