「進学校はいじめが少なかった」は、体験談として十分あり得る
SNSでは、ときどき次のような経験談が語られます。
小学校、中学校、高校、大学と学力水準が上がるほど、性格の悪い人が減った。
進学校ではいじめがほとんどなかった。
学歴が高ければ必ず幸せとは限らないが、周囲の人間関係は楽になった。
これは、完全な妄想とは言えません。
OECDのPISA 2018では、OECD諸国平均で、読解力が国内上位25%の生徒のうち、月に数回以上いじめられたと答えた割合は18%でした。下位25%では31%でした。社会経済的に恵まれた学校の方が、不利な学校よりいじめ被害が少ない国も多く確認されています。[1]
したがって、
- 学力上位校の方が教室が荒れにくかった
- 暴力、物を奪う、授業妨害、露骨な侮辱が少なかった
- 進路や勉強など、別の競争手段があった
- 周囲との会話が通じやすく、過ごしやすかった
という個人の実感には、統計的な傾向と整合する部分があります。
ただし、ここから、
偏差値が高いほど性格の悪い人間が減る
偏差値が低い人は精神的に成長しない
嫌な人がいる学校は本当の進学校ではない
と一般化すると、研究から離れます。
学力と人間性は、同じ変数ではない
PISAが示しているのは、主に学業成績といじめ被害の関連です。
それは、
試験で高得点を取れる
だから共感性が高い
だから誠実で優しい
という因果を証明していません。
学力上位校には、次の要素が同時に集まりやすくなります。
- 家庭の経済的・文化的資源
- 学習習慣
- 将来展望
- 教師や学校の支援資源
- 学校規律
- 入学段階での選抜
- 問題行動による不利益の大きさ
- 似た興味や会話水準の生徒が集まること
- 進学や部活動など、地位を得る別ルート
つまり、観察されているのは「偏差値の効果」だけではありません。
家庭環境、学校風土、選抜、将来の利益、規律、仲間との適合が混ざっています。
高学力者が本質的に善良なのではなく、露骨な攻撃を選ぶ必要性と利益が小さく、失うものが大きい環境なのかもしれません。
小学校から大学までの変化には、年齢効果が混ざる
「小学校から大学へ進むほど嫌な人が減った」という経験には、学力以外に年齢が入っています。
子どもから青年期へ進むと、平均的には身体的な攻撃が減り、衝動統制や将来予測が発達します。11歳から17歳まで追跡した研究でも、いじめ役割には一定の持続性がある一方、身体的ないじめは年齢とともに減少しました。[8]
さらに大学では、高校までと環境が大きく変わります。
- 固定クラスの拘束が弱い
- 嫌な相手と距離を取れる
- 授業やサークルを選べる
- 同じ関心を持つ人とつながれる
- 一人でいても制度上困りにくい
- 教師が生活全体を統制しない
大学で人間関係が楽になった場合、それは「大学生は全員善人だから」ではなく、強制的な接触が減ったからという可能性があります。
学校段階、年齢、学力、交友選択の自由を分けなければなりません。
高学力環境でも、排除や冷笑は残り得る
PISA 2018には、日本について重要な例外があります。
日本では、社会経済的に恵まれた生徒の方が、不利な生徒より、
- 意図的に仲間外れにされた
- からかわれた
と答える割合が高い項目がありました。[1]
この結果だけで「日本の進学校はいじめが多い」とは言えません。しかし少なくとも、
高学力・高所得層の学校なら、あらゆる種類の攻撃が消える
とは言えません。
環境によって減りやすいのは、目立つ攻撃です。
- 殴る
- 蹴る
- 物を奪う
- 大声で罵倒する
- 教室を破壊する
- 公然と脅す
一方で、次の行為は残りやすく、教師からも見えにくくなります。
- 仲間に入れない
- 内輪の情報だけ渡さない
- 本人のいない場所で評判を落とす
- 失敗を繰り返し笑い話にする
- 「冗談が通じない人」と位置づける
- 能力ではなく所属や文化資本で序列を作る
- 正論や知識量を使って相手の尊厳まで削る
これは、攻撃性がなくなったというより、攻撃の単価と発見コストが上がったため、間接的な手段へ移ったと考える方が自然です。
間接的・関係性的攻撃の研究では、噂、仲間外れ、関係操作は、直接攻撃のコストが高いときに、相手の社会的地位や所属を傷つける代替戦略として説明されています。[6]
「中途半端な進学校が一番ひどい」は、面白い仮説だが未証明
SNSでは、
本当の進学校はいじめがない
中途半端な自称進学校が一番陰湿
嫌な人がいたなら、その学校は本物ではない
という話も出ます。
競争圧力、劣等感、校則、学歴不安、順位の可視化が同時に強い学校で、序列争いが激しくなるという仮説は立てられます。
しかし、日本全国の高校を偏差値帯ごとに比較し、
いじめ率は中間帯で最大になる
と示した信頼性の高い大規模研究は、今回確認した範囲では見つかりませんでした。
さらに、「嫌な人がいた」という反例が出るたびに、
それは本当の進学校ではない
と定義を変えると、仮説は絶対に間違わなくなります。
これは証明ではありません。
反例をすべてカテゴリー外へ追放する、反証不能なスラム送りです。
正確な結論は「荒れにくいが、人格保証ではない」
研究と体験談を両立させるなら、次の表現が最も近いでしょう。
学力上位の学校では、露骨な暴力、授業妨害、衝動的な攻撃が少なく、過ごしやすいと感じる人が多い可能性がある。
ただし、それは偏差値が人間性を浄化するからではない。選抜、家庭背景、学校資源、将来展望、規律、交友関係を選べる自由が影響している。
また、排除、陰口、冷笑、関係操作、知的マウンティングのような間接的攻撃は、高学力環境でも残り得る。
「進学校で幸福度が上がった」は十分あり得ます。
「高学歴ほど善人である」は証明されていません。
