鹿児島城跡って何? 御楼門・石垣・西南戦争を一気に理解する

かなり雑に言えば、その理解は方向としては近い。

読書機能の使い方

聴く:本文を読み上げます。速読:語句を順に表示し、速さを調整できます。語学練習:別の言語版と対訳を読み比べます。保存:このブラウザーにブックマークし、プレイヤーの保存済み一覧から開けます。

この記事をシェア
広告
広告

5秒で結論: 鹿児島城(鶴丸城)は、巨大な天守で敵を迎え撃つタイプの城というより、薩摩藩主・島津氏の居所と政治の中心だった場所。今見るべきものは、2020年に復元された御楼門、妙に凝った石垣、そして1877年の西南戦争で残った銃弾・砲弾の痕跡だ。最初は「石工場跡?」に見えても、歴史をつなぐと急に重くなる。

1. 鹿児島城は「昔の市役所」だったのか

かなり雑に言えば、その理解は方向としては近い。

ただし「市役所」より規模も意味も大きい。鹿児島城は薩摩藩主・島津氏の居城で、薩摩藩の政治の中心だった。今風に寄せるなら、県庁、知事公邸、政治本部を一か所にまとめたような存在である。

鹿児島城は、背後の城山と麓の館を組み合わせた「館造り」の城だった。派手な巨大天守を見せる城ではない。だから現地で「城跡に来たのに、なんか石垣と門ばかりだな」と感じてもおかしくない。

「城=天守ドーン」を期待すると地味。 「薩摩藩の政治本部の跡」と思うと急に分かりやすい。

2. 御楼門は何? 五稜郭とは別物

目の前の巨大な門は 御楼門(ごろうもん)。

鹿児島城の表玄関で、薩摩藩で最上格の城門だった。明治6年(1873年)の火災で本丸とともに焼失し、現在の門は2020年3月に147年ぶりに復元されたもの。高さも幅も約20mあり、かなり大きい。

ここで名前が事故りやすい。

  • 御楼門:鹿児島城の正門
  • 五稜郭:北海道・函館にある星形の城郭
  • 五石橋:鹿児島の甲突川に架けられた5つの石橋

「ごろうもん」「ごりょうかく」「ごせっきょう」。

歴史の授業を忘れて現地に来ると、脳内で全部合体する。

五稜郭は戊辰戦争の最後の戦いとなった箱館戦争の舞台。鹿児島城の御楼門とはまったく別の場所、別の話である。

3. 石垣が「石工場の展示場」に見える理由

御楼門の周辺は、石垣の積み方が妙に豊富だ。

鹿児島県の石垣資料では、布積み、布崩し積み、金場取り残し積み、亀甲崩し積み、切石など、場所によって違う加工や積み方が確認できる。

「切石」は、掘り出した石を切って加工したもの、または隙間なく積むために接する面を細かく加工した石を指す。

そして現地で視線を奪うのが「亀甲」。

亀の甲羅のような形を意識した石積みである。

ここで「亀甲積み」を見た瞬間に「亀甲縛り」しか頭に浮かばなくなっても、石工は何も悪くない。

縛っていない。 積んでいる。

しかも御楼門周辺の石垣は、単なる防御壁ではなく、縁だけを一段削ったり、石の継ぎ目に漆喰を入れたりと、「見せる」ことまで意識している。

石工、急に美意識が高い。

4. 石垣の穴は何? 本当に西南戦争の弾痕なのか

ここから空気が変わる。

御楼門周辺の石垣には無数のくぼみがあり、鹿児島県の調査では、その多くが1877年の西南戦争で受けた銃弾・砲弾の痕跡とされている。くぼみの中に砲弾の破片が残るものもある。

