問い
古墳時代や飛鳥時代の人たちは、今のような神社で神様を祀っていたのか。
答えは、
信仰や祭祀の場はあった。 でも、現代のような鳥居・拝殿・本殿・社務所が整った神社とはかなり違う。
と考えるのが自然である。
古墳時代は「神社建物」より「神域・祭祀場」
古墳時代の祭祀は、今の神社参拝とはかなり違う。
山、岩、島、古墳、祭祀遺跡。
そういう場所に神聖な力があると考え、供え物を置いたり、祈ったりした。
たとえば沖ノ島では、4世紀後半から祭祀が始まり、巨岩の上や岩陰に銅鏡・鉄剣・勾玉などが奉納された。
これは、今の神社建物の前段階のように見える。
つまり古墳時代は、
神様の家を建てる
というより、
神様がいるフィールドに直接アクセスする
感じが強かった。
大神神社は原初の神祀りを残す例
大神神社は、三輪山そのものをご神体として本殿を設けず、拝殿を通して三輪山を拝む形式を残す。
これは、神様のための家を建てる以前に、
神様がいる山に向かって祈る
という古い感覚をよく伝えている。
現代の神社にも、原初的な神祀りの痕跡は残っている。
飛鳥〜奈良で制度化が進む
飛鳥時代になると、仏教が入ってきて、ヤマト王権も国家として整ってくる。
すると、神への祈りもだんだん制度化される。
どの神を祀るか。
誰が祀るか。
いつ祀るか。
国家の安泰をどう祈るか。
こうした祭祀が、飛鳥末から奈良時代にかけて、より国家的な制度として整っていく。
奈良時代には、律令の中で神祇祭祀が整えられ、国の祭祀として神々を祀るシステムが強くなる。
現代語でいうと
古墳時代から奈良時代への流れを、現代語で言うとこう。
古墳時代
→ 神様のいるフィールドに直接アクセス。山・岩・島・古墳・祭祀場。
飛鳥時代
→ 神様の受付窓口が作られ始める。仏教・国家形成とも絡む。
奈良時代
→ 国家管理の神社・祭祀システムが整ってくる。
つまり、最初から現在の神社チェーンがあったわけではない。
神域・祭祀場・地方神・国家祭祀・仏教・王権が、何百年もかけて組み合わさっていった。
八幡もこの流れに乗っている
八幡さまも、最初から全国チェーンだったわけではない。
宇佐の地方神的な存在があり、応神天皇の神格と結びつき、東大寺大仏建立に関わり、石清水八幡宮として都近くに展開し、源氏・武家の信仰に乗って全国化した。
つまり八幡は、
古い祭祀・地方信仰
+
古代王の神格化
+
国家祭祀
+
神仏習合
+
武家信仰
が合体した神社ネットワークである。
まとめ
古墳時代・飛鳥時代に「神社はあったのか」と聞かれたら、答えはこう。
信仰・祭祀の場はあった。 ただし、古墳時代は現代の神社というより、山・岩・島・古墳・祭祀遺跡で祈る神域型。 飛鳥〜奈良にかけて、社殿・神職・国家祭祀・神社ネットワークが整っていく。
神様のいるフィールドに直接アクセスしていた時代から、神様の受付窓口が整備され、やがて国家と地域の神社システムになっていく。
この流れの中で、八幡さまも全国ブランド化していったのである。
