ヨルシカの2枚のアルバムを、物語として読む

ヨルシカの楽曲は、単体でも成立する。

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はじめに

ヨルシカの楽曲は、単体でも成立する。

爽やかなメロディ、夏、雨、花、海、夕暮れ、喪失。物語の設定を知らなくても、音楽として聴ける。だから『だから僕は音楽を辞めた』を初めて聴いた際、「エルマって何だ」と思ったままでも曲は成立する。

しかし、2019年に発売された1stフルアルバム『だから僕は音楽を辞めた』と、2ndフルアルバム『エルマ』は、公式に続編関係にあるコンセプトアルバムである。

前者は、音楽を辞める青年がエルマへ向けて作った楽曲と手紙。後者は、その手紙に影響を受けたエルマが、青年の訪れた土地をたどりながら作った楽曲と日記である。

曲単体でランキングに上がるほど聴きやすいのに、背景を調べると急に激重になる。そこがこの2作の異常な強さである。

1. 公式に確認できる基本構造

まず、解釈ではなく公式に確認できる範囲を整理する。

『だから僕は音楽を辞めた』

ヨルシカ公式は、このアルバムを「音楽を辞めることになった青年が“エルマ”へ向けて作った楽曲」14曲を収録した作品と説明している。

初回限定盤は、青年がエルマへ向けて書き溜めた手紙、歌詞、訪れた街の写真などを木箱に収めた「エルマへ向けた手紙」再現BOX仕様だった。

つまり、アルバム自体が青年からエルマへ送られた記録物として設計されている。

『エルマ』

『エルマ』は公式に前作の続編とされている。

前作の主人公である青年から届いた手紙に影響を受けたエルマが、14曲を手掛ける。初回限定盤は、青年が訪れた土地をエルマがたどって撮影した写真と、その旅で綴った日記帳を再現した仕様である。

したがって2作は、

青年がエルマへ残す
↓
エルマが青年の足跡をたどる

という往復構造になっている。

2. エイミーは男で、エルマは女なのか

一般には、青年をエイミー、もう一人をエルマとして読む。

公式の商品説明では「前作の主人公の青年」と「エルマ」という表現が用いられているため、少なくとも物語の中心が青年とエルマであることは確認できる。

一方で、二人の関係を単純に「恋人」と断定する際には慎重さが必要である。歌詞や手紙から強い特別性、愛情、執着は読み取れるが、どのような関係名で固定するかは作品の余白に属する。

つまり、安全な整理は次の通りである。

  • エイミー側:音楽を辞める青年
  • エルマ側:青年の手紙を受け取り、足跡をたどる人物
  • 二人は互いの創作と人生に深く影響した
  • 恋愛関係の細部や呼称には解釈の余地がある

3. 全体ストーリー

第1段階:青年が音楽に行き詰まる

青年は音楽を作っている。

しかし、才能、評価、金銭、創作の純粋性、自分が音楽を作る意味に苦しむ。音楽を愛しているからこそ、音楽に耐えられなくなっていく。

ここで重要なのは、「音楽が嫌いだから辞める」という単純な話ではないことだ。

好きだから比較する。
好きだから才能の差が苦しい。
好きだから売れるための形に変わることが許せない。
好きだから、自分が作る資格まで疑う。

タイトルの「だから」は、明快な一つの理由ではなく、アルバム全体に散らばった矛盾の集積である。

第2段階:エルマへ手紙と音楽を残す

青年はエルマへ向けて、手紙、歌詞、楽曲、写真を残す。

そのため、『だから僕は音楽を辞めた』は、表面上は音楽家の挫折の物語でありながら、聴感上はエルマへの語りかけが非常に強い。

「音楽よりエルマのことを考えているように聞こえる」という感想は自然である。

青年にとって音楽は、成功のための道具である前に、エルマへ何かを届ける手段になっている。音楽を辞めると言いながら、最後まで音楽を残す矛盾も、エルマに届かせるためだと考えると理解しやすい。

第3段階:青年が帰ってこない

物語上、青年はエルマの元へ通常の形では戻らない。

ここを「自殺」と一語で断定して要約すると、作品が残している余白を潰す危険がある。死や喪失を強く示す読みは広く存在するが、歌詞だけ、通常盤だけ、限定盤資料まで含めた場合で得られる情報量が異なる。

確実に言えるのは、エルマが青年を喪失し、その不在を抱えたまま旅へ出ることだ。

第4段階:エルマが同じ土地をたどる

エルマは、青年が残した手紙、写真、楽曲を手掛かりに、彼が訪れた土地をたどる。

そして青年の影響を受けた楽曲を書く。

ここでエルマは、単に観光地を巡っているわけではない。青年が見た景色を自分の目で見て、青年が使った言葉や旋律を自分の中で再構成し、彼が何を考えていたのかを追体験しようとする。

旅は調査であり、追悼であり、模倣であり、創作の開始でもある。

4. 二枚はどのように対応しているのか

ファンの考察では、曲名、季節、情景、言葉、音楽的モチーフの対応が細かく検討されてきた。

代表的に意識されやすい組み合わせは次の通りである。

『だから僕は音楽を辞めた』側 『エルマ』側 見える対応
藍二乗 憂一乗 題名、音、数の構造
八月、某、月明かり 夕凪、某、花惑い 季節・時刻・自然描写・「某」
踊ろうぜ 神様のダンス 踊り/ダンス、創作と神
六月は雨上がりの街を書く 雨晴るる 雨と、その後の景色
夜紛い 心に穴が空いた 残す側の言葉と、残された側の欠落
エルマ エイミー 相手の名前を冠した曲
だから僕は音楽を辞めた ノーチラス 去る側の終点と、追う側の終点

