見た目だけなら、古代遺跡から回収された呪文の断片である。
ノート一面に謎の記号。そこへ赤ペンでローマ字らしき文字がびっしり。最後には先生のコメントとキャラクタースタンプ。
ところが中身を解いてみると、書かれていたのはコロナ禍についてのかなり真面目な作文だった。
つまり構造としては、
外装:北欧古代文字っぽい怪文書 本文:日常の大切さを考える真面目な作文 採点者:なぜか3時間半かけて解読を完遂した担任
である。
この話、面白いだけで終わらない。むしろ一番じわじわ来るのは、先生の側に妙な愛があることだ。
1. 何が起きたのか
2020年6月、ルーン文字で書かれた学校作文と、それを赤ペンで解読した担任教師の写真がSNSで大きく拡散した。
報道によれば、課題には日本語以外で書いてもよいという趣旨の記載があり、生徒はそこから「ではルーン文字で」と発想した。教師は突き返すのではなく、文字を区切り、対応するローマ字を書き込みながら解読した。所要時間は約3時間半だったとされる。
そして最後の反応が強い。
要旨をまとめれば、
- 内容自体はちゃんとしていた
- でも次は普通に書いてほしい
- スタンプは生徒ではなく、解読をやり切った自分を褒めるために押した
- そして残業代がほしい
である。
採点というより、ほぼ暗号解読班の業務報告である。
2. 実は「古代北欧語で作文」ではない
ここは少しだけ正確にしておきたい。
ルーンは、古いゲルマン諸語を書くために使われた文字体系である。古フサルクは24文字からなり、名称の「フサルク」は最初の6文字の音価に由来する。
ただし、この作文は日本語の内容を古代北欧語へ翻訳したわけではない。
やっていることは概ね、
日本語 → ローマ字 → ルーン文字へ置換
である。
たとえば「でも」を DEMO とローマ字化し、D・E・M・O に対応する古フサルク系の字形へ置き換える。
だから暗号学的には超難解というより、対応表が分かれば戻せる単純換字に近い。
ただし問題は、一枚全部やられた側である。
一文字ずつ対応を拾って、単語を区切って、日本語として復元する。理屈は単純でも作業量は普通に地獄だ。
3. しかも中身が真面目なのがずるい
さらに面白いのが、復号した本文がふざけていないことである。
写真から読める範囲では、小さなウイルスが起こした世界的な出来事を忘れないこと、何気ない日常の大切さ、感染した人の回復、亡くなった人への思い、友人や先生と過ごす日常が戻ることなどが書かれている。
つまり、
提出方法だけ全力でふざけて、本文は模範的。
先生からすると、途中で「くだらん、書き直せ」と切り捨てづらい。
解いた先にちゃんと作文があるからだ。
これはかなり強い。
4. 「普通に書け」が怒鳴りではなくオチになっている
教師は、形式だけ見れば書き直しを命じても不思議ではない。
それでも実際には、約3時間半かけて読んだ。
そのうえで「普通に書け」と返す。
ここがいい。
ただ甘やかしているわけではない。先生は負担を負担としてちゃんと言っている。「面白かったから何でもOK」ではない。
遊びには付き合う。境界線も出す。
この二つが同時にある。
だからコメントが説教ではなく、先生からの返球に見える。
生徒が「ルーン文字で出したらどうなるかな」というボールを全力投球したら、先生が3時間半かけて拾いに行き、「拾ったぞ。次から普通に投げろ」と投げ返してきた。
そりゃ記憶に残る。
5. キャラクタースタンプにも、妙に生活感がある
画像の下には「がんばったね」系のキャラクタースタンプが押されている。
ここから「先生自身がそのキャラクターの大ファンだった」とまでは言えない。正確な商品名や、誰がいつどんな理由で買ったかも写真だけでは分からない。
ただし、学校や先生向けのキャラクター採点スタンプという商品カテゴリー自体は実在する。現在もポケモンの評価スタンプなどが「学校や先生におすすめ」として販売されている。
だから、
「子どもはこういうキャラクター好きだろうな。押したらちょっと嬉しいかな」と先生が選んでいたのだとしたら、それもいい
という読み方は、少なくとも不自然ではない。
証拠ではなく、あくまで想像だ。
でも、教師の机の引き出しに「よくできました」「がんばったね」の小さなスタンプが入っていて、それを日々の採点でポンと押している光景まで想像すると、妙に人間味が出る。
しかも今回は、その「がんばったね」を生徒ではなく自分に押した。
そこまで含めて完成度が高い。
6. なぜこれに「愛」を感じるのか
ここでいう愛は、もちろん恋愛的な意味ではない。
相手のくだらなさに、一定のコストを払って付き合うことに近い。
教師には、もっと効率的な選択肢があった。
「読めません。書き直してください」で終わる。
それでも読んだ。
しかも内容まで確認し、赤字を入れ、オチまで付けて返した。
時間を使ったという事実は、「あなたのやったことを一応ちゃんと受け取った」という非常に分かりやすいシグナルになる。
