ある4歳児が、生まれてくるきょうだいの名前を考えた。
女の子なら、普通に人名らしいかわいい名前。
では男の子なら?
「シュポシュポ機関車マン」
人名から急にヒーロー番組の新キャラへ転職した。
さらに別の幼児は、自分について「違う名前がよかった」と打ち明けた。親が「今の名前が嫌だったのか」と緊張して希望を聞くと、答えは、
「ドラゴンバスター」
だった。
別の子は弟候補として**「熊太郎」**を何度も提出した。
この辺まで来ると、子どもに命名案を聞くことは、商品企画会議に怪獣博士を一人入れるようなものである。
発想力は無限。
本番投入権限だけ渡してはいけない。
そして、この光景を見ていると、なぜ法律が未成年者の重要な契約を大人とまったく同じ扱いにしていないのか、妙に直感的に分かった気になる。
もちろん、ここはネタと法律を分ける必要がある。
民法5条の未成年者取消権は「ドラゴンバスターを防ぐ法律」ではない。
だが、面白い提案を出す能力と、長期の結果責任を単独で引き受ける能力は別物という制度設計の感覚は、驚くほどよく見える。
1. 4歳児の命名基準は「今いちばん強そう」が勝ちやすい
大人は名前を見ると、無意識に未来を何枚も重ねる。
保育園の名札。
学校の出席簿。
病院の呼び出し。
就職面接。
名刺。
結婚式。
役所。
そして60歳になった本人。
ところが幼児の提案は、もっと現在に強い。
「これ、かっこいい」
「これ、強そう」
「これ、好き」
だから「ドラゴンバスター」は、幼児の価値基準の中ではむしろ合理的ですらある。
ドラゴンを倒せる。
普通の名前より明らかに戦闘力が高い。
何が悪い。
問題は、名前がゲームの装備名ではなく、本人が社会で何十年も使う識別子だという一点である。
「山田ドラゴンバスター」と仮定してみる。
先生「山田ドラゴンバスターくん」
病院「山田ドラゴンバスターさーん」
面接官「山田ドラゴンバスターさんですね」
定年後「山田ドラゴンバスター様」
名字が普通であればあるほど、後半の火力が上がる。
2. 幼児が未来を考えられないわけではない――ただし長期シミュレーションは発達途中
ここで「子どもは何も考えていない」とするのも雑だ。
発達心理学では、3〜4歳ごろの子どもでも将来の出来事について話したり、将来必要になるものを選んだりする能力が観察されている。一方で、特定の未来場面を心の中で組み立てて、その状態を現在の選択に反映する能力は幼児期を通じて発達していく。
つまり、
4歳児は未来を持っていないのではない。未来の解像度と距離が、大人と同じではない。
「弟が明日生まれる」は想像できても、
「弟が38歳で取引先に自己紹介する」
まで一気にシミュレーションする義務を4歳児へ負わせるのは酷だ。
だから「ドラゴンバスター」は幼児側の失敗ではない。
むしろ大人側に、幼児の創造性ではまだ担当できない長期予測部門が必要になる。
3. そこで急に民法5条が身近に見えてくる
日本の民法5条では、未成年者が法律行為をするには原則として法定代理人の同意が必要で、同意を欠く法律行為は取り消せるとされている。単に権利を得たり義務を免れたりする行為などには例外がある。
2022年4月1日から成年年齢は18歳なので、現在は原則として18歳未満がこの「未成年者」に当たる。
ここで重要なのは、命名と未成年者取消権は直接つながっていないことだ。
4歳児が弟を「シュポシュポ機関車マンにします」と宣言しても、その宣言が民法5条で取り消されるわけではない。
そもそも4歳児に弟の法的な命名決裁権がない。
つまりこの場面は、
子ども「シュポシュポ機関車マンで決裁します」
家族「案として受領します」
制度「お前に最終決裁権はない」
で終わる。
それでも民法5条を連想したくなるのは、未成年者保護の考え方に、判断能力が成長途中の人へ、長期・高影響の法律行為を完全な単独責任で背負わせないという発想があるからだ。
子どもの発想力を否定する話ではない。
決裁権の話である。
4. 「実在するヤバい名前一覧」は、ネットではかなり危ない
ここから「じゃあ実際にものすごい名前の人はいるのか」と検索すると、ネットは急に魔境になる。
