「平気だった」は、安全だったという意味ではない
長時間働いていても、本人は案外平気なことがある。
仕事もできる。
帰宅後にゲームもできる。
休日に転職活動もできる。
運動もしている。
そのため、こう考えやすい。
自分は体力がある。
まだ壊れていない。
運動しているから大丈夫だろう。
しかし、血圧や心拍、睡眠、疲労感などに変化が出てから、初めて気づくことがある。
平気だと思っていただけで、身体はずっと負荷を受けていたのかもしれない。
これは「気合いが足りない」という話ではない。
身体の警報は、本人の主観より遅れて見えることがあるという話である。
長時間労働が身体へ影響する四つの経路
厚生労働省の検討資料では、長時間労働が脳・心臓疾患へ影響する理由として、主に次の点が挙げられている。
- 睡眠時間が不足し、疲労が蓄積する
- 休憩、休息、余暇の時間が制限される
- 疲れていても一定の仕事ぶりを維持するため、心身を無理に動かし続ける
- 仕事上の負荷や作業環境へさらされる時間が長くなる
つまり問題は、単純な労働時間だけではない。
長く働くことで、回復に使える時間が削られる。
さらに、疲れた状態でも判断し、会話し、失敗を防ぎ、成果を出さなければならない。
この「疲れているのに通常運転を続ける」こと自体が、追加のストレスになる。
週五十五時間以上の長時間労働と循環器リスク
WHOとILOの共同分析では、週五十五時間以上働く人は、週三十五〜四十時間の人と比べて、脳卒中リスクが約三五%高く、虚血性心疾患による死亡リスクが約一七%高いと報告されている。
これは「週五十五時間働けば必ず病気になる」という意味ではない。
年齢、体質、睡眠、食事、喫煙、飲酒、仕事内容など、他の要因も影響する。
それでも、長時間労働を単なる根性論で扱えない根拠にはなる。
本人が仕事をこなせていても、長期間続けば身体側のリスクは別に存在する。
運動は有効だが、万能の相殺カードではない
運動は、血圧、体重、ストレス管理に役立つ。
歩く、エアロバイクに乗る、筋力トレーニングをする。
これらは健康上の大きなプラスである。
しかし、運動しているから、長時間労働や睡眠不足の負荷がゼロになるわけではない。
理由は単純である。
運動と回復は、別の役割を持っている。
- 運動は、心肺機能や代謝、血管機能を支える
- 睡眠は、脳と身体の回復時間を確保する
- 休息は、交感神経優位の状態から離れる
- 勤務間の空白は、仕事から心理的に距離を取る
運動をしても、睡眠時間そのものは増えない。
運動をしても、土日出勤で失った休日は戻らない。
運動をしても、仕事、転活、ゲーム、SNSで判断し続けた脳が自動的に停止するわけではない。
したがって、運動は保護要因ではあるが、過重労働を帳消しにする免罪符ではない。
勤務と勤務の間が長いほど、疲労が少なかったという調査
日本の労働安全衛生総合研究所による一か月の観察調査では、常日勤のIT労働者で、勤務終了から次の勤務までの時間が長いほど、次の傾向が見られた。
- 拡張期血圧が低い
- 睡眠時間が長い
- 起床時に前日の疲れが残りにくい
- 仕事時間外に心理的な距離を取りやすい
これは観察研究なので、勤務間隔だけが原因だと断定はできない。
それでも、回復には「運動したか」だけでなく、仕事から離れていた時間がどれだけあったかが重要だと考える材料になる。
高刺激の生活は、休息のように見えても休息ではないことがある
残業が終わった後、楽しいゲームをする。
休日にはAIを使って転職活動を進める。
SNSを見る。
開発する。
記事を書く。
どれも、仕事より楽しい。
本人の感覚では、休息や自由時間に近い。
しかし、身体の活動として見ると、次の要素が共通している。
- 画面を注視する
