※本稿は、京都・大阪などの地域イメージを題材にしたネット上の言葉遊びを、方言・語用論・笑いの文化という観点から整理した記事です。「京都人は全員嫌味」「大阪人は全員乱暴」といった地域ステレオタイプを事実として扱うものではありません。公開投稿の固有アカウント名や一般人の個人情報は載せず、例文は匿名化・一般化・再構成しています。
1. 京都人、しゃべるたびに殺意を疑われる
ネット上の京都人は大変である。
「今日はええ天気ですねぇ」
と言えば、
「天気の話しかできないって意味か?」
と疑われる。
「お早うございます」
と言えば、
「早い? 来るの早すぎた!? こんな時間から来はるんですねぇ、の省略!?」
と受信側が勝手に緊急解析を始める。
「一年目なのに立派やなぁ」
と普通に褒めれば、
「あ、先輩って京都の人でしたよね……うるさかったですか? すみません」
と謝られる。
もう京都人本人が何を言ったかより、受信側の頭にある「京都=婉曲な嫌味」という辞書のほうが強い。
その結果、
京都人「普通に褒めました」
他県民「その“普通に”も何か含んでる?」
京都人「含んでません」
他県民「否定が早い。怪しい」
という、一度疑われたら永久に脱出できない推理ゲームが始まる。
最終的には、
京都人「……」
他県民「無言!? ついに見限られた!?」
になる。
ここまで来ると、京都人は発話どころか呼吸にまで含意を付けられる。
しかし、もちろん現実の京都で全員が一日中こんな会話をしているわけではない。旅行で京都へ行っても、ほとんどの人は店員に案内され、料理を食べ、寺社を見て、そのまま帰る。「ぶぶ漬けでもどうどす?」と退去命令を食らう確率より、普通に営業時間を告げられる確率のほうが圧倒的に高い。
では、なぜこんな巨大な「京都人=笑顔の暗殺者」という像ができたのか。
面白いのは、完全な無から生まれたわけでも、額面通り事実でもないところにある。
2. 京ことばは「真逆を言う言語」ではない
ネット京都語を雑に理解すると、
本音「仕事遅い」
→ 京都語「仕事早いですね」
のような、反対語変換機だと思われがちだ。
でも、これはだいぶ違う。
よく挙げられる形は、
本音「仕事に時間がかかっている」
→「えらい丁寧なお仕事ですねぇ」
である。
ここでは「遅い」の反対である「速い」を言っていない。
経路は、
時間がかかる
→ 丁寧にやっているとも解釈できる
→ その“丁寧さ”を取り出して言う
→ 文脈によって「もう少し早いと助かる」が含意される
となる。
つまり単純な反転ではない。
問題行動の近くにある、肯定的に言える性質へ意味をずらす。
ここが難しい。
「季節の話しかしない人」に対して、
×「季節の話ばっかりしてはりますなぁ」
では、ほぼそのままだ。語尾を京都っぽくしただけで、弾頭がむき出しである。
それっぽくずらすなら、
○「ほんま季節の移ろいによくお気づきで」
くらいになる。
本音は「また季節の話かよ」なのに、
季節の話が多い
→ 季節の変化をよく観察している
→ 観察力を褒める
という一段遠い場所へ着地する。
ここで初めて、受け手に
「ありがとう……ん?」
という遅延ダメージが発生する。
この「一度、褒められる要素へ言い換えてから、文脈に本音を運ばせる」という構造こそ、ネットで京都風皮肉を作るときの重要部分である。
ただし、これも「京都人なら全員こう言う」という意味ではない。京都市公式の京ことば紹介も、京ことばの奥行きや控えめな表現を紹介しているが、「京都では常に反対の意味を読み取れ」と教えているわけではない。[1]
3. 「猫みたい」は罵倒なのか――疑いすぎると褒め言葉まで燃える
京都ステレオタイプが極まると、普通の褒め言葉まで解体される。
たとえば、魚をとてもきれいに食べた人へ、
「ほんま綺麗に食べてくれはって、猫みたい」
と言ったとする。
京都偏見フィルターを最大にすると、
猫
→ 人間扱いしていない?
→ 食べ方を監視されていた?
→ これは義実家からの警告?
→ 追放イベント開始?
