現代は、歴史的に見ればかなり恵まれている。
清潔な水がある。病院がある。抗生物質がある。ワクチンがある。出産時に医師や助産師などの助けを受けられる。飢饉で即死する可能性は低く、戦争に日常的に動員される人も少ない。スマホがあり、文章を書いたり相談に返事をしたりする道具があり、暖かい布団があり、夜でも明かりがある。
平安時代など、今の医療や衛生がなかった頃の生きる難しさから見れば、現代はゲームならズルいほど楽な設定だ。
しかし、それでも現代人は追い込まれる。
「昔よりマシでしょ」
「みんなやってるよ」
「戦争がないだけ幸せでしょ」
そう言われても、今つらい人からすると、こうなる。
いや、比較対象が平安時代でも他人でもなく、俺の今日の生活なんだよ。
これはかなり重要だ。
人間は、「歴史的に恵まれているか」だけで生きているわけではない。
人間は、今この瞬間に、
- 逃げ道が見えるか
- 自分の苦しさを話していい相手がいるか
- 自分は迷惑な存在だと思い込んでいないか
- この状態が変わると思えるか
- 今日だけでも止まれるボタンがあるか
でかなり変わる。
自殺について、人との関係から考える研究では、「仲間がいない、自分の居場所がない」という気持ちと、「自分は周りの負担だ」という気持ちが重なり、それが変わらないと感じることで、死にたい気持ちが強くなると考えている。物が十分にあっても、「自分は誰ともつながっていない」「自分は迷惑だ」「この苦しみは終わらない」と感じると、危険なほど追い込まれることがある。これは死にたい気持ちについての説明の一つであり、この条件だけで個人の危険を判断したり、気持ちがあっても行動には出ないと決めつけたりすることはできない。
ここで大事なのは、現代の苦しさを「贅沢」と切り捨てないことだ。
たしかに、歴史スケールでは贅沢かもしれない。
でも、贅沢だから無効ではない。
昔の主な課題は、感染症・飢饉・出産・乳幼児死亡・戦乱など、身体が死にやすいことだった。
現代の課題は、身体は死ににくくなった一方で、時間・自由・役割・孤独・労働・人間関係で精神が追い込まれることだ。
つまり、現代の問題はこう言える。
死なない社会になった。
でも、生きている時間を誰に使われるかが問題になった。
職場で神経を削られる。
学校で逃げ場がない。
家庭で役割を降りられない。
借金や生活不安で視野が狭くなる。
人間関係の一人の嫌な相手が脳内を占領する。
こういう時、客観的に見れば選択肢があっても、本人の中では「もう行くしかない」「耐えるしかない」「何もできない」になってしまう。
これは甘えというより、逃げ道を探す力が落ちている状態として見た方がいい。
だから必要なのは、説教ではない。
必要なのは、実際に使える逃げ道を、見える形にすることだ。
「死にたい」という言葉を軽く扱わず、その気持ちの中に、何を止めたい、何から離れたいという願いがあるのかも、一緒に探す。たとえば、こういうことかもしれない。
- この職場を終わらせたい
- この学校生活を止めたい
- この人間関係から出たい
- この役割を降りたい
- この借金状態を整理したい
- この家から避難したい
- この孤独感を誰かに受け止めてほしい
人生を終わらせる前に、環境を終わらせる。
契約を終わらせる。
役割を終わらせる。
職場を終わらせる。
学校への行き方を変える。
一日だけ止まる。
そのための仕組みや、助けを頼める人・窓口が現代にはある。
給料を受け取りながら休む日、会社に籍を残してしばらく休むこと、働くことで困った時の相談、生活保護、医師などへの相談、相談窓口、退職を伝えるのを手伝うサービス、友人、家族、文章で相談できる道具、人が返事をするネットの相談。
全部使っていい。
現代の自殺対策に必要なのは、「命を大事にしましょう」という抽象論だけではない。
逃げ道を探す力が、もう一度働くように助けること。
これがかなり大事だと思う。