漢字と読みを組み合わせた「伝説のキラキラネーム」が大量に出てくる。
しかし、本人の戸籍、報道、裁判記録などへたどれず、出典が「昔見た」「掲示板にあった」「ランキングサイトに載っていた」だけのものも多い。
だから本稿では、実在確認が弱い珍名を、実在人物の名前として並べない。
面白さのために知らない誰かの名前を捏造するのは、名前の記事として一番やってはいけない。
公的資料で確認しやすい代表例は、1993年に東京都昭島市で「悪魔」とする出生届をめぐって起きた事件だ。文化庁の国語分科会資料にも、届出、市の照会、不受理をめぐる争い、家庭裁判所での審理が紹介されている。
重要なのは、「珍しい文字だから駄目」だけで終わらなかったこと。
親の命名と、子どもの福祉・社会生活が衝突し得るという問題が、公的に争われたのである。
5. 2025年からは、名前の「読み」も戸籍の制度に入った
日本では2025年5月26日、改正戸籍法の施行により、氏名のフリガナが戸籍の記載事項になった。
そしてフリガナには、
「氏名として用いられる文字の読み方として一般に認められているもの」
という規律が設けられている。
法務省が示す、認められないと考えられる例はかなり分かりやすい。
- 「太郎」を「ジョージ」「マイケル」と読む
- 「健」に対応する読みへ、まったく別の語を足す
- 「高」を反対の意味になる読み方にする
- 「太郎」を「ジロウ」として別人と誤解させる
さらに、差別的、卑わい、反社会的など社会通念上相当でない読み方も認められないと説明されている。
つまり、漢字へ好きな効果音を振って、
「太郎(読み:ドラゴンバスター)」
のように完全分離させる方向は、現在かなり厳しい。
戸籍もとうとう「その読み、どこから来た?」と聞くようになった。
6. では「ドラゴンバスター」をカタカナで正面突破したら?
ここが面白い。
子の名に使える文字は漢字だけではない。
戸籍法施行規則上、ひらがな・カタカナも使える。
法務省資料では、長音記号「ー」も子の名に用いることができる文字として扱われている。
したがって、
「ドラゴンバスター」がカタカナだから、その一点だけで即座に使用不可
とは言えない。
ただし逆も重要だ。
カタカナなら何を書いても必ず受理される、という意味ではない。
命名権の濫用や社会通念、個別の戸籍実務などが問題になり得るため、特定の奇抜な名前について「絶対登録できる」とは断言できない。
つまり「漢字を無理やりドラゴンバスターと読ませる」より、文字と読みを一致させたカタカナ表記のほうが少なくともフリガナ規律上は話が単純になる。
単純になるだけで、人生まで簡単になるとは誰も言っていない。
7. 全員の反対を押し切って出生届を出したら「現代の走れメロス」
想像してみよう。
親族「本当にやめたほうがいい」
友人「一晩寝てから考えろ」
祖父母「普通の名前にしてくれ」
窓口「念のため確認しますが……」
親「私は決めた。ドラゴンバスターと」
そして出生届を握りしめて走る。
信念だけ見れば、ほぼ現代の『走れメロス』である。
ただし決定的な違いがある。
メロスの信念の代償を主に払うのはメロス本人だ。
子どもの法的な名前では、長期コストの大部分を払うのは別人である子どもだ。
だから「周囲に反対されても貫いた」は、それだけでは美徳にならない。
粘り強さの評価は、
誰の権利を使い、誰が失敗コストを払うのか
で変わる。
ドラゴンを倒す前に、外部性を倒してほしい。
8. 「親が小学生のまま」より正確に言うなら何が起きているのか
奇抜な名前を見ると、
「親の精神年齢が小学生なのでは」
と言いたくなる。
ネタとしては分かる。
ただ、説明としてはもう少し分解できる。
問題になりやすいのは、例えば次のような組み合わせだ。
- 今の面白さ・かわいさ・かっこよさを強く評価する
- 「人と違う」を価値として重く置く
- 名前を本人の公共的識別子より、親の作品として扱う
- 10年後、30年後、60年後の利用場面をあまり試さない
- 周囲の反対を「古い価値観の圧力」とだけ解釈する