と、勝手に話が育つ。
しかし「猫みたい」が、かわいい、きれいに食べる、上品に食べる、といった連想で本当に褒めとして使われている可能性も当然ある。
この例が重要なのは、
「京都人の肯定表現は全部、裏では否定」
という攻略法が成立しないことだ。
もし全部逆なら簡単である。
「素敵ですね」→嫌い
「よくできました」→ダメ
「また来てください」→二度と来るな
と機械的に反転すればいい。
しかし現実の会話はそんな暗号表ではない。
同じ肯定表現でも、
- 本当に褒めている
- やんわり困りごとを伝えている
- 冗談を言っている
- 皮肉として刺している
- 単なる社交辞令
が全部あり得る。
必要なのは、単語ではなく、
文脈 × 関係性 × 声色 × 直前の出来事 × その人の普段の話し方
である。
つまり京都語攻略法だと思っていたものが、最終的には普通の人間コミュニケーションへ戻ってくる。
難しいわけである。
4. 同じ「今、釣りに行ってるんちゃう?」なのに、大阪だけ笑って京都だけ怒って見える
ネット上で非常に完成度の高いネタに、
「注文した刺身、来るの遅いな」
に対して、
大阪人「今、釣りに行ってるんちゃう?」
京都人「今、釣りに行ってるんちゃう?」
というものがある。
一文字も違わない。
なのに受信側の脳内字幕は違う。
大阪版:
「遅すぎるやろ。まあネタにしたろ」
京都版:
「注文から何分経ってると思ってはるんでしょうね?」
同じ文章なのに、話者の出身地ラベルだけで感情が勝手に生成される。
ここで面白いのは、京都人が何も追加していないことである。
京都人「今、釣りに行ってるんちゃう?」
受信側「怒ってる……」
京都人「なんで?」
受信側「京都だから」
偏見の自家発電。
さらに大阪側に、
「せやな、活きが良すぎて逃げたんちゃうか」
「網忘れたんちゃう?」
「船まだ帰ってこんのかな」
と返させると、京都側が仮に不満を含めていたとしても、全部ボケとして回収される。
京都「さぞかし新鮮なお魚を食べさせてくれはるんやろねぇ」
大阪「せやな! まだ泳いどるかもしれん!」
察してほしい側と、全部笑いにする側。
もし本当にこういう二人がいたら、攻撃判定が永遠に成立しない。
京都側の我慢だけが蓄積し、大阪側は「今日めっちゃ会話弾むな」と思っている。
もちろんこれも地域ステレオタイプのコントである。ただ、大阪については「笑い」が芸能だけでなく日常生活・会話文化にも織り込まれているという社会学的な議論が実際にある。[3]
だからネタの土台になる文化的イメージはある。しかし「大阪人なら脅し文句も全部冗談」「京都人なら肯定文も全部攻撃」と一般化した瞬間、研究ではなくキャラクター設定になる。
5. エセ京都人の作り方――悪口に「はります」を付けただけ
京都ネタを見続けると、自分でも京都風の嫌味を作りたくなる。
そして大体、一回目は失敗する。
本音:
「季節の話しかしねぇな」
エセ京都:
「季節の話ばっかりしてはりますなぁ」
これは京都婉曲ではない。
標準語の悪口に京都っぽい語尾を装着しただけである。
同様に、
「話長いな」
→「えらい話長うしてはりますなぁ」
「自慢ばっかりだな」
→「自慢ばっかりしてはりますなぁ」
「人のこと見すぎ」
→「人のことよう見てはりますなぁ」
全部ほぼ直球である。
これはもはや京都というより、お局か姑が京都旅行から帰ってきた状態だ。
本当に一段ずらすなら、
「話長い」
→「ほんま一つのお話を大事にしはるんですねぇ」
「自慢ばかり」
→「ほんまご自身のお話、よう覚えてはりますなぁ」
「他人のミスばかり見る」
→「ほんま周りのこと、よう見てはりますなぁ」
となる。
ここでは必ず、
嫌な行動
→ その行動を長所として言い換えるなら何か
→ その長所だけ褒める
という変換が入る。
即興でやると普通に難しい。
頭の中で、
本音を抽象化
→ 関連する長所を探索
→ 適度に丁寧化
→ 刺さりすぎない距離へ調整
→ 相手が察せるだけの文脈を残す
という処理が必要になる。
会話のたびに国語の記述問題を解いている。