ただし全部を1877年の傷と決めつけてはいけない。一部には第二次世界大戦時の銃撃痕も含まれることが分かっている。

さらに近くの私学校跡の石垣も、西南戦争の銃弾跡で有名だ。

つまりこの一帯は、

「昔ここで戦争がありました」

という説明板だけの場所ではない。

石そのものに撃たれた跡が残っている。

さっきまで「亀甲縛りじゃん」と笑っていた石垣が、数十メートル進むと急に戦場の現物になる。

情緒がジェットコースター。

5. 西南戦争って、そもそも何だったのか

西南戦争は1877年、西郷隆盛を中心とする薩摩側の軍と明治政府軍が戦った内戦である。

西郷は明治政府の中心人物の一人だったが、朝鮮をめぐる政策対立などから政府を離れ、鹿児島へ戻った。鹿児島では私学校が作られ、政府との緊張が強まる。

1877年1月末、私学校生徒らが政府の火薬庫を襲撃。西郷軍は北上し、熊本へ向かった。

ここがややこしい。

西郷は数年前まで「新政府を作る側」だった。 その西郷が今度は「明治政府と戦う側」になる。

幕末を人物だけで覚えると脳がバグる理由がこれ。

6. 「薩摩軍5万人 vs 政府軍6万人」をそのまま戦場人数だと思うと間違う

熊本市田原坂西南戦争資料館は、西南戦争全体での動員兵力を、

  • 薩摩軍:約5万人
  • 政府軍:約6万人
  • 合計:約11万人

としている。

しかしこれは 約7か月の戦争全体で動員された累計人数。

「開戦日に5万人と6万人が平原で向かい合っていた」という意味ではない。

ここを混ぜると、

「薩摩軍5万人いたのに、城山で300人? 4万9700人どこ行った?」

という当然の疑問が出る。

答えは、5万人が一つの部隊として300人まで削られたわけではないから。

途中参加、別部隊、戦死、負傷、捕虜、降伏、離脱、軍解散などが全部ある。

7. 戦場ごとの人数で見ると、どう減ったのか

数字は資料や「どこまでをその戦場に含めるか」で多少変わる。なので、公式資料で確認しやすい節目だけを並べる。

時期・場所 西郷・薩摩側 政府側 ポイント
1877年2月、熊本へ進軍 約13,000人 熊本城側は約4,000人 西郷側はまず大軍で北上
熊本城攻防 約9,000〜10,000人が攻城 約3,300人が籠城 城を落とせず50日以上足止め
3月、田原坂 日々・戦線で変動 増援が次々到着 最大級の激戦。単純な固定人数では表しにくい
8月15日、和田越 約3,500人 約50,000人 ここまで来ると圧倒的な兵力差
8月17日、可愛岳突破 600人余 包囲する政府軍 薩摩軍解散後も西郷について行った人々
9月、城山 約300人 約50,000人 最終局面

一番大事なのは、

約5万人 → 300人

ではなく、

開戦時の主力約1万3,000人 → 各地で戦闘・増減 → 和田越約3,500人 → 軍解散 → 600人余が包囲突破 → 城山約300人

という流れで見ること。

8月15日の和田越では、延岡市の公式説明で薩摩軍約3,500人に対して官軍約5万人。

翌日、西郷側は軍を解散する。

そこで「もう軍として終わり」となった後も、西郷について包囲を突破したのが600人余。その後鹿児島へ戻り、城山の最後は約300人となる。

戦死だけで3,500人が300人になったわけではない。

8. 死者はどのくらいだったのか

熊本市の資料では、西南戦争全体の戦死者は、

  • 薩摩軍:約6,800人
  • 政府軍:約6,900人
  • 合計:約14,000人

とされる。

両軍の戦死者数は驚くほど近い。

ここからも「薩摩軍5万人のうち4万9700人が死んで300人になった」という理解が間違いだと分かる。

死者以外に、負傷、捕虜、降伏、離脱、帰郷が大量にある。

そして政府側は国家として全国から兵力・武器・食料・船などを投入できたため、終盤まで巨大な兵力を維持できた。

薩摩側がだんだんHPを削られてパーティー人数まで減っていく横で、政府側には国家規模の補給所がある。

そりゃ終盤の人数差が壊れる。

9. 城山の「約300 vs 約5万」は本当に最後の最後

鹿児島市の公式観光案内は、城山を「約5万人の官軍が約300人となった西郷軍を囲んだ西南戦争の最終地」と説明している。

1877年9月24日午前4時ごろ、政府軍が総攻撃。

政府軍側の大山巌の日記には、午前4時に進撃を始め、午前7時過ぎには戦闘が終わったと記されている。

約3時間。

これはもう、普通の意味で「どっちが勝つか分からない決戦」ではない。

戦争そのものは事実上敗れている。 軍も一度解散している。 その後も最後まで残った人々の最終局面である。

約300人全員が同じ瞬間に戦死したわけではなく、戦死・自刃した者のほか、降伏・捕縛された者もいた。しかし部隊としてはこの日に壊滅した。

石垣の穴を見て「この威力、人に当たったら死ぬだろ」と感じるのは当然で、銃弾や砲弾、砲弾片、さらに砕けた石まで危険になる。

これは観光用の傷加工ではない。

本物の戦争の傷である。

10. 薩摩と長州、敵だったの? 仲間だったの?

