「昭和の会社員は、ボーナスが年16ヶ月分あったらしい」
こう聞くと、さすがに嘘っぽい。
月給30万円なら、ボーナスだけで480万円。
月給40万円なら、ボーナスだけで640万円。
そんな世界が普通にあったなら、現代の会社員から見れば完全に異世界である。
ただ、この話は完全なデマとも言い切れない。
結論から言うと、“ボーナスだけで年16ヶ月”は、昭和の一般論としてはかなり盛っている。
でも、“月給12ヶ月+賞与5ヶ月前後=年収が月給16〜17ヶ月分” という意味なら、かなり現実味がある。
そしてこの話は、あの有名なテレビCMの言葉につながる。
「24時間戦えますか。」
リゲインのキャッチコピーである。
「24時間働けますか」ではなく「24時間戦えますか」
まず、ここは少しだけ正確にしておきたい。
よく記憶の中では「24時間働けますか」と言われがちだが、リゲインの有名なキャッチコピーは、正確には「24時間戦えますか。」である。
リゲイン公式サイトによると、初代リゲインは1988年に発売された。キャッチコピーは「24時間戦えますか。」で、CMソング「黄色と黒は勇気のしるし」が大ヒットし、1989年の流行語大賞「銅賞」も受賞している。^regain
つまり、これは昭和ど真ん中というより、昭和末期から平成初期にかけての会社員文化の象徴である。
昭和63年に商品が出て、平成元年に流行語になる。
まさに、昭和型サラリーマンOSが平成に持ち越された瞬間だった。
ボーナス16ヶ月は本当なのか
では、肝心の「ボーナス年16ヶ月」は本当なのか。
統計を見ると、普通の意味での「賞与だけ16ヶ月」はかなり怪しい。
日本労働研究雑誌の論文では、製造業の年間賞与は昭和28〜30年ごろで約1.7ヶ月分とされている。昭和31年に2ヶ月を超え、昭和36年に3ヶ月超となる。^jil-bonus-early
つまり、戦後昭和の平均的な会社員が、いきなりボーナス16ヶ月だったわけではない。
ただし、高度成長期の大企業では話が変わる。
同じ論文では、大手企業の賞与・一時金の支給水準について、昭和40年、つまり1965年には年間5ヶ月を超え、昭和45年、1970年には6.1ヶ月に達したと説明されている。日経連調査の規模500人以上では、昭和40年が5ヶ月、昭和45年が6.1ヶ月、昭和48年・49年も6.1ヶ月である。^jil-bonus-large
つまり、昭和の大企業では、年間賞与5〜6ヶ月は普通にあり得た。
これは今の感覚からするとかなり強い。
ただし、ここで出てくるのは5ヶ月、6ヶ月であって、16ヶ月ではない。
16ヶ月説の正体は「年間17ヶ月賃金」っぽい
では、16ヶ月という話はどこから来たのか。
おそらく混ざっているのは、年間17ヶ月賃金という考え方である。
日本労働研究雑誌の同論文では、電機労連が一時金を年間賃金所得の一部と位置づけ、「最低でも年間5ヶ月」とし、1978年の第2次賃金政策で明記した、いわゆる「年間17ヶ月賃金」を踏襲したと説明されている。^jil-17months
これは、こういう意味である。
月給12ヶ月+賞与5ヶ月=年収17ヶ月分
つまり、ボーナスだけで17ヶ月ではない。
年収全体を、月給換算で見ると17ヶ月分になるという話である。
ここが伝言ゲームになると、
「年収が月給17ヶ月分」
↓
「ボーナス込みで17ヶ月」
↓
「ボーナスが17ヶ月」
↓
「昭和はボーナス16ヶ月」
みたいに変換される。
だから、正確に言うならこうだ。
ボーナスだけで年16ヶ月は盛り。
でも、賞与込みで年収が月給16〜17ヶ月分になる会社は本当にあった。
じゃあ16ヶ月級のボーナスは絶対になかったのか
ここは補足しておく。
「普通の昭和サラリーマンがボーナス16ヶ月」はかなり怪しい。
ただし、もっと古い時代や特定階層まで含めると、高額賞与の例はある。
日本労働研究雑誌の同論文では、大正期の王子製紙について、課長・工場長級で年間20〜24ヶ月分、係長級で10〜20ヶ月分、職員等の正社員で8〜10ヶ月分、工員は2ヶ月前後という極端な差があったと紹介している。^jil-taisho
