「子どもいらない」は、冷たい選択なのか
子どもを持たないと言うと、どこか冷たい選択のように見られることがある。
家族を作らない。
責任を避けている。
人生の意味から逃げている。
大人になりきれていない。
そう見られることもある。
しかし、本当にそうだろうか。
子どもを持たない選択は、必ずしも幸福からの撤退ではない。
むしろ、ある人にとっては、自分が大切にする幸せを選ぶことである。
自分が取りに行きたい幸福が、次のようなものだとする。
- 良いパートナー関係
- 安心できる生活共同体
- 孤独の低下
- 自分で決められること・自由
- 甘えられる親密さ、スキンシップ、恋人感
この場合、子どもを持たない選択は、これらを守りに行く選択になりうる。
子どもがもたらす喜びと、暮らしの負担を考える
子どもは、大きな意味や愛着をもたらす可能性がある。
自分より大切な存在ができる。
家族の物語が生まれる。
成長を見守る喜びがある。
自分の人生が次世代につながる感覚がある。
これは大きい。
一方で、子どもは次の資源を大量に使う。
- 睡眠
- 時間
- 金
- 静けさ
- 自由
- 夫婦の恋人感
- スキンシップ余力
- 一人時間
- 挑戦余力
- 考える余裕
- 感情の余白
つまり、子どもは単なる幸福アイテムではない。
暮らしを大きく変える存在である。
大きな意味を生む可能性があるが、同時に生活全体の構造を変える。
子どもを持つ前に、二人の暮らしを話し合いたい
子どもを持つこと自体が悪いのではない。
問題は、夫婦関係や生活設計が弱い状態で、子どもを迎えて生活が大きく変わることである。
すでに次のような不安があるとする。
- スキンシップが少ない
- 甘えられない
- 干渉が強い
- 一人時間が尊重されない
- 家計の考え方が合わない
- 後出しで不機嫌になる
- 挑戦や自由を嫌がられる
- 感情の安全地帯になっていない
自分なら、この不安を抱えたまま子どもを迎えることには慎重になりたい。
睡眠不足になる。
時間がなくなる。
金がかかる。
スキンシップの余裕が減る。
恋人感が後回しになる。
役割分担で揉める。
親族関係も絡む。
つまり、子どもは「関係を救うアイテム」ではない。
子どもを迎える前に、二人で負担を分けられるか話し合っておきたい。
子どもを持たないことは、恋人との暮らしを大切にすること
子どもを持たない場合、自分の幸せを、別の暮らし方で大事にすることもできる。
それは、たとえばこういうことだ。
- 好きな人と、恋人感を長く保つ
- 甘えられる関係を大事にする
- スキンシップの余白を守る
- 自由な時間を持つ
- 一人時間と二人時間を両立する
- 生活コストを軽くする
- 仕事や投資や記事に余力を残す
- 旅行や温泉や外食など、二人で回復できる時間を作る
- 相手の機嫌に支配されない関係を作る
これは、家族を諦めることではない。
家族の形を、自分が大切にしたいものに合わせることである。
子どもいらない=人生を諦める、ではない
子どもを持たない選択は、次のように言い換えられる。
子どもを持たないことで、良いパートナー関係・安心・自由・甘えられる親密さを守りたい。
これはかなり合理的な選択である。
特に、自分の幸福度に強く効くものが、次のようなものならなおさらである。
- 自由
- 安心
- 好きな人
- スキンシップ
- 甘え
- 一人時間
- 干渉されすぎないこと
- 生活のゆとり
- 投資や記事など、自分の世界を伸ばす余白
子どもが嫌いなのではない。
子どもを持つ人を否定しているのでもない。
ただ、自分が大切にしたいものを考えると、まず取りに行くべきものが違う。
それだけである。
