仕事でよく聞く言葉に、「どうしましょう?ではなく、こうしますと言った方が進む」というものがある。
この言葉自体は、かなり正しい。仕事は相談だけで止めるよりも、仮説や案を持っていった方が前に進みやすい。特に未定義の業務では、「A案で進めます。問題があれば修正します」という出し方の方が、関係者も判断しやすい。
ただし、この言葉には大きな前提がある。
「こうします」と言えるだけの裁量・権限・決裁ルートがあること。
ここが抜けたまま「もっと主体的に」と言われると、ただの正論ではなくなる。場合によっては、責任だけを下に流す言葉になる。
主体性は、気合いではなく設計の問題
たとえば、ある仕事で未定義の部分を整理し、会議を設定し、撮影や編集まで進めたとする。
この時点で、かなり主体的に動いている。言われた作業だけをこなすのではなく、曖昧な部分を決め、関係者を動かし、成果物に近づけているからだ。
それに対して、返ってくる言葉が「主体的に、どうしましょうではなくこうしますと言えば進みます」だけだと、少し引っかかる。
もちろん、発言単体は正しい。だが文脈によっては、こう聞こえる。
「あなたがもっと主体的に動けば進んだはずです」
しかし実際には、本人がずっと「こうします」で進めようとしてきたのに、上から細かく止められていた可能性もある。マイクロマネジメントで裁量を奪われ、後から「主体性が足りない」と言われる。これはかなりしんどい。
この構造を、私は主体性ロンダリングと呼びたい。
上が決めない。裁量も渡さない。前提も整理しない。けれど、進まなかった理由だけは「下の主体性不足」に変換する。
これは、現場のやる気の問題ではなく、権限設計の問題だ。
「こうします」と言わせたいなら、止めすぎないこと
主体性を求めるなら、最低限セットで必要なものがある。
- 判断してよい範囲
- 決裁が必要な範囲
- 事前確認が必要な相手
- 失敗した時の責任分界点
- 後出しでひっくり返さない合意
これらがない状態で「こうします」と言えというのは、かなり危ない。
なぜなら、現場からすると「勝手に進めたら怒られる」「確認したら主体性がないと言われる」というダブルバインドになるからだ。
つまり、こうなる。
確認すると遅いと言われる。 進めると勝手にやるなと言われる。 止まると主体性がないと言われる。
この職場では、本人の能力以前に、行動の正解ルートが壊れている。
長い会議も、未定義を決めない職場の症状
同じ構造は、災害対応や休みの判断のような場面にも出る。
たとえば台風が来るかもしれない時、本来決めるべきことはシンプルだ。
- どの警報が出たらどうするか
- 出社・在宅・休みの判断者は誰か
- いつまでに連絡するか
- 誰が休んだ時にどう代替するか
- 事前に共通ルールとしてどこに書くか
これを決めれば、次から迷わなくて済む。
しかし、そこで昔の台風の話や、過去のエピソードが長々と続くと、会議は意思決定ではなく安心儀式になる。
私はこれを災害対策風・昔話会議と呼びたい。
安全配慮そのものは大事だ。休む人への確認も必要だ。だが、30分話しても判断基準が残らないなら、それは対策ではなく時間の消費である。
その30分で、現場の人は小さな仕事をいくつも終わらせられる。だからこそ、長い会議に対して「それ、今決めるべきことを決めているのか?」という感覚が出てくる。
フラットに見ると、相手が全部悪いわけではない
ここで一度、冷静に見たい。
「どうしましょうではなく、こうしますと言った方がいい」という助言は、一般論としては正しい。
台風の話も、安全配慮として必要な部分はある。
だから、すべてを悪意として見る必要はない。相手は本当に、仕事を進めるコツや安全上の注意を伝えているつもりかもしれない。
ただし問題は、自分が止めてきた構造や、裁量を渡していない構造に気づかないまま、正論だけを言ってしまうことだ。
正論は、文脈を外すと人を削る。
特に、すでに動いている人に対して「もっと主体的に」と言うなら、その前に見るべきものがある。
本当に主体性がなかったのか。
それとも、主体的に動くたびに止めていなかったか。
裁量は渡していたか。
決裁ルートは明確だったか。
後出しでひっくり返していなかったか。
ここを見ないまま主体性を求めると、現場は疲弊する。
対処法:反撃より、成果と境界線を残す
こういう発言に毎回真正面から反応すると、かなり疲れる。
内心では「うるせえよ」と思ってもいい。むしろ、そう感じるのは自然だ。自分がやってきたことを見ずに、定型の正論だけ返されたら、気に障るのは当然である。
ただし、外に出す言葉は別でいい。
たとえば、こう返す。
ありがとうございます。次回以降も、こちらで整理できる部分は案として持っていきます。判断が必要な部分は、確認事項として明確にします。
この返答なら、相手の正論を否定せず、自分の進め方も守れる。
大事なのは、相手を論破することではない。
自分がやったことを記録すること。 未定義を未定義として残すこと。 裁量がない部分まで背負わないこと。
「主体性がない」と言われそうな場面ほど、むしろ冷静に、判断者・決裁者・自分が担う範囲を明確にした方がいい。
まとめ
主体性は、個人の気合いだけで生まれるものではない。
主体的に動ける職場には、裁量がある。判断基準がある。決裁ルートがある。失敗した時の責任分界点がある。
逆に、それらを渡さないまま「もっと主体的に」と言う職場では、主体性は育たない。育つのは、確認疲れと責任回避の空気だけだ。
「こうします」と言わせたいなら、まず「ここまでは決めていい」を渡すこと。
それがない主体性要求は、ただの主体性ロンダリングである。
