『ぼっち・ざ・ろっく!』8巻で面白いのは、バンドが音楽だけでなく、グッズ制作に入っていくところである。
ライブ、ラジオ、ミニアルバム、機材車。
そこにグッズが加わると、結束バンドは一気に「音楽をやる集まり」から「ファンに商品を届ける小さな事業体」になる。
その中で強烈なのが、キャラグッズの人気見積もりである。
作中の感覚で見ると、喜多ちゃんは強い。
顔がいい。
明るい。
歌える。
人前に出られる。
接客もできる。
写真映えする。
外側の情報だけで売れそうだと分かる。
逆に、ぼっちちゃんは分かりにくい。
後ろにいる。
喋らない。
挙動不審。
接客が弱い。
前に出ると溶ける。
グッズにして売れるかどうか、普通の商売目線では読みにくい。
だから、作中の浅い見積もりでは、喜多ちゃんが100なら、ぼっちちゃんは5くらいに見える。
しかし星歌は、それを見抜く。
「桁が二つ足りない」側の見方をする。
つまり、5ではない。
500である。
ここがめちゃくちゃ重い。
1. 作中の客は外側を見る。読者は内側を見る
なぜ、ぼっちちゃんのグッズ価値は見誤られるのか。
それは、作中の一般客と読者が見ているものが違うからである。
作中の客は、外側の後藤ひとりを見る。
- 無口
- 目が合わない
- 変な動きをする
- 後ろにいる
- 明るい接客ができない
- アイドル的に前へ出ない
これだけ見ると、グッズ人気を低く見積もっても不思議ではない。
しかし読者は、ぼっちちゃんの内面を見ている。
- 脳内ツッコミが鋭い
- マイナス思考が社会問題まで飛ぶ
- 見られたくないのに承認欲求は大きい
- 1回シュートが入るとプロを目指す
- ミスると脳内引退会見を開きそう
- 人前では溶けるが、ギターは本物
- 自己評価が低いのに、前には進む
この内面が見えていると、キャラの価値は一気に変わる。
外側だけなら5。
内面込みなら500。
ここに、星歌の「桁二つ」感覚がある。
2. 喜多ちゃんは入口が強い。ぼっちちゃんは沼が深い
喜多ちゃんは、分かりやすい人気を持っている。
明るい。
可愛い。
歌える。
前に出られる。
外向きの看板として強い。
これは作中でも現実でも強い。
一方、ぼっちちゃんは、入口では分かりにくい。
だが、内面を知るほど深く刺さる。
読者は、ぼっちちゃんの弱さだけを見ているわけではない。
弱いのに前に出るところ。
逃げたいのにギターだけは弾くところ。
自意識が爆発しているのに、ツッコミは的確なところ。
人間関係が怖いのに、結束バンドから離れないところ。
ここにキャラとしての強さがある。
喜多ちゃんは入口が強い。
ぼっちちゃんは沼が深い。
グッズ価値で見ると、この違いは大きい。
入口が強いキャラは、初見で売れる。
沼が深いキャラは、刺さった人が深く買う。
3. グッズは外見だけでなく「物語」を売っている
キャラグッズは、ただの物ではない。
アクスタは、ただのアクリル板ではない。
缶バッジは、ただの丸い金属ではない。
Tシャツは、ただの服ではない。
それらは、キャラクターの物語を持ち歩くための媒体である。
喜多ちゃんのグッズは、「明るい」「可愛い」「ステージ映えする」という外側の強さを売りやすい。
ぼっちちゃんのグッズは、それに加えて、内面の文脈を売れる。
段ボール。
溶け顔。
目が死んだ顔。
承認欲求が爆発した表情。
奇行。
脳内ツッコミ。
ギターヒーローとしての裏の強さ。
これは、普通の「美少女グッズ」ではなく、キャラOSのグッズ化である。
ぼっちちゃんは、立ち絵だけで売れるというより、内面と状況ごと売れる。
だから強い。
4. きららフィルターは、弱さを商品価値に変える
現実にいたら、ぼっちちゃんの挙動はかなり扱いに困る。
目を合わせない。
会話が止まる。
突然変な行動をする。
自己評価が低すぎる。
でも承認欲求は大きい。