だから、エセ京都人はだいたい途中で面倒になって、
「あんた、うるさいどすなぁ」
まで戻る。
婉曲どこ行った。
6. 「まだ生きてはったん?」は京都風なのか――殺意が隠れていない
ネットでは「京都っぽく『死ね』と言うなら?」という大喜利まで発生する。
そこでよく出るのが、
「まだ生きてはったん?」
である。
確かに直接「死ね」とは言っていない。
しかし意味は、
「お前まだ生きてたの?」
なので、殺意がほぼ玄関に立っている。
遅効性ではない。
0.2秒で届く。
「はったん」を付けたことで京都らしく見えるが、実質は、
標準語「まだ生きてたの?」
→ 京都風語尾「まだ生きてはったん?」
である。
やはり弾頭がむき出しだ。
もっとネット京都皮肉の変換原理に寄せるなら、
死んでほしい
→ 長生きしている
→ 健康・長寿は本来めでたい
→ そこを褒める
として、
「ほんま、お達者で何よりですなぁ」
くらいまで離したほうが、それっぽい。
受け手は一瞬、
「健康を気遣ってくれている?」
と思い、
数秒後、
「待て。なんで今それ言った?」
となる。
これが遅延式。
「まだ生きてはったん?」は即着弾式。
同じ悪口でも兵器体系が違う。
7. 心の中の京都人――他人を査定する人を、さらに査定する装置
京都ネタの中でも特に便利なのが「心の中に京都人を飼う」という発想である。
たとえば誰かが、
「箸の持ち方で育ちがわかる」
「太っている人は自己管理ができない」
「その年齢でその服はどうなの」
「その仕事でその年収?」
など、他人を細かく査定しているとする。
そこで正面から、
「人のこと見すぎだろ」
と言う代わりに、心の京都人が出てくる。
「まあ、人さまのお箸までよう見てはりますなぁ。えらいお育ちええことで」
「他人さまのお体までよう管理してはりますなぁ」
「人さまのお召し物までよう気ぃ配ってはるんですねぇ」
「よそのお財布までようご存じで」
表面は肯定。
中身は、
「お前、他人のこと査定しすぎ」
である。
ここまで来ると、伝統的な京ことばを忠実に再現しているというより、ネット上で発達した上品な反射型皮肉装置である。
相手が他人を品評する。
こちらは、その「品評する行為」を長所っぽく再記述する。
相手が「育ち」を語る。
こちらは、その人自身の「お育ち」を褒め返す。
論理を奪わず、そのまま風呂敷に包んで玄関へ返送する。
強い。
ただし、これを何にでも使い始めると危険である。
同僚「今日暑いね」
心の京都人「季節の変化によくお気づきで」
いや、誰も悪いこと言ってない。
全発言へ皮肉を生成し始めたら、もう「京都人は何を言っても裏がある」という偏見を自分の内面に実装しただけになる。
8. 京都・お局・姑・人格否定型――悪口の基本ソフトは似ていて、出力だけ違う
ここで面白くなるのが、京都婉曲ネタと「お局」「姑」のステレオタイプである。
中で動いている処理は、案外似て見える。
自分の基準から外れた行動を発見
→ 気になる
→ 評価する
→ 相手にも気づいてほしい、または第三者と共有したい
ただし、出力形式が違う。
京都婉曲型:
「えらい丁寧なお仕事ですねぇ」
意味: 時間がかかっていることに気づいてほしい。
お局型:
「まだそれやってるの?」
意味: 遅い。
姑型:
「まあ丁寧ねぇ。うちではそんなに時間かけなかったけど」
意味: 遅い+うちの基準では普通ではない。
人格否定マシマシ型:
「まだそれやってるの? 普通は分かるでしょ? 前にも言ったよね? 考えて仕事してる?」
意味: 遅い+能力が低い+学習しない+姿勢も悪い。
もう料理で言えば、
指摘
+常識
+能力評価
+人格評価
+「普通は」
+「前にも言った」
の全部乗せ。
殺意マシマシ定食。
この差は重要である。
婉曲表現は本来、直接ぶつける摩擦を弱めるためにも使える。
ところが「普通は分かるでしょ?」型は、直接言っていない部分まで相手の能力不足として回収する。
「説明していないけど、普通なら分かる」
→ 分からない
→ 「あなたが普通ではない」
となる。
同じ「察して」でも、
角を立てず伝えたい
と、