ここも時系列で見ないと事故る。

長州は今の 山口県。 薩摩は主に今の 鹿児島県。 会津は主に今の 福島県。

1864年、京都で 禁門の変(蛤御門の変) が起きた。

長州軍 vs 会津・薩摩など

で戦い、長州は敗れた。

つまり薩摩と長州は一度ガチで戦っている。

ところが1866年には薩長の提携が成立。

その後、薩摩と長州は新政府側の中心となり、旧幕府側と戊辰戦争を戦う。

さらにその約9年後の1877年、西郷ら薩摩側の一部が、その明治政府と西南戦争を戦う。

流れはこう。

1864:薩摩 vs 長州 ↓ 1866:薩摩と長州が提携 ↓ 1868〜69:新政府側 vs 旧幕府側 ↓ 1877:西郷軍 vs 明治政府軍

歴史、陣営固定ゲームではない。

11. 「石橋」って何だった? 鹿児島の五石橋も別ネタ

鹿児島で「石橋」と聞いて思い出したいのは、甲突川の 五石橋。

島津家27代当主・斉興が肥後国、今の熊本県から石工の岩永三五郎を招き、玉江橋、新上橋、西田橋、高麗橋、武之橋という5つの石造アーチ橋を造らせた。

特に西田橋は鹿児島城下の表玄関で、参勤交代の通路でもあった。

1993年の大水害で新上橋と武之橋が流失。西田橋、高麗橋、玉江橋は移設保存されている。

つまり頭の中を整理すると、

  • 御楼門 → 鹿児島城の門
  • 五稜郭 → 函館の星形城郭
  • 五石橋 → 鹿児島の石橋群
  • 城山 → 西南戦争の最終地

全部「五」「城」「門」「石」が飛び交うので、初見で混ざる方が正常である。

12. 現地で何を見れば面白いのか

鹿児島城跡では、建物だけ見て「門しかない」で終わるともったいない。

見る順番はこれでいい。

  1. 御楼門を見る
    → 薩摩藩の政治本部の表玄関。

  2. 石垣の形を見る
    → 切石、布積み、亀甲崩し積みなど、加工方法が違う。

  3. 「亀甲」の文字で変な方向へ意識を持っていかれる
    → いったん戻って石を見る。

  4. 石垣のくぼみを見る
    → 西南戦争の銃弾・砲弾痕が残る。

  5. 城山を見る
    → 1877年9月、約300人まで残った西郷軍が約5万人の政府軍に包囲された最終局面につながる。

  6. 少し前の幕末まで戻す
    → 1864年には薩摩と長州が京都で戦い、1866年には組み、明治政府を作り、その後1877年には西郷がその政府と戦っている。

ここまで一本につながると、鹿児島城跡は「石工場跡みたいな場所」ではなくなる。

政治本部だった城。 147年ぶりに戻った門。 妙に美意識の高い石工。 石に残った弾痕。 最後に300人まで残った軍。

そして夜に見たら、たぶん「おばけ出そう」と思う。

幽霊が出る証拠はない。 ただし歴史の圧は強い。

参考資料(13件)

  1. 鹿児島県「よみがえった鹿児島のシンボル『御楼門』」
    https://www.pref.kagoshima.jp/af08/jaltrainee/8.html
  2. 鹿児島県「鹿児島城跡石垣マップ」
    https://www.pref.kagoshima.jp/ab24/cms/documents/kagosimajou/documents/75814_20240629111429-1.pdf
  3. 鹿児島県「西南戦争の痕跡」
    https://www.pref.kagoshima.jp/ab24/cms/documents/kagosimajou/documents/75920_20200322100025-1.pdf
  4. 鹿児島県「西南戦争」
    https://www.pref.kagoshima.jp/ab23/pr/gaiyou/rekishi/bakumatu/seinan.html
  5. 熊本市「熊本市田原坂西南戦争資料館」
    https://www.city.kumamoto.jp/kiji00316402/
  6. 熊本市「西南戦争と熊本城」
    https://www.city.kumamoto.jp/kiji00361088/3_61088_423381_up_avwcxcq1.pdf
  7. 延岡市「西南の役 和田越決戦場」
    https://www.city.nobeoka.miyazaki.jp/site/miryoku/1275.html
  8. 延岡市「西郷隆盛宿陣跡資料館」
    https://www.city.nobeoka.miyazaki.jp/site/miryoku/1241.html
  9. 鹿児島市観光ナビ「西南戦争最後の激戦地 城山で西郷を偲ぶ」
    https://www.kagoshima-yokanavi.jp/machiaruki/stroll1
  10. 国立国会図書館「西南戦争」「大山巌 1877年9月24日の日記」
    https://www.ndl.go.jp/modern/cha1/description11.html
    https://www.ndl.go.jp/nikki/citeid/ooyama_18770924/
  11. 京都市公式 京都観光Navi「蛤御門」
    https://ja.kyoto.travel/tourism/single01.php?category_id=8&tourism_id=722
  12. 函館市「五稜郭の歴史」
    https://joruri-cms.city.hakodate.hokkaido.jp/docs/2014011700789/
  13. 鹿児島市「甲突川五石橋」
    https://www.city.kagoshima.lg.jp/kyoiku/kanri/bunkazai/documents/sisekimeguri05_chuou.pdf

この記事が役に立ったら、応援できます。 応援する

広告

今日これ読んで

この記事を読んだ人の次の疑問に、それぞれ答える記事です。

すべての記事から探す

他の記事を探す

すべての記事

めんどいちゃん

このサイトの運営者

めんどいちゃん

仕事や日常の「めんどい」を構造化して、次に動きやすくする記事を書いています。