1. また俺が行かなかった飲食が消える
妙なジンクスがある。
「自分が行かない、買わない飲食店や食べ物、なんか消える率が高くない?」
もちろん、こちらに倒産させる能力があるわけではない。財布を閉じただけで地域経済を破壊できるなら、もはや消費者ではなく金融兵器である。
しかも、この予言は万能ではない。化粧品、服、雑貨、家電などでは普通に外す。「こんなの誰が買うんだ」と思った物が数年後も元気に売られている。世の中は広い。
ところが飲食になると、妙に命中する。
「一回なら面白いけど、これ何度も買うか?」
「うまそうだけど、その値段なら別の物でよくない?」
「近くにもっと強い代替があるな」
「話題性が切れた後、誰が日常的に払うんだろう」
そんなことを考えて通過した店や商品が、しばらくすると閉店、撤退、縮小。
飲食デスノート。名前を書いていない。入店しなかっただけである。
2. なぜ化粧品や「物」は外れ、飲食だけ妙に当たるのか
理由はたぶん、「自分の好みが市場全体と一致している」からではない。
むしろ飲食だけ、判断軸がかなり共通化されやすい。
服や化粧品には、ブランド、色、デザイン、推し、流行、コレクション性、ギフト需要、自己表現など、価格以外の変数が大量にある。自分には理解不能でも、別の客には100点ということが普通に起きる。
一方、日常の飲食はかなり露骨だ。
- おいしいか
- 値段はいくらか
- 量は足りるか
- 場所は便利か
- 待つか
- 近くに代替があるか
- 「また」払うか
特に最後が重要だ。
飲食店を生かすのは「一度食べた人」の総数ではない。多くの場合、何度も戻ってくる人がどれだけいるかである。
だから、普段から「安いか」だけでなく、可食部、手間、代替品、満足感、保存性、再購入まで含めてコスパを見る人は、知らないうちに店のリピート需要を判定している可能性がある。
要するに、超能力ではない。
「俺が買わないから消える」のではなく、「俺が継続課金しないと思った物に、他の客も継続課金していない」が近い。
……言い換えても死神感はかなり残る。
3. 飲食は「うまい」だけでは生き残れない
飲食で恐ろしいのは、商品が普通においしくても消えることである。
「おいしかった」は、経営的にはまだチュートリアルだ。
次に必要なのは、
「じゃあ来週も、その次の月も、自分の金で買いますか?」
である。
初回需要は、珍しさ、SNS、開店直後、観光、限定感で作れる。しかし固定費、設備、補充、廃棄、原材料、人件費、設置料などが続く事業では、初回客だけで永遠には回らない。
もちろん個別の閉店・撤退理由は企業ごとに違い、外部から断定はできない。ただ一般論として、飲食は「好き」と「採算が合う」の間に巨大な谷がある。
客:
「普通においしかった!」
店:
「ありがとうございます! また来ますか?」
客:
「…………」
この沈黙が怖い。
4. IJOOZ――5月は「展開加速」、8月は一部地域終了
今回、そのジンクスを刺激したのが、生搾りオレンジジュース自販機「IJOOZ(アイジュース)」だった。
事実関係を整理するとこうなる。
IJOOZはシンガポール発の生搾りオレンジジュース自販機で、日本には2023年4月に上陸。2026年5月22日のIJOOZ公式プレスリリースでは、日本国内に約1,500台以上を設置していると説明され、大須エリアへの新規設置も発表された。同じリリースでは、今後について関東、関西、東海、九州、中国エリアを中心に、さらに展開を加速するとしていた。[1]
ところが2026年8月21日、IJOOZ Japanは、東海・広島・九州エリアの自販機を2026年9月30日までに順次サービス終了すると発表した。報道によれば、東海は愛知・岐阜・静岡、九州は福岡・佐賀・熊本・長崎が対象。対象地域では終了後に利用できなくなり、アプリの未使用残高やチケット等についても終了前の利用が案内された。[2]
わずか数か月前まで「加速」と言っていたエリアを含むため、利用者から見ると急旋回に映る。
ただし重要なのは、IJOOZ全体の事業終了ではないこと。そして、今回の地域撤退の具体的理由を、外部の人間が勝手に「リピート不足だった」と断定してはいけないことだ。
ここから先は、あくまで一人の消費者の話である。
その消費者、今まで買っていない。
5. 撤退すると聞いた瞬間、「じゃあ一回飲むか」になる
ここで人間の謎ムーブが発動する。
昨日まで:
「まあ、いつでも飲めるしな」
撤退発表後:
「……なくなるなら、一回飲んどくか」
急に欲しくなっている。
商品は昨日と同じである。
オレンジも同じである。
財布の中身もだいたい同じである。
変わったのは、未来だけだ。
「いつでもできる」は価値を下げる。