察せなかった責任まで相手へ乗せたい
はまったく違う。
悪口の出力装置が違うだけに見えて、実際には攻撃性も目的も違う。
9. 他人の食べ方を監視する人――なぜ自分から不快材料を回収しに行くのか
飲食店で、遠くの席の人の箸、口の開け方、姿勢、服装まで観察して、
「あの食べ方見て」
「ああいう人って育ちが分かる」
と実況する人がいる。
もちろん、こちらの席まで響くほど大きな咀嚼音がある、店員へ怒鳴っている、こちらの食事へ実害がある、という話なら別である。
しかし自分に関係のない席を観察して、自分で不快になり、さらに同行者へその不快を配るとなると、
他人の食事
→ 本人は普通に食べている
→ 観測者が不快材料を発見
→ 観測者が腹を立てる
→ 同行者へ悪口として配布
という流通経路になる。
ここで最も省エネルギーな返答は、
「見なきゃいいのに」
である。
わざわざ本人を矯正しに行く必要もないし、観察者へ説教して二次戦争を始める必要もない。
観測
→ くだらない
→ 飯を食う
で終了。
一方、心の京都人を起動すると、
「よう皆さんのお食事まで見てはりますなぁ」
となる。
これは高度な包装をされた、
「知らんがな」
である。
10. ぶぶ漬け伝説――「お茶漬け=帰れ」が強すぎて善意まで誤検知する
京都ステレオタイプの王様が「ぶぶ漬け」である。
京都ではお茶漬けを「ぶぶ漬け」と呼ぶことがあり、
「ぶぶ漬けでもどうどす?」
と客に勧めるのは、
「そろそろ帰ってください」
の婉曲表現だ、という有名な話がある。
ところが京都市公式観光サイトは、この「ぶぶ漬け=帰れ」を有名な“ぶぶ漬け伝説”として紹介しつつ、実際に経験したという話は聞いたことがない、としている。[1]
さらに、本来は、
「大したものはないけれど、ぶぶ漬けでも食べてゆっくりしていってください」
という控えめなもてなしだったとも説明している。[1]
つまりネットでは、
普通の食べ物
→ 控えめなもてなし
→ 退去を促す婉曲表現という逸話
→ 京都人の象徴
→ 京都でお茶漬けを出されたら即座に逃げろ
まで進化している。
その結果、本当に善意で出された場合、
家主「ぶぶ漬け、どうぞ」
客「帰ります!!!!」
家主「え、ご飯……」
という事故が起きてもおかしくない。
京都偏見が強くなりすぎると、善意の誤検知率が上がるのである。
「京都は裏を読め」という知識が、「京都では字面を信じるな」という過剰警戒へ変わる。
すると「猫みたい」も、「立派やなぁ」も、「お早うございます」も、全部攻撃に見えてくる。
もはや防犯装置が強すぎて住民本人が家へ入れない。
11. 「殺すぞ」が“京都なのに直接的”と笑われる逆転現象
2024年10月、京都府警のトップが業務中に部下へ「殺すぞ」と発言した問題では、国家公安委員会がパワーハラスメントとして長官訓戒とし、異動措置を了承したことが公式会見で確認できる。[4]
現実の出来事としては、笑い話ではない。
ところがネットでは、そのニュース見出しに対して、
「京都なのに直接的すぎる」
というツッコミが大量に発生した。
この一行だけで、京都ステレオタイプがどれだけ共有されているか分かる。
普通なら、
「殺すぞ」=強烈な暴言
で終わる。
しかし「京都」のラベルが付いた瞬間、
「もっと婉曲に言うのでは?」
という架空の言語規範が召喚される。
そこで大喜利が始まる。
「えらい長生きしてはりますなぁ」
「お達者で何より」
「ずいぶん丈夫なお方で」
など、直接的な殺意を健康・長寿への賞賛へ変換する遊びになる。
ここでも重要なのは、実際のハラスメントと、地域ステレオタイプを使った言葉遊びを区別することだ。
現実の暴言は暴言。
そのニュースを見た人々が「京都ならもっと回りくどいはず」と想像した部分はネット文化。
両者を混ぜると、「関西ならこのくらい挨拶」という雑な免罪まで生まれる。
冗談としては面白くても、職場で部下へ暴言を吐くことの評価とは別である。
12. 大阪だけ文字列の攻撃力が下がる謎
さらに逆方向の偏見が大阪に発生する。
京都:
「ええ天気ですねぇ」
→ 何か怒っているのか?
