「友達がいるなら大丈夫でしょ」
「投稿を見てくれる人、多いじゃん」
「みんな見てくれてるじゃん」
こう言われても、つらい時はつらい。
投稿を見てくれる人が5000人いても、職場に一人うざい人がいたら、その一人が頭の中を占領することがある。
好意的な人が100人いても、否定してくる一人の声が頭の中でぐるぐる繰り返されることがある。
これは人間が弱いからではない。
人間の脳は、危険情報を強く処理する。
安心より危険。
好意より攻撃。
普通の反応より嫌味。
その方が生存には有利だったからだ。
でも現代では、その仕組みがかなりしんどくなる。
ネットへの投稿を多くの人に見られていても、実際に欲しいのは数字ではない。
欲しいのは、こういう相手だ。
今これを言っても大丈夫な相手。
否定せず一回受け止めてくれる相手。
逃げ道を一緒に探してくれる相手。
「みんなそうだよ」で潰さない相手。
自殺について人との関係から考える研究では、死にたい気持ちに、「仲間がいない、自分の居場所がない」という気持ちと、「自分は周りの負担だ」という気持ちが関わるとされる。両方の気持ちが重なり、変わらないと感じることが、死にたい気持ちを強めるという考え方である。
ここでいう居場所や仲間があるという感覚は、友達の人数ではない。
投稿を見てくれる人の数でもない。
「自分はここにいていい」と感じられるかどうかだ。
だから、友達100人というスローガンは、追い込まれた人にはあまり効かないことがある。
必要なのは100人ではなく、安心して話せる1人の相手かもしれない。
また、人に言う前に気持ちを言葉にする場所として、文章で相談できる道具やメモを使うことも考えられる。ただし、それで今の危険を判断したり、人の助けを求めるのを後回しにしたりはしない。
「今しんどい」
「俺の受け取り方、おかしい?」
「これ話聞いて」
「説教いらないから、まず整理して」
これを吐き出せる場所があるだけで、脳内の圧は少し下がる。
もちろん、限界時には人間・医療・相談窓口へつなぐ必要がある。
でもその前段階として、安心して言葉を出せる場所は重要だ。
人間は、数で救われるのではない。
安心して話せる相手との関係が、支えになる。
投稿を見てくれる人が5000人いることより、「それはしんどいね。じゃあ今日どう逃げるか一緒に見よう」と言ってくれる1つの関係。
それが必要な時がある。
