子どもの頃、こう思ったことがある人は意外と多いのではないか。
隕石落ちてくれないかな。
台風で学校休みにならないかな。
世界ごと止まらないかな。
みんなまとめて終わればいいのに。
文字だけ見るとかなり物騒だ。
でも、この感覚は、本当に世界を滅ぼしたいという話ではないことが多い。
むしろ中身はこうだと思う。
自分の力では学校・職場・人間関係を止められない。
でも、この状態はもう続いてほしくない。
だから、自分の外で何か起きて、全部止まってほしい。
つまり、ここには「自分では止められないから、外から何かが起きて止まってほしい」という願いがあるのかもしれない。死にたい気持ちが重なっていることもあり、危険がないという意味ではない。
学校に行きたくない。
職場に行きたくない。
でも、自分では決めて止められない。
休むと言えない。
辞めると言えない。
親に言えない。
先生に言えない。
上司に言えない。
相談しても「みんなそうだよ」と言われる。
そうなると、本人の中から現実的な停止ボタンが消える。
その結果、脳は雑な全消しボタンを出してくる。
隕石落ちろ。
台風来い。
休校になれ。
会社ごと消えろ。
世界ごと止まれ。
これは、危険な考えだと責めるより、今の環境を自分で止められない人の悲鳴として受け止める必要がある。ただし、実際の危険の有無は、その言葉だけで判断しない。
子どもは特にそうだ。
小学校・中学校では、子どもが自分だけで学校を辞めると決めることはほぼできない。
転校も簡単ではない。
クラスも先生も家も選べない。
だから、現実的に離れて休める道が見えないと、自分の外で何かが起きるのを待つことになる。
台風。
警報。
学級閉鎖。
先生の都合。
世界の終わり。
自分では押せない停止ボタンを、外の何かに押してほしくなる。
これは大人でも起きる。
職場がつらい。
でも辞める気力がない。
休むと言えない。
転職活動する余力もない。
相談する気力すらない。
そういう時、人は「会社に行かなくて済む事故」「全部止まる出来事」を願ってしまう。
ここで必要なのは、「そんなこと考えるな」と責めることではない。
必要なのは、こう言い換えることだ。
隕石を待っているということは、自分で押せる停止ボタンが見えていないのかもしれない。
では、小さい停止ボタンは何か。
- 今日は体調不良で休む
- 午前休だけ取る
- 有給を取る
- 学校なら保健室に行く
- 相談窓口に投げる
- 退職代行を使う
- 労働相談に連絡する
- 生活保護や福祉事務所を調べる
- 文章で相談できる道具に「逃げ道を整理して」と頼む
隕石を落とさなくても、1日を止めることはできる。
世界を終わらせなくても、職場との契約は終わらせられる。
人生を終わらせなくても、今の環境は終わらせられる。
これが見えるだけで、かなり違う。
記事で短い呼び名をつけて考えるなら、こうだ。
「隕石落ちろ」の奥に、自分では今の環境を止められず、外から止まってほしいという願いがあるのかもしれない。世界を壊したい、死にたいという気持ちと同じだとも、別だとも、言葉だけでは決めつけない。
これは、笑い話のようでかなり深い。
「隕石落ちろ」と思った自分を責める必要はない。
その奥には、「ここから出たい」「でも出方が分からない」というサインがある。
だから次にやるべきことは、隕石を祈ることではなく、小さい台風を自分で起こすことだ。