「もうすぐできなくなる」は価値を上げる。
これは希少性、損失回避、将来の後悔を避けたい心理でかなり説明できる。
「別に今まで欲しくなかった」という事実と、
「二度と選べなくなるのは嫌だ」という感情は、
普通に同居する。
そして生まれる。
閉店前駆け込み需要。
普段来なかった客が、最後だけ列に加わる。
6. 「死ぬ前に顔を見に行く人」である
この状況を最も短く表すと、
死ぬ前に顔を見に行く人。
元気なとき:
「またそのうち行くわ」
余命宣告:
「えっ」
数日後:
「来たよ……」
完全にこれである。
しかも今回の対象は人ではなくオレンジジュース自販機だ。
自販機への弔問。
購入ではない。
面会である。
一杯買うのは香典ではない。
飲める香典である。
「今まで一度も買ってくれなかったですよね?」
「……最後くらい、顔見たくて」
遅い。
事業側から見れば恐ろしい話である。撤退を防ぐのに必要だったのは、終了発表後の一杯ではなく、終了発表前の定期的な一杯なのだから。
死神、最後に客になる。
7. 「閉店すると混む」が救済になりにくい理由
閉店・撤退ニュースが出ると、急に客が増える現象は珍しくない。
しかし、これは商売として少し残酷である。
店を支える需要:
「普段から買う」
最後に集まる需要:
「なくなるから買う」
この二つは似ているようで、まったく違う。
後者は「終了」というイベントそのものが需要を作っている。つまり、営業を続けた瞬間に希少性が消える。
極端に言えば、
閉店を撤回したら、また来なくなる客が混んでいる。
だから「閉店発表したらこんなに客が来るのに、なぜ閉めるの?」への答えは、ときどき単純だ。
その客が、発表前には来なかったから。
……刺さる。
こちらも来なかった側なので、非常に刺さる。
8. 撤退理由は未公表――それでも「地域丸ごと終了」はヒントになる
まず、ここは事実と推定を分ける。
IJOOZは東海・広島・九州エリアの終了について、具体的な撤退理由を公表していない。発表されているのは、2026年9月30日までに順次サービスを終了すること、終了後は対象地域で利用できなくなること、アプリ残高やクーポン等はそれまでに使ってほしいことなどだ。[2]
だから、
「売れなかったから撤退」 「リピート不足が原因」
と断定はできない。
ただ、周辺の動きは面白い。
2026年3月、IJOOZは世界的なオレンジ果汁価格の高騰を背景に、丸ごとのオレンジを世界規模で直接大量調達し、一部地域で特別還元価格を始めると発表した。さらにAIで在庫と鮮度を管理し、販売可能期間を超えた果実は自動で販売停止し、回収・廃棄すると説明している。[3]
5月には名古屋で新規設置を発表し、東海を含めて「さらに展開を加速」するとしていた。[1]
そして8月、東海・広島・九州を終了。[2]
並べると、
3月:コスト高へ対抗
5月:展開加速
8月:一部地域を丸ごと終了
である。
判断がめちゃくちゃ速い。
IoT自販機は販売数、在庫、補充、廃棄などの数字を取りやすい。だから「データを取った結果、地域ごとに継続・撤退を高速判断した」という可能性は十分ある。
特に気になるのは、数台だけ撤去するのではなく、地域ブロックで終了する点だ。
証拠ではないが、
一台単位の商品採算より、その地域に倉庫・人・車・補充・保守網を維持する採算
が論点だったのでは、と考えたくなる。
これはあくまで地域オペレーション採算説。公式が理由を出すまでは仮説である。
9. 自販機は無人でも、事業は無人ではない
自販機と聞くと、
「置けば勝手に売れる」
感がある。
しかし生のオレンジを扱うIJOOZは、全然そんなことはない。
過去の名古屋エリアのサービスドライバー求人では、名古屋市内の倉庫から中部エリアの自販機を巡回し、材料・備品の補充、清掃、メンテナンス、集金、報告などを行う仕事内容が掲載されていた。[5]
IJOOZ自身も、自販機内を低温で管理し、AIで在庫と鮮度を監視し、販売期間を超えた果実を回収・廃棄する運用を説明している。[3]
つまり地域展開には、
倉庫、オレンジ、洗浄、車、ドライバー、補充、清掃、保守、故障対応、古い果実の回収、
がいる。
客から見れば無人。会社から見れば、めちゃくちゃ有人。
自販機は一人で立っている。
しかし背後には、
小さな物流会社がオレンジの皮をかぶって立っている。
だから重要なのは単純な「一台が売れるか」だけではなく、販売密度だ。
広い地域に機械が点在すると、補充のために走る距離が伸びる。都市部で大量に密集していれば、同じ倉庫・人員・車で効率よく回せる。
今回の地域単位の終了を見ると、
「一杯も売れなかった」のではなく、「地域サービス網を維持できるほど高密度に売れなかったのでは」
という仮説が出てくる。
