韓国は豊かになったのに、なぜ教育・就職・住宅の競争が終わらないのか

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韓国は、もはや「国が貧しいから、全員が生きるために猛烈に働かなければならない社会」ではない。購買力平価で調整した平均賃金は日本と同水準か、それを上回る年もあり、輸出産業の生産性も大きく上昇した。それでも教育、就職、昇進、住宅取得、結婚、子育てをめぐる競争は弱まっていない。むしろ、国が豊かになった後の方が、生活のあらゆる場面が順位競争に変わったように見える。

この矛盾を理解するには、競争の目的が変化したと考える必要がある。貧しい時代に争われるのは、食料、住居、安定収入などの絶対的な不足である。豊かになった社会で争われるのは、首都圏の便利な住宅、上位大学、大企業や公的部門の安定職、良い学区、昇進しやすく長時間労働の少ない職場といった、数が簡単には増えない「良い席」だ。

全員の所得が上がっても、首都圏の土地が二倍になるわけではない。上位大学の社会的評価が全大学へ均等に配られるわけでもなく、大企業の安定職が全員分生まれるわけでもない。所得が増えると、各家庭が教育や住宅へ投入できる金額も増えるため、受験対策、資格、語学、身だしなみ、住宅価格、子どもへの投資水準まで上がる。経済成長は生活物資を豊かにしても、位置をめぐる競争を終わらせない。場合によっては、競争の参加費を引き上げる。

教育・雇用・住宅・結婚が一本の階層ルートになっている

韓国では、教育、仕事、住宅、結婚が別々の問題ではなく、次のような一本の経路として結びつきやすい。

良い教育環境
→ 上位大学
→ 大企業・公的部門などの安定職
→ 首都圏への定着
→ 住宅取得
→ 結婚・子育て
→ 親世代と自分の老後保障

大学、企業、文化、医療、資産価値が首都圏へ集中すれば、首都圏に入ること自体が階層上昇の条件になる。良い学校区の住宅は高くなり、住宅を持つ親の資産が塾、受験、留学、就職準備へ変換される。すると、親の住宅資産が子どもの学歴と就職へ影響し、子どもの所得が再び住宅取得へ戻る。教育競争と住宅競争が相互に増幅する。

私教育についても、各家庭が単独でやめにくい。社会全体では過剰だと分かっていても、周囲が塾や受験対策を続けている状態で、自分の家庭だけ支出を減らせば、自分の子どもだけが不利になる可能性がある。全員が少しずつ多く投資しても順位はほとんど変わらないが、一家庭だけ降りれば順位が下がる。この状態は経済学的に「悪い均衡」と表現できる。

学歴競争の根本には、就職後の落差がある

学歴への執着は、単なる見栄や国民性ではない。大企業・正規職と、中小企業・不安定雇用との間で、賃金、福利厚生、企業内教育、雇用安定、昇進、住宅購入能力に大きな差があれば、最初の大学と最初の就職の意味が重くなる。

この場合、資格取得、語学試験、就職浪人、インターン、退勤後の自己啓発は、「もっと成功したい」という攻めの努力だけではない。「一度下側へ入ると戻れないかもしれない」という転落回避の努力になる。競争を楽しんで走っているのではなく、止まったときの落差が怖くて走っている。

1997年以降の企業再編と雇用不安は、会社が一生守ってくれるという期待を弱めた。一方で、安全な職の数は限られたままだった。その結果、「後から立て直せばよい」よりも、「最初から失敗しない側へ入らなければならない」という考えが強くなった。

家族が小さな福祉国家・銀行・介護事業者になる

韓国の家族責任を、「全員が伝統的な親孝行を絶対視している」と説明するのは不正確である。若い世代では、親の老後は親自身や社会制度が担うべきだという意識も強まっている。しかし、価値観が変わっても、高齢者の所得保障、介護、住宅、医療が十分でなければ、現実には家族が穴を埋める。

親は子どもの大学、就職準備、住宅、結婚、孫の世話を支援する。子どもは将来、親の生活費、介護、通院、手続き、住居を支える。支援は双方向だが、家族全体を一つの長期的な共同会計として扱うことになる。

そのため、結婚は二人の共同生活だけでなく、双方の親、住宅ローン、介護、将来の子ども、教育費、感情労働まで含む経済単位になりやすい。「愛する相手を支える」という話が、気づけば複数世帯の最終保証人になる話へ膨張する。

なぜ、構造を理解している人まで走り続けるのか

バーンアウト、過剰競争、ガスライティング、境界線、自己責任論などを使って社会を説明できる人は、単に疲れているだけではない。仕事、家事、健康、運動、食事、睡眠、親孝行、恋愛、育児、趣味、自己啓発を全部足したら、人間一人が維持できる量を超えると抽象化している。

ただし、理解することと脱出することは別である。自分だけ昇進を断る、自分の家庭だけ塾をやめる、自分だけ住宅を買わない、自分だけ親への支援を限定すると、現実の不利益が発生することがある。構造を理解していても、個人の選択だけでは安全に降りられない。

むしろ理解力があるほど、「これは全員で順位を維持するための消耗戦ではないか」と分かってしまう。それでも参加しなければ生活上の損失があるため、無自覚に走る人より苦しくなる場合さえある。

いつまで走るのか――人々は競争ではなく人生イベントから降り始める

経済成長が一定水準に達したら、社会が自然に「もう十分だから休もう」と判断することはない。企業は成長を求め、住宅と人気職は有限で、周囲が走れば個人も不安になる。

競争を弱めるには、良い仕事と悪い仕事の待遇差を縮め、失敗後の再教育・再就職を可能にし、首都圏以外へ大学と仕事を分散し、賃貸でも老後まで安定して暮らせるようにし、子どもの将来が親の住宅資産と塾代で大きく決まらない制度を作る必要がある。

それが進まない間、人々は別の方法で止まり始める。結婚を遅らせる、子どもを持たない、家を買わない、昇進を望まない、長期の就職準備後に労働市場から休む、国外へ移る、といった形である。

これは単なる怠惰ではない。競争の参加費が高すぎるため、人生イベントそのものを購入しないという退出反応だ。過剰競争の終点は、全員が勝者になることではなく、競技に参加する人が減ることかもしれない。


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