ただし重要なのは、愛=無限残業ではないことだ。
毎回すべての生徒の悪ふざけに3時間半ずつ付き合え、という話では絶対にない。
むしろこの先生の返しが気持ちいいのは、
付き合った。笑った。だが次からは普通に書け。
までセットだからである。
7. 研究的にも「関係性」は軽くない
一件のバズ画像から、この先生と生徒の関係性を科学的に診断することはできない。
ただ、教師―生徒関係そのものが学校生活に重要だという研究蓄積はかなり大きい。
2025年の二次メタ分析は、26件のメタ分析、約264万人の幼児期からK-12の生徒を統合し、教師―生徒関係が学業成績だけでなく、学業感情、行動、自己統制、動機づけ、学校への所属感・関与、ウェルビーイングなど幅広い結果と有意に関連していると報告した。
もちろん、これは「ルーン文字を解けば成績が上がる」という研究ではない。
大事なのは、日々の相互作用の中で「自分はこの大人にちゃんと見てもらえている」と感じられる関係が、単なるおまけではないということだ。
ユーモアについても同様で、2025年のレビューは、教育場面のユーモアが注意、動機づけ、感情、関係性にプラスにもマイナスにも働きうると整理している。適切で内容に合ったユーモアは有益になりうる一方、攻撃的・不適切なユーモアは逆効果になりうる。
また、367人の生徒を対象にした2023年の研究では、授業に関連するユーモアの知覚が教師―生徒関係の質や生徒の関与と正に関連していた。ただし観察研究なので、ユーモアが直接原因だと断定はできない。
このルーン作文の件も同じである。
研究は「この先生は愛情深い」と判定してくれる機械ではない。
ただ、ユーモアと関係性が教育の周辺ノイズではなく、実際に研究対象になるほど重要な要素だというところまでは言える。
8. 本当にいいのは「全部許す先生」ではない
この話を「生徒の自由を全部許してくれる先生、最高」で終わらせると少し違う。
先生はちゃんと困っている。
3時間半かかった。
次は普通に書けと言っている。
残業代まで要求している。
つまり、関係性がいいからこそ、負担も言葉にできている。
これはかなり大事だ。
相手に合わせ続けて無言で消耗することと、遊びに付き合いながら「これは大変だったぞ」と返すことは別である。
この先生の返答には、
受容とツッコミと境界線
が同居している。
たぶん、それが「愛を感じる」の正体にかなり近い。
9. 結論:提出形式は反省しろ。でもこの一往復は一生もの
生徒は、課題の一文を見つけてルーン文字へ全力疾走した。
先生は、そこで「はい書き直し」と最短経路を取らず、なぜか3時間半かけて追いかけた。
解読した先には、普通にいい作文があった。
先生はちゃんと読んだ。
そのうえで、普通に書けと突っ込んだ。
そして「がんばったね」のスタンプを、ほぼ自分に押した。
生徒が全力でふざけ、大人が全力で受け止め、最後に大人がツッコミで勝つ。
教育として毎回やるべき方法ではない。
効率も最悪だ。
だが、一度きりの出来事としては強すぎる。
次からは普通に書け。
でもこの一回は、たぶん一生覚えている。
Sources
- grape, 2020, 「課題で作文を提出した高校生 すると、赤ペンだらけで返ってきて…?」 https://grapee.jp/836959
- Store norske leksikon, “runer” / “futhark” https://snl.no/runer
- こどものかお公式通販「ポケモン ミニ☆ポンスタンプ」 https://stampripple.com/view/item/000000004987
- Emslander et al. (2025), “Teacher-student relationships and student outcomes: A systematic second-order meta-analytic review” https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/39928458/
- Zhou & Lee (2025), “Teaching and learning with instructional humor: a review of five-decades research and further direction” https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/39944042/
- Lu'mu et al. (2023), “Perceived related humor in the classroom, student-teacher relationship quality, and engagement” https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/36699271/