自販機の中には人はいない。
自販機の後ろには人がめっちゃいる。
10. え、日本のみかんじゃないの?――世界から来るオレンジだった
そして地味に衝撃だったのがこれ。
あれ、日本のみかんじゃない。
2026年3月の公式説明によれば、IJOOZは世界中の農園から、糖度や酸味などを見ながら選んだ丸ごとのオレンジをコンテナ単位で直接大量調達している。日本に届くのは主にネーブルやヴァレンシア系で、国内拠点で洗浄してから自販機へ入れる。[3]
グローバル公式サイトも、供給するオレンジをオーストラリアや米国から調達すると説明している。[4]
過去の名古屋求人にも、豪州・米国の提携農園から輸入したオレンジを使う旨が書かれていた。[5]
つまりイメージは、
東海の畑 → 近所の自販機
ではなく、
海外の農園 → コンテナ → 日本の拠点 → 地域倉庫 → 巡回車 → 自販機
である。
そこで出てくる。
蒲郡あるやん。 三ヶ日あるやん。 愛媛まであるやん。
ただし、近いから原料として安いとは限らない。
IJOOZはネーブルやヴァレンシアを大量・通年で規格調達する仕組みを作っている。日本の温州みかんやブランド柑橘は、旬、サイズ、価格、生食価値、搾汁適性などが別だ。
近い=安い ではない。
むしろ高級なブランドみかんを数個、一杯のジュースに投入したら、
客: 「うわ、贅沢!」
経理: 「やめろ。」
になりかねない。
なのでグローバル調達自体には普通に合理性がある。
ただ、消費者の印象は変わる。
「地元の果物をその場で搾る」ではなく、
「世界調達したオレンジを、日本のハイテク自販機網で搾りたて提供するフードテック」
だったのである。
11. 蒲郡・三ヶ日・愛媛があっても、俺はたぶん買わない――でも土産客は別である
ここで重要な訂正がある。
「じゃあ蒲郡みかんや三ヶ日みかん限定にしたら、自分なら買うのでは?」
たぶん買わない。
道の駅へ行っても、地元産だからという理由だけで土産を買うタイプではない。
安い、うまい、そこでしか食えない、今食べたい――そういう理由があれば買う。
しかし、
「地域限定だから記念に一個」
という購買動機はかなり弱い。
これは記事全体のテーマにとって重要だ。
なぜなら、最初に「化粧品や物では自分の予測は外れる」と言っていた理由と同じだからだ。
自分が買わない=市場がない、ではない。
実際、蒲郡市観光協会は「蒲郡ならではのお土産」を紹介する取り組みを続け、蒲郡みかんを使ったジュース、菓子、スイーツなどを多数紹介している。[6][7]
蒲郡みかん自体も地域ブランドであり、温室みかんを含め多様な品種が展開されている。[7]
三ヶ日も、JA公式がみかんだけでなくジュース、サイダー、ゼリー等の加工品を販売している。[8]
愛媛も県公式が「柑橘王国」と説明するほど多品種の柑橘を持ち、季節をつないだ供給・販売を行っている。[9]
つまり、
本人:道の駅でもあまり買わない 観光客:旅行の記憶、地域名、贈答、持ち帰りという別の価値で買う
である。
ここは市場セグメントが違う。
だから仮に、
「蒲郡みかん生搾り・この地域限定」 「三ヶ日みかん冬季限定」 「愛媛の旬柑橘リレー」
をやったとしても、本人の財布が開く保証は全くない。
だが、観光地や駅、道の駅では、
「ここまで来たから何か買おう」 「家に持って帰ろう」 「人に渡そう」
という、普段の飲料需要とは別の需要が存在する。
そこを狙う商品としては、地域名や旬は意味を持つ。
そして結局いちばんおかしいのが、
地元限定でも普段は買わない人間が、撤退すると聞いたら輸入オレンジでも一杯飲みに行こうとしている
ことである。
地域ブランドでも動かない。
道の駅でも動かない。
しかし余命宣告では動く。
購買動機:
価格でもない。
国産でもない。
地産地消でもない。
お土産でもない。
「もう死ぬらしい。」
強い。
これぞ、
死ぬ前に顔を見に行く人。
12. 結論――予知能力ではなく「また払うか」センサー、そして最後は弔問客
この話の結論は、「自分には潰れる店を見抜く特殊能力がある」ではない。
もっと地味で、たぶん実用的だ。
飲食については、
「これは一度売れるか?」ではなく「普通の人が何度も自腹で買うか?」
という視点を自然に使っている。
それが、化粧品や物より飲食で当たりやすく感じる理由かもしれない。
しかし、そこまで分析しておきながら、撤退すると聞けば最後に一度は飲みに行く。
合理性はどこへ行った。
いや、合理的ではある。
数百円で「一回飲んでおけばよかった」という未来の後悔を消せるなら、体験料としては安い。
だから行く。
今まで買わなかったオレンジジュースを、
終わると聞いた途端に買いに行く。
商売を救う客ではない。
最期を看取る客である。