ただし、すべての対応関係を公式確定事項として扱うべきではない。作品が続編であり、エルマが青年の影響を受けて曲を作ったことは公式情報である。一曲ずつの厳密な対応や細部の意味は、歌詞、日記、手紙、ライブ演出を用いた解釈に属する。

5. 「エイミー」は音楽の歌より、エルマを思う歌に見える

『エイミー』を曲名だけ見れば、エルマが青年を呼ぶ曲と考えるのが自然である。

この曲を聴くと、抽象的な音楽論より、特定の一人への思いが前面にあるように感じられる。二作全体を知ると、音楽は主題でありながら、同時に二人の間の通信手段でもあることが分かる。

青年は音楽に絶望する。
しかしエルマへ音楽を残す。
エルマは青年を失う。
しかし青年の音楽を模倣することで、自分の音楽を書き始める。

つまり二作は、

音楽を作っていた青年が、音楽を辞めて去る物語
と
その青年を失ったエルマが、音楽を始める物語

の対になっている。

ただし、エルマが青年から完全に自立したのか、それともなお青年の亡霊の中にいるのかは、簡単には決められない。

6. 初見で「エルマって何?」となるのは正常

曲だけ聴いている人には、物語の全容が自動的に伝わるわけではない。

特に初回限定盤には、手紙、写真、日記という大量の補助資料が付いていた。通常盤や配信で曲だけ聴いた人は、固有名詞の意味が分からなくても当然である。

2025年12月には、ヨルシカ公式サイトで『だから僕は音楽を辞めた』の手紙と『エルマ』の日記が公開された。現在は当時の限定盤を持っていなくても、公式資料へアクセスしやすくなっている。

初見時の体験は、だいたい次のようになる。

  1. 「エルマって何だ」
  2. 曲が良いので、そのまま聴く
  3. 『エルマ』という続編があると知る
  4. 青年とエルマの構造を知る
  5. 曲を聴き直す
  6. 爽やかな曲だと思っていた景色が、すべて喪失の風景に変わる

この再解釈まで含めて、作品体験になっている。

7. なぜ物語が分からなくても売れたのか

『エルマ』が高いランキングに入ったからといって、購入者全員が青年とエルマの設定を完全に理解していたわけではない。

むしろ、この二作は情報を二層に分けている。

表層

  • 強いメロディ
  • suisの歌声
  • 夏や雨の鮮明な情景
  • 単曲としての感情
  • 印象に残るタイトル

深層

  • 青年の手紙
  • エルマの日記
  • 二作の対応
  • 模倣と創作
  • 喪失した人物の足跡をたどる旅
  • 音楽を辞める者と始める者の反転

表層だけでもヒットできる。深層を知ると、もう一度アルバムを聴き直したくなる。

物語を理解しなければ楽しめない作品ではなく、理解すると同じ曲が別の曲に聞こえる作品なのである。

8. 『花に亡霊』など単独曲との違い

ヨルシカには、喪失や記憶を扱う曲が多い。

『花に亡霊』も、単純な陽気な夏曲ではなく、過去、記憶、不在の誰かを思う切なさがある。ただし、『だから僕は音楽を辞めた』『エルマ』のように、二枚のアルバム、手紙、日記、旅程、固有名詞が連動する激重の長編設定とは性質が違う。

したがって、重さには種類がある。

  • 『花に亡霊』:一曲の中にある記憶と喪失
  • 『詩書きとコーヒー』:創作や関係の摩耗
  • 『だから僕は音楽を辞めた』『エルマ』:二人の人生と創作を二枚で描く長編物語

ヨルシカを「爽やかな曲」とだけ認識していると、二枚の設定を知った時の落差が大きい。

9. 考察でよく問題になる点

青年の最期をどこまで断定できるか

死や自死を強く読む解釈はあるが、情報源と表現には注意が必要である。歌詞だけで断定するのか、手紙と日記まで含めるのかで根拠が変わる。

二人は恋人なのか

強い愛情や特別な関係は感じられるが、関係名の固定は解釈を含む。

エルマの創作は模倣なのか

公式上、エルマは青年の手紙に影響を受けている。そこから先に、模倣が追悼なのか、理解なのか、自立への過程なのか、依存なのかという読みが分かれる。

『ノーチラス』の結末

青年を受け入れたのか、幻想の中で追い続けるのか、音楽の中で再会したのか。映像、歌詞、日記をどう重ねるかで解釈が変わる。

これらは「正解を知らない人が多かった」のではなく、作品側が完全に一つへ閉じないよう設計している部分である。

結論

『だから僕は音楽を辞めた』と『エルマ』は、音楽への絶望を描いたアルバムである。

同時に、青年がエルマへ自分を残し、エルマが青年の不在を抱えながら、その音楽を受け継ぐ物語でもある。

初見で「エルマって誰」となる。
それでも曲は良い。
あとから設定を知る。
すると、音楽を辞める話より、エルマへ届ける話に聞こえてくる。
『エイミー』を聴けば、創作論より相手への思いが中心に見える。
二枚を通して聴けば、青年が終わるところからエルマの音楽が始まる。

要約すれば、かなり激重である。

しかし、その激重設定を知らない人のランキングにも単体で上がってくる。その二重構造こそ、ヨルシカの強さなのだと思う。

参考資料(6件)

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