現実のバンド物販で、初見の一般客が「この子のグッズ欲しい」となるかは分からない。
しかし、作品の中では違う。
きららフィルターがある。
読者は内面を知っている。
奇行がギャグとして処理される。
弱さが可愛さになる。
マイナス思考がツッコミとして機能する。
社不OSがキャラの味になる。
つまり、現実なら弱点になりうるものが、キャラグッズでは強みになる。
これは、単に「可愛いから売れる」ではない。
弱さが意味を持っているから売れるのである。
5. 星歌が見ているのは、完成品ではなく原石の市場価値
星歌の見方が重いのは、ぼっちちゃんを「今、接客できる子」として見ていないところである。
星歌は、ライブハウス店長であり、虹夏の姉であり、元バンド側の人間でもある。
ギターヒーローの正体を知らなくても、目の前の後藤ひとりの異常値は見えている。
本調子ではない。
前に出られない。
メンタルは危うい。
でも、たまに出る音が普通ではない。
星歌から見ると、ぼっちちゃんは完成された商品ではない。
原石である。
しかも、その原石は虹夏の夢を背負っている。
STARRYの未来にも関わる。
結束バンドの伸びにも影響する。
だから星歌の評価は重い。
「この子は可愛いから売れる」ではない。
「この子は、見積もりを間違えると大損する種類の才能だ」である。
6. 脳内キャラクターを出すと、人は急に面白くなる
ぼっちちゃんから学べるのは、キャラクター作りの本質でもある。
外側だけなら弱い。
「人見知りのギタリストです」
これだけでは、よくある設定で終わる。
しかし、内面を出すと急に強くなる。
「見られるのが怖いのに、承認欲求はある」
「普通にしたいのに、普通にしようとするほど奇行になる」
「1回成功すると人生逆転まで妄想する」
「失敗すると脳内で引退会見を開く」
「社会問題まで不安が飛ぶが、目の前のドリブルはできない」
こうなると、一気にキャラになる。
人は外側の属性だけではなく、内面の動きに惹かれる。
なぜその行動をしたのか。
本人の中ではどう筋が通っているのか。
外からは変なのに、内側では論理的なのか。
どこでズレて、どこで笑えるのか。
ここまで見えると、キャラは強くなる。
7. 記事も同じ。出来事ではなく、脳内UIを書くと読まれる
これはブログや記事にもそのまま使える。
ただ出来事を書くと弱い。
「漫画を読んだ」
「グッズ会議があった」
「ぼっちちゃんの評価が低かった」
これでは浅い。
だが、脳内の動きを書くと強くなる。
「なぜ作中ではぼっちちゃんの価値が低く見積もられるのか」
「なぜ読者は逆にぼっちちゃんを推すのか」
「星歌は何を見て“桁二つ足りない”と判断したのか」
「外側評価と内面評価はなぜズレるのか」
こうすると、感想が構造になる。
キャラクターも記事も、外側の説明だけでは弱い。
内面の動き。
違和感。
ズレ。
本人だけの論理。
読者だけが知っている文脈。
そこを出すと、一気に読まれるものになる。
8. ぼっちちゃんは「5」ではなく「500」だった
ぼっちちゃんのグッズ価値が面白いのは、外側評価と内面評価がズレているからである。
作中の浅い商売目線では5に見える。
でも読者は内面を知っている。
星歌は原石を見抜いている。
だから500になる。
これは、キャラ商売の話であると同時に、人の価値の見積もり方の話でもある。
外側だけを見ると、分からない人がいる。
前に出ないだけで、価値が低く見える人がいる。
接客できないだけで、商品にならないと思われる人がいる。
でも、内面・才能・物語まで見ると、桁が変わる人がいる。
ぼっちちゃんは、そのタイプである。
喜多ちゃんは分かりやすく100。
ぼっちちゃんは、分かりにくい500。
その違いを見抜いた星歌のコマは、きららのギャグに見えて、かなり重い。
キャラ人気は、外見だけでは決まらない。 読者が知っている内面が、グッズ価値を跳ね上げる。
だから、ぼっちちゃんは売れる。