つまり、「昔は16ヶ月級が一切なかった」とまでは言えない。
ただし、それは昭和の平均的な会社員の話ではなく、戦前・大正期の職員階層や管理職寄りの話である。
ここを混ぜると、話がかなり歪む。
昔の高額賞与エピソード。
高度成長期の大企業5〜6ヶ月賞与。
電機労連の年間17ヶ月賃金。
リゲインの「24時間戦えますか」。
このあたりが全部混ざると、ネット上では「昭和はボーナス16ヶ月だった」みたいな雑な話になる。
だから「24時間戦えますか」が成立した
ここで重要なのは、当時の会社員文化は、単なる根性論だけではなかったという点である。
今の感覚で「24時間戦えますか」と聞くと、ほぼブラック企業の標語に見える。
しかし当時は、そこに一定の交換条件があった。
大企業に入る。
長く勤める。
会社に尽くす。
残業もする。
転勤も受ける。
会社中心で生きる。
その代わりに、
賞与が厚い。
昇給する。
雇用が安定する。
家族を養える。
住宅ローンも組める。
会社が人生のインフラになる。
こういうパッケージだった。
つまり、昔の会社員OSは、
「会社に人生を預ける代わりに、会社も人生を抱える」
という設計だった。
今見ると重すぎるが、当時の人にとっては、完全な無意味労働ではなく、生活防衛と上昇のルートでもあった。
ただし、本当に働きすぎていた
もちろん、美談にしすぎるのも危ない。
当時の長時間労働は、普通にきつい。
日本労働研究雑誌の長時間労働に関する論文では、1988〜90年の人気CMとして「24時間戦えますか,ジャパニーズ・ビジネスマン」に触れたうえで、1986年から2006年まで、男性フルタイムの週労働時間は企業規模ごとに50〜54時間で20年間ほとんど変わらなかったと説明している。^jil-long-hours
さらに、週休二日が広がった代わりに平日の労働時間が長くなり、睡眠時間の減少、疲労の慢性化、過労リスクの増大も指摘されている。^jil-long-hours
つまり、「24時間戦えますか」はただの冗談ではない。
本当に、かなり戦っていた。
ただし、現代と違うのは、そこにまだ「報酬」「昇給」「雇用」「会社共同体」の見返りがあったことだ。
現代に残ると地獄になるもの
問題は、昭和型の会社員OSが、現代に中途半端に残ることだと思う。
昔の会社員OSはこうだった。
高負荷
高拘束
高賞与
昇給
雇用安定
会社が人生を抱える
しかし現代では、ここから報酬側だけが削られやすい。
高負荷
高拘束
低昇給
賞与不安定
雇用不安
責任は自己責任
これでは、ただの搾取である。
つまり問題は、「昭和はよかった」ではない。
問題は、昭和の負荷だけ残して、昭和のリターンを払わない会社である。
「24時間戦えますか」と言うなら、せめて賞与5〜6ヶ月、昇給、雇用安定、責任範囲、裁量、生活防衛までセットで出す必要がある。
そこを出さずに、根性だけ求めるなら、それはもう昭和ではない。
ただのブラック企業である。
まとめ
「昭和のボーナス年16ヶ月」は、普通に言うとかなり盛っている。
統計上、大企業の年間賞与は昭和40年代に5〜6ヶ月級まで伸びていたが、ボーナスだけで16ヶ月が一般的だったわけではない。
ただし、「月給12ヶ月+賞与5ヶ月=年収17ヶ月分」という意味なら、当時の大企業・電機・自動車・鉄鋼系ではかなり現実味がある。
そして、その報酬設計の上に、「24時間戦えますか。」という会社員文化が乗っていた。
だからこの話の本質は、
昭和はボーナスが16ヶ月あった
ではない。
本質は、
昭和末期〜平成初期には、長時間労働・会社忠誠・高賞与・昇給・雇用安定がセットになった会社員OSがあった
ということだ。
現代で見るべきなのは、「昔はよかった」ではない。
見るべきなのは、
その会社は、昭和の負荷だけ要求して、昭和のリターンを払っていないのではないか?
という点である。
「24時間戦えますか。」
現代人が返すなら、たぶんこうだ。
報酬、裁量、責任範囲、雇用安定までセットなら考えます。
根性だけなら無理です。
