皿洗い中に話しかけられる。
水の音で聞こえない。手は濡れている。一度水を止める。作業を止める。聞き返す。相手は悪気なく、かなりどうでもいい小ネタを言う。
このとき、イライラの正体は「会話が嫌い」だけではないかもしれない。
もっと正確に言うと、これは生活割り込みコストの問題だ。
話しかけた側にとっては、ただの5秒の雑談かもしれない。けれど、話しかけられた側には、作業停止、聞き返し、モード切り替え、再開までのコストが発生している。
つまり、嫌なのは愛情でも会話でもない。
起きている間ずっと何かしら処理している人の生活スレッドを、勝手に一時停止されることがしんどいのだ。
「話しかけられるのが嫌」では解像度が低い
家事中に話しかけられてイライラする話は、よく「会話が嫌」「相手に冷たい」「夫婦仲が悪い」みたいに雑に処理されがちだ。
でも、実際にはもう少し細かい。
たとえば、次の4つは別物である。
| 状態 | 中身 |
|---|---|
| 人が嫌 | 相手そのものと関わりたくない |
| 会話が嫌 | 雑談や言語コミュニケーション自体が負担 |
| 判断要求が嫌 | 「ご飯どうする?」など毎回の決定が負担 |
| 割り込みが嫌 | 今やっている処理を止めさせられるのが負担 |
この中で、皿洗い中・料理中・作業中のイライラは、かなりの割合で「割り込みが嫌」に近い。
会話そのものが嫌なら、落ち着いて座っているときの雑談も全部嫌になる。けれど実際には、タイミングが合えば話せる人も多い。
問題は、相手の話したいタイミングで、こちらの処理が強制停止されることにある。
起きている間ずっと何かしている人は、空白時間が少ない
ここがかなり重要だ。
「今、何もしてないでしょ?」と見える時間でも、本人の中では何かしら動いていることがある。
- 漫画を読んでいる
- アニメを見ている
- ゲームをしている
- 音楽を聴いている
- 記事ネタを考えている
- 仕事の違和感を整理している
- 買い物や家事の段取りを考えている
- ただ回復するために脳を休ませている
外から見ると「暇そう」に見えても、本人の中では処理が走っている。
特に、考えることが習慣になっている人、創作や記事化が好きな人、ゲームや漫画やアニメをただ消費するだけでなく考察対象として見る人は、起きている間の多くが何らかの処理時間になる。
だから、話しかける側が「ちょっと話しただけ」と思っていても、受ける側からすると、常時稼働している処理に横から割り込まれた感覚になる。
これは一人が好きというより、
自分の処理を勝手に中断されない生活が好き
と言った方が近い。
皿洗い中の雑談がしんどい理由
皿洗い中の会話が妙にイラつくのは、条件が悪いからだ。
皿洗い中は、普通の会話よりもコストが高い。
- 水の音で聞こえにくい
- 手が濡れていてすぐ動けない
- 泡や油で手を止めにくい
- 一度水を止める必要がある
- 聞き返す必要がある
- 聞いた内容が重要とは限らない
- その後、元の作業に戻る必要がある
相手は「話しかけただけ」かもしれない。
でも、こちらは「作業停止ボタンを押された」状態になる。
これが毎日積み重なると、内容がどうでもいいほど腹が立つ。
「パペットスンスンのおじいちゃん72歳」みたいな情報は、水を止める価値がある日もある。笑える日もある。
でも、こちらが赤ゲージの日に毎回それをやられると、キッチンで猿が銅鑼を鳴らしているのと同じになる。
研究で見ても、タスク切り替えはタダではない
心理学やHCI、人間とコンピュータの相互作用の研究でも、タスク切り替えや割り込みにはコストがあるとされている。
American Psychological Association は、マルチタスクと呼ばれる行動の多くは実際にはタスクの切り替えであり、切り替えのたびに心的な再設定が必要になると説明している。また、短い切り替えでも積み重なると時間や効率に影響することがあるとされる。[Multitasking: Switching costs][apa-multitasking]
Gloria Mark らの研究では、割り込みを受けた人は作業を速く進めることで補償する一方、ストレス、フラストレーション、時間的プレッシャー、努力感が高まったと報告されている。[The Cost of Interrupted Work][mark-2008]
別の研究では、職場で中断されたタスクに戻るまで平均で約23分かかるという先行研究が紹介されている。ただし、この数字をそのまま家庭の皿洗いに当てはめる必要はない。大事なのは、「中断は数秒で終わるように見えても、元の状態に戻るコストは見えにくい」という点だ。[Focused, Aroused, but so Distractible][mark-2015]
Sophie Leroy の「attention residue(注意残余)」の研究も参考になる。これは、あるタスクから別のタスクに移っても、前のタスクの注意が頭の中に残り、次のタスクへの集中を邪魔するという考え方である。[Why is it so hard to do my work?][leroy-2009]
つまり、家事中の一言は、単なる一言ではない。
場合によっては、頭の中の作業机を一度ひっくり返されるようなものになる。
「会話が苦手」なのではなく「同期通信が重い」のかもしれない
ここで大事なのは、自分を雑に「コミュ障」と決めつけないことだ。
本当に会話が苦手な場合もある。けれど、実際には同期通信が重いだけかもしれない。
同期通信とは、相手のタイミングに合わせて、その場ですぐ返事をするコミュニケーションのことだ。
- 今話しかけられる
- 今聞き取る
- 今返す
- 今判断する
- 今リアクションする
これが重い。
一方で、非同期ならそこまで重くない人もいる。
- LINEで後から返す
- メモで共有する
- 食後にまとめて話す
- 「今いい?」と確認してから話す
- 選択肢を出してもらって答える
これは、会話が嫌いというより、勝手に割り込み権限を取られるのが嫌という話に近い。
電話が苦手な人にも似ている。電話は、相手の都合でこちらの処理を止める同期通信だからだ。
同居でしんどくなるのは「大事件」より「小さい割り込み」
同居や結婚生活で意外と削られるのは、大きな事件だけではない。
むしろ、毎日飛んでくる小さな割り込みがしんどい。
- ご飯どうする?
