エンゲージメント向上という言葉を聞くと、きれいに聞こえる。
交流を増やす。
一体感を作る。
イベントを行う。
職場の雰囲気を良くする。
たしかに、それ自体が悪いわけではない。
職場に安心感があり、仕事の範囲が明確で、日常のストレスが少なく、互いに尊重し合える状態なら、イベントや交流はプラスになるかもしれない。
でも、土台が壊れている状態でイベントを増やされても、離職しかけている側からすると、ただの追加接触でしかない。
必要なのは、交流を増やすことではなく、まず日常の被弾を減らすことだと思う。
エンゲージメントを下げているのは、イベント不足ではなく日常の摩耗
職場で人が削られる原因は、意外と大きな事件だけではない。
日々の小さな摩耗が積み重なる。
たとえば、普通に仕事をしている横で長時間の雑談や議論が続く。
集中したいのに、電話や声で何度も思考が切られる。
少し離席したいだけなのに、周囲の目や圧がある。
問い合わせ先が決まっているようなことでも、なぜか特定の人に寄ってくる。
任意のことまで、空気や同調圧で巻き込まれそうになる。
誰かが押し付けても、押し付けた側には責任が返らない。
こういう環境で「エンゲージメントを上げよう」と言われても、正直かなりズレている。
「みんなで交流しましょう」ではなく、まず「普通に仕事できる環境を作りましょう」ではないかと思う。
エンゲージメントを下げている原因が目の前にあるのに、それを見ずにイベントの話をしても、根本は変わらない。
「みんなやっているから」は、理由にならない
職場ではよく、「みんなやっているから」という理屈が出てくる。
みんな電話に出ている。
みんな我慢している。
みんな参加している。
みんな対応している。
でも、「みんなやっている」は事実確認であって、「だからあなたもやるべき」という理由にはならない。
本当に見るべきなのは、その運用が妥当かどうかだ。
誰かに負担が偏っていないか。
集中作業の邪魔になっていないか。
やる人だけが便利屋化していないか。
断る人は守られ、拾う人だけが削られる構造になっていないか。
「みんなやっているから」は、運用の正しさを証明しない。
むしろ、みんなが我慢しているなら、その我慢自体を見直すべきかもしれない。
便利屋化を防ぐのは、冷たさではなく防衛である
仕事ができる人、手が早い人、問い合わせ先を見つけられる人、状況を整理できる人には、仕事が寄りやすい。
最初は「助かる」と言われる。
次に「この人に聞けば早い」になる。
そのうち「この人が見るべき」になる。
最後には、担当でもないことまで自然に飛んでくる。
これが便利屋化だ。
便利屋化の怖いところは、本人が悪いことをしていないのに、どんどん削られていくことだ。
周囲が困っているのは分かる。
誰かが助けてほしいのも分かる。
新しい人が迷っているなら、努力は認めたい。
でも、だからといって毎回自分が抱える必要はない。
本当に必要なのは、毎回自分が呼ばれることではなく、次から誰でも対応できるルートを作ることだ。
問い合わせ先を明確にする。
手順を残す。
再発時の対応を共有する。
担当範囲を分ける。
「困ったらこの窓口へ」と見えるようにする。
助けることと、抱えることは違う。
努力していた人には「大変だったね」「調べてくれてありがとう」と言えばいい。
でも、解決は正しいルートにつなげればいい。
人を救うために、自分が毎回沈む必要はない。
リーダー像が重すぎる
リーダー研修の教材を見ると、リーダーに求められるものが重いと感じることがある。
率先してやる。
人より動く。
言動に気をつける。
信頼される。
人格が必要。
プロ意識を持つ。
全力で取り組む。
言っていること自体は、間違っていない部分もある。
でも、それをそのまま受け取ると、リーダーは「周囲の感情を受け止め続ける人」「何でも先に拾う人」「怒らない人」「全部飲み込む人」になってしまう。
それは重すぎる。
特に、感情を出した瞬間だけ切り取られる環境では、感情労働型のリーダーはかなり危ない。
本当は環境が悪い。
本当は責任範囲が曖昧。
本当は押し付けや圧がある。
それでも、こちらが一度イラついた瞬間だけを見られて、「あの人が感情的だった」と処理される。
そんな場所で、人格者として全部を受け止めるリーダーを目指すのは、かなり削られる。
自分に合うのは、感情で引っ張るリーダーではない
自分に合うリーダー像は、たぶん「人格で引っ張る人」ではない。
熱血で引っ張る。
誰よりも頑張る。
周囲の感情を受け止める。
不満を飲み込む。
人より長く働く。
そういうリーダー像は、自分にはかなり重い。
自分に合うのは、たぶん「仕組みで人を楽にするリーダー」だ。
手順化する。
台本化する。
チェックリスト化する。
問い合わせ先を整理する。
分担を見える化する。
証跡を残す。
困っている人を詰めずに、正しい解決ルートにつなぐ。
再発時に迷わないようにする。
人を感情で動かすのではなく、迷わなくても動ける形にする。
人を圧で動かすのではなく、圧をかけなくても回る仕組みにする。
これなら、リーダー的な役割でもまだ納得できる。
承認欲求というより、邪魔しないでほしい
「承認欲求」と言われると、少し違和感がある。
認められたい。
尊敬されたい。
出世したい。
上に見られたい。
そういう気持ちは、あまり強くない。
むしろ思うのは、もっと単純だ。
邪魔しないでほしい。
勝手に巻き込まないでほしい。
裁量を奪わないでほしい。
便利屋扱いしないでほしい。
任意のことを同調圧で迫らないでほしい。
普通に仕事できる環境を守ってほしい。
これは「褒められたい」ではない。
「雑に扱わないでほしい」に近い。
資料上では承認欲求に分類されるのかもしれない。
でも実感としては、承認というより尊重であり、自律性であり、境界線の話だと思う。
エンゲージメント向上の順番を間違えないでほしい
イベントや交流が悪いわけではない。
ただし、それは土台がある場合だ。
普通に仕事できる。
集中できる。
離席できる。
電話対応が偏らない。
任意のことを強制されない。
押し付けや責任転嫁が放置されない。
管理職や部署運用にも責任が返る。
動く人だけが便利屋化しない。
この土台があって、初めて交流やイベントがプラスになる。
逆に、この土台が壊れている状態で接触を増やされると、離職しかけている人にとっては負担が増えるだけになる。
仲良くなれば残る、ではない。
環境がまともなら、仲良さがプラスになる。
環境がダメなら、仲良さすら拘束になる。
エンゲージメントを上げたいなら、まず日常の被弾を減らしてほしい。
運動会の前に、普通に仕事できる環境を作ってほしい。
