SNSで、とある成人カップルの話から妙に経済学っぽい疑問が生まれた。
吸いたい側と、吸わせたい側がいるなら、需要と供給がマッチしている。そのままでよくない?
合意した成人同士なら、その部分はかなり単純だ。
ところが「じゃあ、実際に何割くらい?」と数字を探し始めると、急に研究が歯抜けになる。
乳首刺激で興奮する割合はある。母乳を性的に想像した割合もある。パートナーの母乳を味見した男性のアンケートもある。
なのに、いちばん知りたい、
「吸いたい男性は何%で、吸わせたい女性は何%で、そのうち実際に頼み、実行し、さらにお金を払ってでもやりたい人は何%なのか」
という需要曲線はほぼ見当たらない。
性科学、そこまで聞いたならあと一問聞いてくれ。
5秒で結論
- 乳房・乳首刺激そのものは、少なくとも若年成人の研究ではかなり一般的。
- 母乳を含む性的ファンタジーも「ゼロに近い珍奇嗜好」ではなさそうだが、よく引用される31%・14%は代表性に注意が必要。
- 2005年の英国の企業アンケートでは、父親約1,690人の約3分の1がパートナーの母乳を「味見した」と報告された。ただし性癖調査ではない。
- 「卒乳から何年も経って再び乳汁が出る」は生理学的にあり得る。再授乳(relactation)は年単位の中断後でも可能とされる。
- 一方、妊娠・授乳と無関係に乳汁分泌が続くなら、薬剤、甲状腺、プロラクチン、下垂体など別原因の評価が必要な場合がある。
- ネット母乳市場は実在してきたが、細菌汚染、温度管理、混ぜ物が実測されている。
- つまり、表市場の最大の壁は「誰が買うんだ」より、誰がどう安全に売るんだである。
1. まず「需要と供給が合ってるならそのままでいい」はかなり正しい
成人同士で、片方が乳房を吸いたい。もう片方が吸われることを嫌がらず、むしろ好き。
この時点では、他人が「矯正」するような問題ではない。
性行動を市場っぽく見ると、ものすごく単純である。
- Aさん:「したい」
- Bさん:「されたい」
- 双方:「それでいこう」
取引成立。決済額0円。プラットフォーム手数料0円。
ただし、ここで一つ重要な区別がある。
「乳房を吸う」ことと、「母乳が出ること」と、「母乳そのものに性的興味があること」と、「母乳を買いたいこと」は全部別の商品だ。
研究はこのSKU分けが雑なので、数字をそのまま横滑りさせると事故る。
2. 乳房・乳首刺激はかなり普通。でもこれは「授乳プレイ率」ではない
2006年の Journal of Sexual Medicine の研究では、性的経験のある17〜29歳の大学生301人を調査した。
女性では、
- 81.5%:乳首・乳房刺激で性的興奮が起きる、または強くなる
- 59.1%:性行為中に乳首を刺激してほしいと頼んだことがある
- 7.2%:刺激で興奮が下がる
男性でも51.7%が乳首刺激で興奮が起きる・強まると答えた。
これはかなり強い。
ただし、この研究から言えるのは乳首・乳房刺激が性的レパートリーとして珍しくないというところまで。
「男性の何割が女性の乳房を口で吸いたいか」も、「女性の何割が授乳っぽい形で吸わせたいか」も直接聞いていない。
惜しい。
本当に惜しい。
301人にアンケート配った研究者、もう一枚だけ質問票を足してほしかった。
3. 母乳ファンタジーは意外といる。ただし31%をそのまま人口比にしてはいけない
性研究者Justin Lehmillerは、米国の成人4,175人を対象に性的ファンタジーを大規模に調べた。
その調査を紹介した一般向け記事では、母乳に関するファンタジーを経験したことがある割合として、男性31%、女性14%という数字が報じられている。
しかも「母乳ファンタジー」は一種類ではない。
- 飲んでみたい
- 乳房から直接飲むことを想像する
- 授乳・搾乳を見る
- 性行為中の乳汁分泌に興奮する
などが混ざる。
だから、
31%の男性が『恋人の乳房を吸いたい』わけではない。
まして、31%が「母乳を買いたい」でもない。
ファンタジーは需要の入口ではあるが、購入ボタンではない。
なお、この数字はLehmillerの大規模調査を紹介した二次資料に依存する。人口全体の精密な有病率として使うより、「思ったほどゼロではない」という方向を示すデータとして扱うのが安全だ。
4. 「3人に1人が味見」は、性癖というより『一口ちょうだい』が大量に混ざる
さらに面白い歴史データがある。
2005年、乳児用食品企業Cow & Gateが英国の男性約1,690人に行った商業アンケートについて、約3分の1がパートナーの母乳を味わったと報じられた。
この数字だけ切り抜くと、
「英国男性、3人に1人が母乳フェチ」
みたいな見出しが作れる。
でも、それはかなり雑だ。
「味見した」には、
「これどんな味なんだろ」
「飲んでみる?」
「じゃあ一口」
も全部入る。
搾ったものを指につけて舐めても、コップから一口でも、直接でも、設問次第では同じ「経験者」になる。
つまりこれは、強烈な性的嗜好というより、好奇心・親密さ・レアイベントに乗ってみる精神をかなり拾っている可能性がある。
「人生で何度あるか分からないし、せっかくだから一口」は普通にあり得る。
人間、期間限定には弱い。
5. 性研究に足りないのは『購入ファネル』である
ここまで調べると、毎回同じ壁に当たる。
研究者は、
- 興奮する?