大阪:
「しばくぞ、ボケ」
→ 仲良さそう。
文字列だけ見れば完全に逆である。
ネット上の大阪人は、強い言葉ほど「ツッコミ」「誇張」「冗談」として補正される。
京都は肯定文へ殺意補正。
大阪は攻撃文へ冗談補正。
結果、
京都人「ほんま元気そうで何よりですなぁ」
周囲「殺される!?」
大阪人「何しとんねん、しばくぞ!」
周囲「楽しそう」
という治安判定になる。
もちろん現実には、強い言葉は関係性・場面・声色によって普通に怖いし、脅迫的発言が地域によって無害になるわけではない。
それでも大阪の「笑い」が生活文化や会話に深く関わるという研究は存在する。[3]
だから受け手が、
「これは怒鳴っているのではなく、ボケとツッコミの枠かもしれない」
と判断しやすい文化的土台は考えられる。
ただし、ここでも万能翻訳は危険だ。
大阪人が怒って「しばくぞ」と言っているのに、
「大阪だから挨拶だな」
と受信したら、それはそれで通信事故である。
京都は裏読みしすぎる事故。
大阪は冗談読みしすぎる事故。
方向が逆なだけで、どちらも話者よりステレオタイプを信じると壊れる。
13. 「はる」は皮肉を作る魔法の接尾辞ではない
エセ京都語で便利に使われるのが「〜はる」である。
「釣りに行ってはるんちゃう?」
「よう見てはりますなぁ」
「まだ生きてはったん?」
確かに京都らしさが一気に増したように感じる。
しかし「はる」そのものが皮肉を意味するわけではない。
国立国語研究所の研究では、京都市方言の「ハル敬語」は、単純な目上への尊敬語だけでは説明できない広い待遇表現として分析されている。話し相手への尊敬だけでなく、第三者への待遇などにも関わる。[2]
つまり、
はる=嫌味
ではない。
それなのにネットでは、
普通の悪口
+「はる」
=京都の高度な嫌味
という錬金術が行われる。
「うるさい」
→「よう喋ってはりますなぁ」
「まだ生きてるの?」
→「まだ生きてはったん?」
これでは方言の語尾を付けただけで、婉曲の仕事をしていない。
だからこそ「ド直球殺意エセ京都人」が面白い。
見た目だけ京都、内部はお局。
14. 関西でなぜここまでキャラクターが分かれるのか
関東側から見ると、京都・大阪・神戸・奈良・滋賀・和歌山をまとめて「関西」と呼びがちである。
しかし近距離に歴史の違う都市圏・地域社会が密集しており、当然、言葉も一枚岩ではない。
京都の待遇表現。
大阪の会話と笑い。
神戸を含む兵庫の言い回し。
奈良・滋賀・和歌山の各地域方言。
さらに同じ府県内でも世代・地域・家庭・職場によって違う。
京都から大阪は現代の交通では近い。それでも、ネット上では、
京都: 肯定文なのに攻撃判定
大阪: 攻撃文なのに冗談判定
という真逆のキャラクターまで育った。
これは「関西弁」という一語の粗さをよく表している。
方言は語尾だけではない。
単語、アクセント、敬語、相づち、会話の速度、冗談を入れる位置、相手との距離感まで含む。
だから「関西人ならこうしゃべる」と一つにすると、京都からも大阪からも訂正が飛んでくる。
関西というフォルダの中に、互換性の怪しい通信規格が複数入っている。
15. 京都人と関東人で心理戦ゲームをしたら、嘘ではなく通信齟齬で全滅する
ここまで来ると、京都人と関東人を心理戦ゲームへ入れたくなる。
ルールは「相手の発言の真意を読め」。
京都人「ええカード選ばはりましたなぁ」
関東人「ありがとうございます!」
京都人「……」
審判「そのカードを選んだので失格です」
関東人「褒めたんじゃないんですか!?」
京都人「いや、ほんまに褒めただけです」
関東人「どっち!?」
さらに、
京都人「今日はええ天気ですねぇ」
関東人「帰れってことですか?」
京都人「天気の話です」
関東人「その説明も含意ですか?」
ゲームの本質が、嘘を見抜くことから、
相手がどの通信規格でしゃべっているか判定すること
へ変わる。
大阪人まで入れるとさらにひどい。
京都人「さぞ慎重に考えはったんでしょうねぇ」
大阪人「せやねん、三日考えたわ!」
京都人「……」
