はじめに:「いい感じで」は指示ではなく願望
職場では、よくこんな指示が出ます。
「いい感じでやって」
「若い人向けにして」
「分かりやすくして」
「まずたたき台を作って」
「主体的に動いて」
「とりあえず形にして」
一見すると、自由度のある指示に見えます。
しかし、受ける側からすると、これはかなり危険な言葉です。
なぜなら、目的・対象・成果物・期限・判断者・優先順位・制約・担当範囲が曖昧なままだからです。
曖昧な指示のまま部下が動くと、後からこうなりがちです。
「そういう意味じゃない」
「もっとこうしてほしかった」
「普通は分かるでしょ」
「主体性がない」
「理解が浅い」
「リーダーとして動けていない」
しかし、それは本当に部下の問題でしょうか。
多くの場合、問題は部下の能力ではなく、要件定義の甘さです。
部下が動くために必要な最低限の要件
部下が動くには、最低限、次の情報が必要です。
| 項目 | 確認すべきこと |
|---|---|
| 目的 | 何のためにやるのか |
| 対象 | 誰向けなのか |
| 成果物 | 何を出せば完了なのか |
| 期限 | いつまでに必要なのか |
| 判断者 | 誰がOKを出すのか |
| 優先順位 | 既存業務より上か下か |
| 制約 | 使える時間・人・ツール・NG事項は何か |
| 担当範囲 | どこまでやるのか、どこから先はやらないのか |
これがないまま、
「いい感じで」
「若い人向けに」
「たたき台で」
と言われても、動けません。
動けたとしても、解釈で動くしかありません。
そして、解釈で動いた結果、後から「違う」と言われる。
これは部下の主体性不足ではなく、管理側の設計不足です。
「部下が動かない」のではなく、動ける情報が渡されていない
管理側は「部下が動かない」と言います。
しかし、部下側から見ると、こう見えていることがあります。
- 何をすれば完了なのか分からない
- 誰がOKを出すのか分からない
- どこまで自分が決めてよいのか分からない
- 既存業務より優先してよいのか分からない
- どの品質まで求められているのか分からない
- 後から条件が変わる
- 最初に言われていないことで修正される
- たたき台を出すと、そのまま実装担当にされる
この状態で「主体的に動け」と言われても、かなり難しいです。
主体性は、情報不足の中で勝手に突っ込むことではありません。
主体性が出るには、判断材料と裁量の範囲が必要です。
たたき台を出す人の価値とは?
たたき台を出す人には、明確な価値があります。
たたき台とは、単なる資料作成ではありません。
曖昧な思いつき・口頭の願望・空中戦の議論を、他人が判断できる形に変換する作業です。
たたき台を作る人は、次のようなことをしています。
- 目的を仮置きする
- 誰向けかを整理する
- 論点を分ける
- 選択肢を作る
- 比較できる形にする
- 未定義の部分を見える化する
- 判断者が考えやすい形にする
- 関係者の認識を合わせる
- 空中戦を地上戦に変える
- 会議を前に進める
これはかなり価値のある仕事です。
「何もない状態」では、人は議論できません。
たたき台があるから、
- ここは違う
- ここは合っている
- この方向でよい
- ここは未定義
- これは後で決める
- この部分は実装しない
と判断できます。
つまり、たたき台を出す人は、議論の土台を作っている人です。
たたき台を出す人が有能な理由
たたき台を作れる人は、たいてい有能です。
なぜなら、たたき台を作るには、次の能力が必要だからです。
1. 曖昧な話を構造化できる
「いい感じにしたい」
「若い人向けにしたい」
「分かりやすくしたい」
こうした曖昧な言葉を、そのままではなく、
- 誰向けか
- 何を伝えるか
- どんな順番にするか
- どこを削るか
- 何を確認するか
に分解できます。
2. 未定義を見つけられる
たたき台を作ると、未定義が見えます。
- 目的が曖昧
- 判断者が不明
- 期限が不明
- 実装担当が不明
- 優先順位が不明
- 何をもって完成か不明
この未定義を見つけること自体に価値があります。
3. 議論を前に進められる
口頭だけの会議は、すぐ空中戦になります。
たたき台があると、議論が具体化します。
「この案でいくか」
「ここは違う」
「こっちは採用しない」
「判断者に確認しよう」
と進みます。
4. 手戻りを減らせる
たたき台は、完成品ではありません。
しかし、早い段階で方向性のズレを見つけられます。
これにより、後から大きくやり直すリスクを減らせます。
5. 周囲の脳内を外部化できる
たたき台は、関係者の頭の中を見える化します。
「自分はこういうイメージだった」
「自分は違うものを想像していた」
「そもそも目的が違った」
というズレが見える。
これも価値です。
ただし、たたき台は実装責任ではない
ここが重要です。
たたき台を出す人に価値があることと、たたき台を出した人が最後まで全部実装すべきことは別です。
本来、たたき台は、
- 方向性確認用の仮説
- 論点整理
- 判断材料
- 実装可否を決める前処理
です。
それなのに、現場では次のようなことが起きます。
- 誰かが思いつきで振る
- 有能な人がたたき台を作る
- たたき台が叩かれる
- 修正する
- 追加要望が出る
- 実装まで押し付けられる
- 最後に別の人が仕上げた顔をする