- 想像したことある?
- 経験ある?
までは聞く。
でもマーケターが本当に知りたいのは、
fantasy → desire → willingness → request → behavior → repeat → willingness to pay
である。
日本語なら、
想像した → したい → 相手に頼める → 実際にした → またしたい → 金を払ってでもしたい
の漏斗だ。
ここが分からない。
たとえば「母乳ファンタジー31%」でも、実際には、
- 面白そう:31%
- 恋人相手なら試したい:18%
- 自分から頼める:8%
- 実際に経験:5%
- 第三者から買ってまで欲しい:0.7%
かもしれない。
数字は例であって実測ではない。問題は、こういう直接のファネル調査が足りないことだ。
市場調査、まだ伸びしろあります。
6. 「何年も前に卒乳したのに出た」は本当にあり得る
ここでSNSの話に戻る。
成人パートナーによる乳頭刺激のあと、かなり長期間授乳していなかったのに乳汁が出た、という話は、生理学的に完全な作り話とは言えない。
WHOは、いったん授乳をやめた後に乳汁分泌を再び成立させることを**relactation(再授乳)**と呼び、過去に授乳していた女性が再び乳汁を産生できることをまとめている。
現在の臨床解説でも、数週間・数か月だけでなく、年単位で乳汁を出していなかった後でも再授乳は可能とされる。
乳頭刺激は神経内分泌系を通じてプロラクチンやオキシトシンの反応に関わるので、「刺激が続けば乳汁分泌が再開する」という方向自体は不思議ではない。
ただし、ここから「母性が強いから出た」と心理診断することはできない。
さらに、妊娠・授乳と関係なく乳汁が持続する**乳汁漏出症(galactorrhea)**は別問題で、薬剤、甲状腺機能低下、プロラクチン高値、下垂体疾患などが原因になることがある。
刺激時だけ一時的に出た話と、勝手にずっと出る話は分けた方がいい。
7. では『新鮮母乳100mL 本日入荷』をやったら売れるのか
ここから急に市場設計が地獄になる。
需要はたぶんゼロではない。
成人の好奇心、性的嗜好、珍味的な興味、パートナー外での体験需要など、買う理由はいくらでも想像できる。
しかし、実際に何人が、いくらなら買うかという willingness to pay のまともな代表調査はほぼ見当たらない。
なので「絶対めちゃくちゃ売れる」は面白い仮説ではあるが、まだ市場規模推計ではない。
そして本当に販売棚を作った瞬間、ネタだった看板が、
新鮮母乳 100mL
本日入荷
要冷蔵
から、
ドナー本人確認は?
感染症検査は?
薬は?
採取容器は?
何℃で運んだ?
ロット番号は?
に変わる。
急に食品工場の朝礼になる。
8. ネット市場はすでに存在した。そして実際に混ぜ物まで起きた
日本では2015年、厚生労働省がインターネット上で母乳を売買している実態を受けて注意喚起を出した。
厚労省の会議資料では、報道された業者について、母乳風呂用などをうたい1日10件程度の購入問い合わせがあったとされる。分析では、少量の母乳に粉ミルクと水を加えた可能性が高い偽物だったとも説明されている。
海外の実測研究はさらに強い。
米国でインターネット経由で購入した人乳102検体を調べた研究では、11検体から牛DNAが検出され、そのうち10検体は少なくとも約10%の牛乳製品を混ぜたと考えられる濃度だった。
別の101検体の研究では、74%がグラム陰性菌陽性または高い一般細菌数を示した。
配送の研究では、89%が推奨される冷凍温度より高く、45%は冷蔵温度4℃より高い状態で届いていた。
ここまで来ると、闇市場の最大の問題は「変なものを買う人がいる」ではない。
買い手が中身を検証できない。
これが致命的に強い。
9. 正式な母乳バンクを見ると、供給側がなぜ重いか一発で分かる
日本母乳バンク協会では、医療上必要な乳児へ提供するドナーミルクについて、ドナーの診療・検査、HIV-1、HTLV-1、B型肝炎、C型肝炎、梅毒などの確認を行う。
提供された母乳は、
- 衛生的に採取
- 殺菌前の細菌検査
- 62.5℃で30分の低温殺菌
- 殺菌後の細菌検査
- 冷凍保存
- バッチ番号で追跡
という工程を通る。
もちろん、医療用母乳バンクの基準をそのまま成人の嗜好品市場へコピーしろという話ではない。
でも、安全な「人由来の液体」を第三者へ流通させると、どれだけ管理項目が増えるかは分かる。
だからこの市場、ボトルネックはかなり明確だ。
The bottleneck is supply.
