平安時代の生活を調べると、現代はかなり恵まれていると感じる。
医療は弱い。
感染症で死ぬ。
栄養不足で死ぬ。
飢饉で死ぬ。
出産で死ぬ。
子どもも高確率で落ちる。
古代日本の一部の地域について、残った記録などから計算した研究では、生まれた子が平均して何年生きるかを20代後半と見積もり、5歳になる前に亡くなる子の割合も非常に高いとするものがある。ただし、これは平安時代全体で実際に数えた数字ではない。古代の限られた地域の記録と、計算のための仮定から見積もった数字として、慎重に扱う必要がある。
それでも大きな傾向として、昔は生きることそのものが、ゲームなら難しすぎる設定だった。
現代では、そこがかなり改善されている。
水は清潔。
出産時に医療へつながれる。
ワクチンがある。
抗生物質がある。
飢饉でただちに大量死する可能性は低い。
戦争に日常的に動員されていない人も多い。
では、現代の「労働がつらい」は贅沢なのか。
答えはたぶん、こうだ。
歴史的には贅沢。
でも、現代の人生設計としては無効ではない。
昔の課題は、死なないことだった。
現代の課題は、死なずに済む人生を、誰にどれだけ使われるかだ。
会社に時間を持っていかれる。
通勤で削られる。
猿会議で神経を削られる。
人の責任を、もっともらしい理由で自分へ押しつけられて消耗する。
自分の問い・創作・アプリ・記事・投資・趣味の時間が削られる。
これは、感染症や飢饉とは別の苦しさだ。
昔より安全だからといって、今の苦しさが消えるわけではない。
たとえるなら、
平安時代よりマシだから、今日の腹痛は我慢しろ
と言われても、腹痛は腹痛だ。
同じように、
昔よりマシだから、今の労働不満は黙れ
とはならない。
むしろ現代は、生存の土台があるからこそ、次の問いが出てくる。
自分の時間をどう使うか。
誰と生きるか。
どんな働き方をするか。
どこまで組織に明け渡すか。
どれくらい自由を守るか。
これは贅沢な問いではある。
でも、人間が生存を越えたら自然に出てくる問いでもある。
だから、現代の労働への違和感は、こう見た方がいい。
甘えと決めつけるより、自由を守りたい気持ちが反応していると見る。
命は守られている。
なら次は、時間と、自分の生活を自分で決める自由を守りたい。
これはかなり自然だ。
平安時代の生きる難しさを知ると、現代のありがたさは分かる。
でも、それは現代の不満を消すためではなく、現代の強みを使って、自分の自由を取り戻すために使えばいい。
医療がある。
制度がある。
文章で相談できる道具がある。
有給がある。
労働相談がある。
生活保護がある。
記事も作れる。
アプリも作れる。
この安全圏を使って、自分の脳内工房を育てる。
それが現代に生きる強みだと思う。