- 情報を探す
- 次の行動を選ぶ
- 正解と不正解を判断する
- 報酬を期待する
- 失敗を修正する
- 結果を早く出そうとする
つまり、仕事とは種類が違っても、脳は動き続けている。
「苦痛が少ないこと」と「神経系が休んでいること」は同じではない。
ゲームを悪者にする必要はない。
AIを使うことも、転職活動を進めることも悪くない。
問題は、刺激の種類を変えただけで、一日中アクセルを踏み続けている可能性である。
睡眠不足では、夜間に下がるはずの血圧が高止まりする
厚生労働省の健康情報では、睡眠不足が続くと、自律神経やホルモンに影響し、本来は夜間に下がる血圧が高止まりすることが説明されている。
慢性的な睡眠不足は、高血圧や循環器疾患のリスクとも関係する。
そのため、運動量だけを見て「健康的に暮らせている」と判断するのは不十分である。
次の項目をセットで見る必要がある。
- 睡眠時間
- 途中で目が覚める回数
- 起床時の疲労感
- 安静時心拍
- 朝と夜の家庭血圧
- 休日に回復している感覚
- 何もしない時間を苦痛なく取れるか
- 仕事や転職活動が頭から離れる時間があるか
家庭血圧は、一回の数字では決めない
血圧は、時間帯、気温、緊張、運動、カフェイン、食事、排尿、測定姿勢などで変わる。
一回高かっただけで、高血圧症と断定はできない。
日本高血圧学会の一般向け資料では、家庭血圧は五〜七日間以上測り、平均値で判断することが示されている。
家庭血圧で一三五/八五mmHg以上は高血圧の基準になる。
朝は起床後一時間以内、夜は就寝前に測る。
一〜二分座って安静にし、原則二回測って平均を記録する。
大切なのは、「ストレスのせいだろう」と自己判断して終わらせないことである。
若い人でも、腎臓、ホルモン、睡眠時無呼吸、薬剤など、別の原因が隠れていることがある。
受診して、生活習慣の影響と、それ以外の原因を分けてもらう必要がある。
「残業が体に合わない」は、弱さではなく適性情報である
人によって、耐えられる働き方は違う。
長時間労働を続けても大きく崩れない人もいる。
短期間は平気でも、数か月、数年後に不調が出る人もいる。
自分の場合、ずっと残業する働き方は、身体に合わない可能性がある。
運動をしていても、楽しいことをしていても、表面上は仕事をこなせていても、回復不足が積み上がる。
この自己理解は、転職条件に入れてよい。
- 恒常的な残業が少ない
- 休日出勤が常態化しない
- 勤務時間外に連絡が来ない
- 仕事の範囲と優先順位が明確
- 判断を一人で抱え込ませない
- リモートや柔軟な勤務で回復時間を確保できる
- 成果が出ている人へ、さらに仕事を積み続けない
年収だけを上げても、身体が壊れれば採算は悪い。
転職で守るべきものは、給与、自由、時間だけではない。
血圧、睡眠、心拍、回復力も、仕事選びの条件である。
生き方のうまさに、「壊れない」を加える
AIを使って転職活動を圧縮する。
会社の問題を、自分の身体で補填しない。
異動前に不要な新規業務を抱えない。
ゲームも楽しむ。
これらは、生き方としてかなりうまい。
しかし、効率化によって空いた時間を、別の高刺激で全部埋めると、身体側には空白が残らない。
本当の効率化は、一時間で二時間分働くことではない。
一時間で終わらせ、残った一時間を本当に回復へ渡すことである。
生き方はうまい。
だから次は、壊れずに長く使える生き方へ調整する。
内科へ行くという判断は、その調整の最初の一歩である。
原因を自分だけで決めず、数値と経過を医師に渡す。
運動していることも、残業が続いていたことも、高刺激の生活が長かったことも伝える。
「まだ動けるから大丈夫」ではなく、「動けるうちに点検する」。
そのほうが、人生全体では効率がよい。