需要が存在するかより、信頼できる供給をいくらで作れるかの方が難しい。
10. 法律と倫理は『母乳を売ったら即違法』ほど単純ではない
日本の2015年通知は、「母乳販売は一律にこの罪」と宣言する形ではなく、自治体に対して販売事業者を把握したら事業実態を確認し、必要な指導を行うよう求めている。
実際の法的扱いは、販売方法、広告、用途、食品としての提供、衛生状態など具体的な事業形態で変わり得る。
したがって「日本では母乳販売は合法」「違法」と一行で断定するのは危険だ。
倫理面では別の問題もある。
- 売り手が生活苦から過剰に搾乳するインセンティブ
- 自分の乳児に必要な分より販売を優先する可能性
- 健康状態や服薬を隠すインセンティブ
- 水や別の乳を混ぜて増量するインセンティブ
- 採取者の本人確認・プライバシー
- 性的サービスと食品販売の境界
普通の商品市場なら「需要があれば供給が増える」で済む。
人由来の液体では、供給が増えるほど逆選択とモラルハザードまで育つ。
経済学が急に本気を出してくる。
11. 本当に欲しい市場調査はこれ
もし研究費をもらえるなら、成人を対象に最低でも次を別々に聞きたい。
- 乳房を口で吸う/吸われる行為に興味があるか
- 母乳が出ない場合と、出る場合で興味は変わるか
- パートナー相手なら実行したいか
- 実際に経験したことがあるか。直接・搾乳後の味見を分ける
- 第三者由来の検査済み母乳なら購入したいか。価格別に聞く
さらに、性的興奮、親密さ、好奇心、母性的・養育的感覚、レアイベント感を分解する。
ここまでやれば初めて、
需要 → マッチング → 実行 → 再購入
が見える。
今の研究は「興味ある?」と「経験ある?」の間に巨大な穴が開いている。
市場調査部門、次回アップデートお待ちしております。
FAQ
「3人に1人が母乳を味見」は、3人に1人が母乳フェチという意味?
違う。企業アンケートの「味見経験」であり、性的動機や強い嗜好を測ったものではない。一口の好奇心も含み得る。
男性31%という数字は信じていい?
Lehmillerの4,175人調査を紹介する二次資料に基づく数字で、「母乳を含むファンタジー」の広いカテゴリである。代表性のある全国 prevalence として31%をそのまま使うのは避けた方がいい。
卒乳から何年もたって乳汁が出ることはある?
あり得る。再授乳は長期間の中断後でも可能とされる。ただし、刺激と無関係に分泌が続く場合などは医療的評価が必要なことがある。
ネットで知らない人の母乳を買って飲むのは安全?
安全性を前提にはできない。実際のネット購入研究で細菌汚染、温度管理不良、牛乳製品の混入が確認されている。 FDAも乳児については、個人やネットから直接得た未スクリーニングの人乳を推奨していない。
じゃあ市場はない?
市場の痕跡はある。むしろ問題は、需要の有無より、信頼できる供給を作るコストと制度だ。
結論
最初は「吸いたい人と吸わせたい人がいるなら、需要と供給が合ってるからそのままでいい」で終わる話だった。
調べると、そこから性科学、調査設計、内分泌、食品衛生、感染症、物流、逆選択、法規制まで全部つながった。
しかも一番おもしろいのは、肝心の市場データがまだ抜けていることだ。
乳房刺激はかなり一般的。母乳への性的好奇心も無視できない。パートナーの母乳を「一口だけ」試した人も珍しくない可能性がある。
でも、
何%が本当に吸いたい? 何%が吸わせたい? 何%が頼める? 何%が実際にやる? 何%が買う? いくらなら買う?
ここはまだ弱い。
そして仮に需要が十分あっても、商品棚に並べる瞬間、最大の問題は「誰が買うんだ」から「誰がどう安全に売るんだ」に変わる。
「一口ちょうだい」から始まって、最後はコールドチェーンとロット管理。
人間の好奇心、物流まで連れてくる。