- 後で変えればいいと、改名のコストを軽く見る
つまり、知能を丸ごと幼児扱いするより、
現在の自己表現に対して、他人が負う将来コストを安く見積もっている
と考えたほうが精密だ。
幼児が「ドラゴンバスター!」と言うのは年齢相応。
大人がそのまま戸籍へ出荷するところから品質保証の問題になる。
9. 「ショートスリーパージュニア(睡眠8時間32分)」が示すもの
ここで架空の名前をもう一つ考える。
ショートスリーパージュニア。
親が「常識に反対されても自分の生き方を実験する」タイプで、その思想を子どもの名前へそのまま埋め込んだとする。
ところが本人は毎晩8時間32分、ぐっすり寝る。
すると、
ショートスリーパージュニア(睡眠8時間32分)
という、名前が毎晩負ける人物が完成する。
このネタの核は睡眠ではない。
自分の生き方を自分で試すことと、自分の思想を別人の恒久的な識別子へ刻むことは違う
という点だ。
自分で奇抜な服を着る。
自分で変わった仕事を選ぶ。
自分で睡眠法を試す。
それは本人が主に結果を受け取る。
しかし子どもの名前は、親が選び、本人が学校・病院・職場・行政手続で使う。
決定者とコスト負担者がずれる。
ここが大きい。
10. 「嫌なら大人になって改名すればいい」は、完全な巻き戻しではない
日本で名そのものを変更するには、家庭裁判所の許可が必要で、「正当な事由」が求められる。
裁判所は一般に、名を変更しないと社会生活で支障を来す場合を「正当な事由」として説明している。単なる好みや気分だけで自由に変更できる仕組みではない。
15歳未満なら、法定代理人が本人に代わって手続を行う。
つまり、
「まあ18歳になったら好きに変えればいいじゃん」
で終わるほどゼロコストではない。
たとえ後で変えられても、
- それまで呼ばれた年月
- 学校や人間関係での説明
- 書類やアカウントの更新
- 旧名との紐付け
- 「なぜ変えたの?」への説明
は時間をさかのぼって消えない。
可逆なのは戸籍上の文字列であって、人生の履歴まで完全に初期化されるわけではない。
これは名前に限らず、他人へ長期影響を与える決定で重要な考え方だ。
11. だから子どものネーミングセンスは、潰さずに置き場所を変えると最強
ここまで書くと、「子どもに名前を考えさせるな」という話に見えるかもしれない。
逆である。
子どものネーミングセンスは強い。
「シュポシュポ機関車マン」
「ドラゴンバスター」
「熊太郎」
大人が会議を三時間やっても出せない語感が一瞬で出てくる。
だから創造性はそのまま使えばいい。
ゲームの主人公。
ぬいぐるみ。
ロボット。
ペットの愛称。
秘密基地。
家族内の仮称。
作品の必殺技。
ドラゴンバスターは、ハンドルネームならむしろ勝っている。
問題は創造性ではなく、媒体選択である。
消せる場所では暴れていい。
本人が何十年も背負う場所だけ、大人が止める。
12. 結論:子どもは命名の企画部、大人は本番承認担当
4歳児が「ドラゴンバスターになりたい」と言うのは、かなり健全な4歳児感がある。
強い。
かっこいい。
ドラゴンを倒せる。
採用理由が明快だ。
大人がやるべきなのは、
「そんな名前を考えるな」
ではない。
「企画としては100点。戸籍投入は却下」
である。
名前を本番投入する前に、最低限こう試せる。
- 学校、病院、就職、役所、老後でフルネームを声に出す。
- 親の趣味や思想を、本人が将来拒否できる余地があるか考える。
- 「目立つ」利益と、本人が毎回説明するコストを分ける。
- 後から変更できることを、最初から雑に決める免罪符にしない。
- 爆発的な名前は、まず愛称・作品名・ゲーム名で試す。
未成年者取消権は、もちろん命名のための制度ではない。
それでもこの一連の話を見たあとだと、
「重要なことを子どもの単独決裁にしない仕組み、そりゃ要るわ」
という感覚だけは異様に腹落ちする。
子どもは提案する。
大人が長期影響を確認する。
そして「シュポシュポ機関車マン」は、家族史に残る最高のボツ案として永久保存する。
それがたぶん、一番みんな幸せである。