- お風呂まだ?
- これどこ?
- ねえ聞いて
- ちょっと来て
- これ見て
- 今なにしてるの?
- なんで返事しないの?
ひとつひとつは小さい。
だから、言われた側も「こんなことでイライラする自分が悪いのか?」と思いやすい。
でも、これは小さい問題ではない。
小さい割り込みが、生活の主導権を細かく奪ってくるのが問題なのだ。
1回だけなら笑える。
毎日、何十回も、こちらの状態を確認せずに入ってくると、生活の中に小型の猿会議が乱立する。
相手が悪人とは限らない
ここはフラットに見たい。
話しかける側が悪意を持っているとは限らない。
むしろ、次のような動機の場合もある。
- 一緒に暮らしているから話したい
- 面白いことを共有したい
- つながっている感じがほしい
- ただの習慣
- 自分は中断コストを感じにくい
- 相手も同じように話しかけられて平気だと思っている
だから、いきなり「こいつは猿」と決めつけなくていい。
ただし、説明しても何度も同じことをする場合は別だ。
「水使ってる時は聞こえないから、後で話して」
「作業中は一回『今いい?』って聞いて」
「ご飯の相談は、選択肢を2つ出してくれると助かる」
こういうミニルールを出しても、相手が「冷たい」「会話くらいよくない?」で押してくるなら、生活OSが合っていない可能性がある。
対策は「話すな」ではなく「割り込み方を決める」
解決策は、無言生活にすることではない。
必要なのは、割り込みルールを決めることだ。
1. 水・換気扇・ドライヤー中は話しかけない
聞こえない状況で話しかけると、聞き返しが発生する。
話しかける側が近くに来るか、後に回す。
2. 雑談は後でまとめる
どうでもいい話は悪ではない。
ただ、作業中に差し込むと割り込みになる。
「あとで話すリスト」に置けば、雑談はちゃんと雑談として楽しめる。
3. 判断要求は選択肢付きにする
「ご飯どうする?」は、相手にゼロから考えさせる。
「カレーかうどんならどっちがいい?」の方が軽い。
さらに軽くするなら、
「今日は自分がカレー作るつもり。嫌ならうどんにする」
くらいまで出す。
4. 作業中は「今いい?」を挟む
話しかける前に、まず入口を確認する。
「今いい?」
「終わったら話していい?」
「急ぎじゃないから後でいい」
これだけで、かなり違う。
5. 返事がない=無視ではなく処理中と決める
同居で揉めるのは、返事がないことを「無視」「冷たい」「機嫌が悪い」と解釈する時だ。
最初から、
作業中に返事が薄い時は、無視ではなく処理中
と決めておくとよい。
同居前に見るべき生活OSチェック
恋愛では、甘えられるか、安心できるか、スキンシップが心地いいかも大事だ。
でも、それは第一審査である。
同居や結婚では、第二審査として生活OSを見る必要がある。
チェックしたいのは、たとえばここ。
- 作業中の相手に話しかける前に確認できるか
- 聞こえない場所で話し続けないか
- 家事中の相手に判断を丸投げしないか
- 雑談と緊急連絡を分けられるか
- 返事が遅いことをすぐ愛情不足に変換しないか
- 「今は無理」と言われた時に引けるか
- 相手の一人時間を敵視しないか
- 同居ルールを話し合えるか
ここが合う相手なら、同居はかなり楽になる。
逆に、ここが合わない相手だと、どれだけぬくもりがあっても、毎日の生活で神経が削れる。
ぬくもり欲求と共同生活適性は別審査である。
まとめ:話しかけられるのが嫌なのではなく、勝手に停止ボタンを押されるのが嫌
皿洗い中に話しかけられてイライラするのは、心が狭いからとは限らない。
会話が嫌いだからとも限らない。
起きている間ずっと何かしら処理している人にとって、同意のない声かけは、生活の処理スレッドを強制停止させる割り込みになる。
だから必要なのは、愛情を減らすことではなく、割り込み方を整えることだ。
話したいなら、近くに行く。
聞こえないなら、後で話す。
判断を求めるなら、選択肢を出す。
作業中なら、「今いい?」を挟む。
それだけで、会話は敵ではなくなる。
問題は会話ではない。
勝手に生活の停止ボタンを押されることである。
キッチンに猿が銅鑼を持って突入してくる前に、生活割り込みルールを作っておこう。
