起承転結は物語の自然法則ではなく、情報を整理する一つの型である
起承転結は、もともと中国・唐代に完成した絶句の構成法に由来する。
- 起:詠い起こす
- 承:前を受けて広げる
- 転:場面や見方を転じる
- 結:全体を締める
日本漢字能力検定協会の解説も、起承転結は本来4句の韻文に使われた構成であり、散文へそのまま当てはめるには無理がある一方、テンプレートとして利用できると説明している。日本漢字能力検定協会「文章構成を養う方法〈1〉『起承転結』」
したがって、起承転結がない作品は物語ではない、という話ではない。
三幕構成、序破急、章ごとに目的が変わる連作、日常系、断片的な実験作品など、別の構造でも物語は成立する。
小学館の漫画講座も、起承転結を基本として紹介しながら、絶対に守るものではなく、クライマックス直前から始めたり、承と転を繰り返したりしてよいとしている。小学館 新人コミック大賞「『起承転結』をマスター!!」
では、なぜ何らかの構造が必要なのか。
構造は、出来事を「前後の差」として理解させる
物語では、何かが起きるだけでは足りない。
男が歩いた
敵が現れた
戦った
家へ帰った
出来事は並んでいるが、この戦いが何を変えたのかは分からない。
一方、次のようにすると意味が生まれる。
前:男は危険を見ると必ず逃げていた
↓
誰かを見捨てれば自分だけ助かる状況になる
↓
後:男は初めて逃げずに残る
ここで重要なのは、立派に成長したことではない。
出来事の前後で、人物、関係、状況、または読者の理解に差が生まれたことである。
物語理解の研究では、読者は時間、場所、登場人物、因果関係、人物の意図や目標などを手掛かりに、頭の中の状況モデルを更新すると考えられている。Zwaan、Langston、Graesserのイベント・インデックス・モデルは、物語内の出来事が時間、空間、主人公、因果、意図の次元で結び付けられると説明する。Zwaan, Langston & Graesser, 1995
映画と文章を使った研究でも、人物、場所、物との関わり、目標などが変わる箇所は、出来事の境界として認識されやすい。Magliano & Zacks, 2011
つまり、人間は連続する情報をそのまま受け取っているわけではない。
何が続いているのか。
どこで状態が変わったのか。
なぜ変わったのか。
という単位へ切り分けながら理解している。
起承転結は、この処理を作者側から設計しやすくした型の一つである。
「意味のある変化」は成長やハッピーエンドに限定されない
変化と聞くと、主人公が欠点を克服し、立派な人になる話を想像しやすい。
しかし、物語上の変化にはもっと多くの種類がある。
- 人物の価値観が変わる
- 二人の関係が変わる
- 社会的な立場が変わる
- 目的が達成される、または失われる
- 読者だけが真相を知る
- 主人公は変わらないが、周囲の評価が変わる
- 変えようとしたのに、何も変えられなかったと分かる
- 同じ風景が、最後には別の意味に見える
「何も変わらなかった」という結末も、変化を試みた過程があれば意味を持つ。
最初から最後まで本当に何も変わらず、何の理解も増えず、出来事を削っても結果が同じなら、その出来事は物語の因果から外れている可能性が高い。
因果的につながる出来事は、つながらない出来事より記憶されやすいという古典的研究もある。Black & Bern, 1981
したがって必要なのは、派手な事件ではない。
この出来事を通過したことで、何が以前と同じではなくなったのか。
この問いに答えられることが重要である。
転は「どんでん返し」ではなく、物語の意味や進行方向が変わる地点である
転を、犯人の正体や夢オチのような驚きだけで考えると、構成を誤りやすい。
転には、次のような小さなものも含まれる。
- 主人公が逃げるのをやめる
- 信頼していた人物を疑う
- 敵の目的を知る
- 問題の原因を誤解していたと分かる
- 守る対象が変わる
- 勝利より別の価値を選ぶ
重要なのは、情報量ではなく、それ以降の読み方が変わることである。
転の前後で、読者の予測、人物の目標、行動の意味のどれかが更新される。
「転転転転」は成立するが、転の間に予測を作り直す時間が必要である
毎回ひっくり返る作品は存在する。
しかし、純粋な転だけを連続させると、次のようになる。
犯人は執事だった
↓
執事は双子だった
↓
全部夢だった
↓
主人公は宇宙人だった
一度目は驚く。
二度目から、読者は「次もひっくり返る」と予測する。
すると、反転が通常運転になり、転ではなくなる。
実際に面白い「転転転転」は、細かく見ると次の構造になっている。
新しい状況を理解する
↓
予測を作る
↓
転
↓
転後のルールへ適応する
↓
別の予測を作る
↓
次の転
つまり、転と転の間に、圧縮された起と承がある。
バトルなら、敵の能力が判明した後、その条件を前提に主人公が対策を立てる。その対策が読者に理解されたところで、「敵も対策を読んでいた」という次の転が起きる。
状況を理解する前に次の反転が来ると、驚きではなく雑音になる。
何が起きてもよい。
前の情報を覚える意味がない。
作者が後から何でも変えられる。
と読者が学習した時点で、結果への関心が落ちる。
起承転結が提供するのは正解ではなく、読者の処理時間である
起承転結を機械的に守る必要はない。
それでも、型が長く残ってきた理由はある。
- 起で、何を見ればよいかを示す
- 承で、人物と問題へ投資する時間を作る
- 転で、理解や進行方向を更新する
- 結で、更新後の状態を確認する
これは、作者の都合だけではない。
読者が状況を理解し、予測し、感情を積み立て、変化を受け取り、その結果を咀嚼するための時間配分でもある。
したがって、型を破る場合も、機能まで捨てる必要はない。
時間軸を崩しても、読者が人物と因果を再構成できればよい。
結末を曖昧にしても、何が問われていたかが残ればよい。
転を連打しても、各転の間で新しい予測を作れるようにすればよい。
型の名称ではなく、読者の頭の中で何が処理されているかを見る。
これが起承転結を校則にしないための基本である。