大阪人「なんや、褒めすぎやろ!」
婉曲な不満がボケとして吸収される。
最終的に誰も嘘をついていないのに全員が相手を疑う。
敗因:文化差。
これは誇張ネタだが、現実の会話でも、含意の強さ、冗談の期待、丁寧さの解釈が共有されていないと齟齬は起こる。
「言った内容」だけでなく、「なぜその言い方を今したのか」を互いに違う前提で読むからだ。
16. 本当に京都で会話するときの攻略法――攻略しようとしすぎない
結局どうすればいいのか。
一番安全なのは、
京都人だから裏がある、と決めつけないこと。
婉曲な言い回しに出会ったら、普通の会話と同じように文脈を見る。
- 直前に何が起きたか
- 相手は本当に困っていそうか
- 声色はどうか
- 普段からこういう話し方か
- こちらへ具体的な行動変更を求めていそうか
- 単なる雑談・褒め・冗談の可能性はないか
分からなければ、普通に確認する。
「急いだほうがいいですか?」
「ここで大丈夫ですか?」
「それ、褒めてもらってます?」
これでいい。
京都人を特殊な暗号民族として扱い始めると、
「お早うございます」
→ 早すぎた?
「お疲れさまです」
→ 疲れて見える?
「お気をつけて」
→ 二度と来るな?
「また来てください」
→ 二度と来るな?
と、すべての道が“帰れ”へ通じる京都ローマ帝国が完成してしまう。
現実の人間はそこまで一貫したキャラクターではない。
17. まとめ――京都人は殺意の塊ではない。ネットが字幕を付けている
今回の一連のネタをまとめると、面白さの中心は「京都人が怖い」ことではない。
むしろ、
受信側が京都人を怖がりすぎて、普通の発言まで攻撃へ変換してしまう
ところにある。
実在するもの:
- 京ことばの独特な待遇表現
- 「はる」の広い使われ方
- 控えめ・婉曲な言い方
- ぶぶ漬けをめぐる有名な伝説
- 大阪の生活文化と笑いの結びつき
- 関西内部の方言・会話文化の違い
ネットで巨大化したもの:
- 京都人は褒めるとき必ず悪口を言っている
- 京都人の一言には必ず裏がある
- 「はる」を付ければ高等な皮肉になる
- 大阪の強い言葉は全部ただの挨拶
- 関西人は全員同じ通信規格
そしてネット京都人の皮肉生成法を一言で言えば、
悪口をそのまま丁寧語にするのではなく、問題行動から“褒められる隣接属性”を探し、そこだけ上品に褒める。
だから、
「季節の話しかしねぇな」
→ ×「季節の話ばっかりしてはりますなぁ」
→ ○「ほんま季節の移ろいによくお気づきで」
となる。
前者はエセ京都お局。
後者は遅効性。
ただし、その技術を覚えたからといって、現実の京都人の発言を全部そこへ突っ込んではいけない。
京都人「一年目やのに立派やなぁ」
新人「すみません、うるさかったですか?」
京都人「普通に褒めたかっただけやねん」
ここが一番おもしろい。
婉曲表現の文化がある
→ ネットで誇張される
→ 京都人は全部皮肉だと思われる
→ 本当に褒めても謝られる。
京都ステレオタイプ、ついに本人へ逆流。
京都人が殺意の塊なのではない。
我々の脳内字幕が殺意マシマシなのである。
参考資料(4件)
- 京都市公式観光サイト「『おこしやす』≠『おいでやす』!?奥深い京ことばの謎」
https://plus.kyoto.travel/entry/kyokotoba - 辻加代子「京都市方言・女性話者の『ハル敬語』」国立国語研究所学術情報リポジトリ
https://repository.ninjal.ac.jp/record/2085/files/kk_ngkgk_010_03.pdf - 井上宏「大阪の『笑いの文化』について―大阪人の生活文化と笑い」『関西社会学会年報』
https://www.jstage.jst.go.jp/article/ksr/5/0/5_KJ00008433922/_article/-char/ja/ - 国家公安委員会「国家公安委員会委員長記者会見要旨(2024年10月4日)」
https://www.npsc.go.jp/pressconf_2024/10_04.htm