これは、たたき台作成ではなく、たたき台搾取です。
たたき台を出す人は価値があります。
だからこそ、たたき台作成・レビュー・実装・責任範囲は分けるべきです。
思いつき外注:思いついた人が最低限の前提を出すべき
思いついた人が、何も整理せずに他人へ投げることがあります。
「これやった方がいいよね」
「とりあえず案作って」
「いい感じにして」
「若い人向けにして」
「あと実装もお願い」
これは、思いつき外注です。
思いついた人が、まず最低限これを出すべきです。
## たたき台依頼の最低限セット
### 1. 何をしたいのか
例:新人教育動画を作りたい
### 2. なぜ今やるのか
例:口頭説明が属人化していて、毎回説明工数がかかるため
### 3. 誰向けか
例:新入社員、中途社員、現場担当者
### 4. 何を成果物にするのか
例:動画1本、標準書1枚、PPT説明資料
### 5. いつまでに必要か
例:〇月〇日の会議までに方向性確認
### 6. 誰が判断するのか
例:課長、部長、現場責任者
### 7. 誰が実装するのか
例:未定。たたき台確認後に担当決定
### 8. 既存業務より優先するのか
例:優先順位を要確認
これも出さずに人を動かそうとするのは、かなり危険です。
「思いついた人が、まず自分でたたき台を作れ」とまでは言わなくても、最低限、前提条件くらいは出すべきです。
後出し修正は、要件未定義ロンダリングである
曖昧な指示で作業を始めると、後出し修正が増えます。
最初は「いい感じで」と言う。
部下が解釈して作る。
後から「そうじゃない」と言う。
また直す。
また条件が増える。
最後に「理解が浅い」と言う。
これは、かなり不健全です。
本来、未定義だった要件が、部下の理解不足として処理されています。
これを 要件未定義ロンダリング と呼びます。
つまり、
管理側が定義していないことを、部下の責任にすり替える構造です。
後出し修正がすべて悪いわけではありません。
仕事では、途中で方針が変わることもあります。
しかし、その場合は、
- 何が変わったのか
- なぜ変わったのか
- 追加工数はどれくらいか
- 期限は変えるのか
- 優先順位は上げるのか
- 誰が判断したのか
を明確にする必要があります。
これをしないまま修正だけ増えると、現場は疲弊します。
たたき台を出すときの防御文
たたき台を作る人は、最初に線引きを入れるとよいです。
たとえば、次のように書きます。
まず方向性確認用のたたき台として作成しました。
実装範囲・担当者・判断者・期限については、この内容をもとに確認できればと思います。
または、
たたき台は作成できます。
ただ、目的・対象・成果物・期限・判断者・優先順位が未定義のままだと手戻りが大きくなるため、先に確認させてください。
さらに強く言うなら、
方向性確認用の資料として作成します。
実装する場合は、担当範囲・工数・優先順位を別途確認したいです。
この一文があるだけで、たたき台から実装責任者へ自動変換されるリスクを下げられます。
部下に依頼する前の要件定義テンプレート
## 依頼前チェック
### 1. 目的
なぜやるのか:
### 2. 対象
誰向けか:
### 3. 成果物
何を出せば完了か:
### 4. 期限
いつまでか:
### 5. 判断者
誰がOKを出すか:
### 6. 優先順位
既存業務より優先するか:
### 7. 制約
使える時間・人・ツール・NG事項:
### 8. 担当範囲
依頼する範囲:
依頼しない範囲:
### 9. 実装可否
たたき台だけか:
実装まで含むか:
### 10. 変更時の扱い
後から条件が変わった場合、期限・工数・優先順位を見直すか:
このテンプレートを埋めるだけで、かなり手戻りは減ります。
AIにたたき台を作らせるなら、人間の前提入力が大事
AIを使えば、たたき台作成はかなり速くなります。
会議メモ、音声、箇条書き、雑なメモから、
- 目的
- 対象
- 論点
- 未定義
- 確認事項
- 比較案
- 出力形式
- DOCX / PPTX / XLSX / TXT / Markdown
まで整理できます。
ただし、AIを使う場合も、前提が必要です。
「いい感じにして」だけでは、AIも人間もズレます。
AIに投げるなら、最低限これを入れます。
目的:
対象:
成果物:
期限:
判断者:
優先順位:
制約:
出力形式:
人間に丸投げする前に、AIで前提整理する。
これだけでも、思いつき外注はかなり減らせます。
まとめ:「部下が動かない」の前に、要件を定義しよう
部下が動かない。
主体性がない。
たたき台が出てこない。
いい感じにならない。
そう感じたとき、まず見るべきは部下の能力だけではありません。
依頼する側が、必要な要件を出しているかです。
- 目的
- 対象
- 成果物
- 期限
- 判断者
- 優先順位
- 制約
- 担当範囲
これが未定義なら、部下は動きにくいです。
「いい感じで」は指示ではなく願望です。
「若い人向けに」は方針ではなく雰囲気です。
「まずたたき台で」は、実装責任まで含むとは限りません。
たたき台を出す人には価値があります。
曖昧な思いつきを、判断できる形に変換しているからです。
だからこそ、たたき台作成・レビュー・実装・責任範囲は分けるべきです。
部下を動かしたいなら、まず要件を定義する。
それが、手戻りを減らし、主体性を潰さず、たたき台搾取を防ぐ第一歩です。

