人が落ちているのに、「甘え」で処理する社会
ひきこもり、休職、短期離職、若者離職、有給を取れない職場、親子の境界線問題、学校に合わない子ども、会社に適応できない人。
こうした現象を見るたびに、日本社会ではよくこう言われる。
「甘え」
「自己責任」
「最近の若者は」
「根性がない」
「努力不足」
「どこに行っても同じ」
でも、本当にそれだけなのだろうか。
もし、1人や2人が落ちているだけなら、個人の問題かもしれない。
しかし、同じような場所から大量に人が落ちているなら、それは個人の問題だけではない。
そこには、穴がある。
会社に穴がある。
学校に穴がある。
家庭に穴がある。
労働市場に穴がある。
福祉や支援に穴がある。
世代間の接続にも穴がある。
それなのに、落ちた人だけを見て「甘え」と言う。
これが、穴あき社会である。
穴あき社会とは何か
穴あき社会とは、こういう社会である。
会社・学校・家庭・制度のあちこちに穴があるのに、そこから落ちた人を「甘え」「自己責任」「最近の若者は」で処理する社会。
問題は、落ちた人だけではない。
落ちる構造がある。
落ちた後に戻りにくい構造がある。
落ちた人を責める言葉だけは豊富にある。
しかし、穴を塞ぐ仕組みは弱い。
たとえば、会社ではこうなる。
- 有給は権利なのに取りにくい
- 若者歓迎と言いながら若者を追い出す
- 教育と言いながら責任を押し付ける
- 主体性を求めるのに権限は渡さない
- 便利な人に仕事が集まる
- 休職するとキャリアに傷がつく
- 短期離職すると疑われる
- 空白期間があると不利になる
家庭ではこうなる。
- 親が心配を理由に干渉する
- 子どもの人生に境界線なく入ってくる
- 親の不安を子どもが処理する
- 「あなたのため」と言いながら本人の自由を削る
- 距離を置くと冷たいと言われる
学校ではこうなる。
- 集団適応が前提
- 朝から毎日通えることが前提
- 空気を読めることが前提
- 暗記や一斉授業に合うことが前提
- 合わない子は「問題児」「やる気がない」とされやすい
労働市場ではこうなる。
- 週5日8時間働ける人を標準にする
- 一度外れると戻りにくい
- 短時間・低負荷・段階的就労の選択肢が少ない
- 休職・空白・短期離職に厳しい
- でも人手不足とは言う
これらは全部、別々の問題に見える。
しかし根っこは似ている。
社会の穴から人が落ちているのに、落ちた本人の性格や根性の問題にする。
「甘え」は便利すぎる言葉
「甘え」という言葉は、とても便利である。
なぜなら、これを言えば、構造を見なくて済むからだ。
ひきこもり
→ 甘え
休職
→ メンタルが弱い
有給を取れない
→ 取り方が下手、空気を読め
若者が辞める
→ 最近の若者はすぐ辞める
親と距離を置く
→ 親不孝、冷たい
会社に適応できない
→ 社会人として甘い
こう言えば、会社も、学校も、家庭も、制度も変わらなくて済む。
「甘え」は、複雑な構造問題を一言で個人責任に圧縮する言葉である。
もちろん、個人要因がゼロとは言わない。
生活リズム、体力、対人不安、回避癖、メンタル不調、家庭環境、発達特性、失敗経験、就労経験不足など、個人差はある。
しかし、それだけで終わらせるのは雑すぎる。
問題は、
個人要因 × 家庭要因 × 学校要因 × 労働市場 × 会社文化 × 支援不足 × 社会設計
の複合で起きる。
それを「甘え」で片付けるのは、デバッグ放棄である。
146万人を「甘え」で説明するのは無理がある
たとえば、ひきこもりについて考える。
こども家庭庁に移管された内閣府の令和4年度「こども・若者の意識と生活に関する調査」では、15歳〜39歳、40歳〜69歳を対象に、広義のひきこもり群に関する調査が行われている。
この調査を受けた報道や支援団体の整理では、15歳〜64歳の生産年齢人口で推計約146万人、約50人に1人がひきこもり状態とされている。
ここまでの規模になると、さすがに「甘え」だけでは説明できない。
1人なら、本人の問題が大きいかもしれない。
10人なら、たまたまかもしれない。
しかし100万人を超えるなら、それは社会設計の問題として見るべきである。
週5日、1日8時間、通勤し、集団で働き、上司や同僚と関わり、空気を読み、毎日同じリズムで生活する。
この標準モデルに合わない人が大量にいるなら、
人間が壊れているのではなく、標準モデルが狭すぎる可能性
も見た方がいい。
週5日8時間OSに合わない人を、不良品扱いしていないか
厚生労働省は、法定労働時間について、使用者は原則として1日8時間、1週間40時間を超えて労働させてはいけないと説明している。
これは「最大でもここまでにしなさい」という労働者保護の基準である。
しかし現実には、週5日8時間が「標準の働き方」になっている。
この標準に合う人は、社会に乗りやすい。
合わない人は、急に難易度が上がる。
本当は、いろいろな働き方があっていい。
- 週3勤務
- 1日4〜6時間勤務
- 在宅勤務
- 段階的就労
- 低刺激の仕事
- 人間関係の薄い仕事
- 成果物ベースの仕事
- 中間就労
- 福祉と労働の間の仕事
- AIやツールを使った個人作業
しかし、社会の標準はまだかなり狭い。
「週5日8時間に耐えられないなら社会不適合」
という空気が残っている。
これはかなり危うい。
週5日8時間は、すべての人間に合う普遍的な真理ではない。
ひとつの制度設計であり、労働市場の標準形である。
標準形に合わない人が大量にいるなら、標準形の方も疑うべきである。
会社の穴:働きにくい職場を、個人の問題にする
会社の穴は分かりやすい。
たとえば、有給。
有給は労働者の権利である。
しかし、休むとネチネチされる職場がある。
年5日だけ帳尻合わせで取らせる職場がある。
休む人に「ありがとうございました」「ご迷惑おかけしました」と言わせる空気がある。
これは、権利が権利として扱われていない。
それなのに、取れない人に対して、
「もっと上手く取ればいい」
「空気を読め」
「みんな忙しいのに」
と言う。
穴を見ない。
若者離職も同じである。
会社は「若手歓迎」と言う。
でも中身は、昭和OS、教育なし、有給ネチネチ、低賃金、高干渉、古参・親族強め、意見を言うと生意気扱い。
それで若者が辞めると、
「最近の若者はすぐ辞める」
と言う。
これも穴を見ない。
本当は、若者が弱いのではなく、職場側に若者排出ベルトコンベアがついているだけかもしれない。
学校の穴:合わない子を「やる気がない」にする
学校にも穴がある。
学校は、毎日同じ時間に登校し、集団で過ごし、同じ速度で授業を受け、同じように評価される場所である。
これに合う子はいい。
しかし、刺激に弱い子、集団が苦手な子、朝が極端に弱い子、いじめや人間関係で傷ついた子、発達特性がある子、家庭に問題がある子にとっては、学校がかなり重い場所になることがある。
それでも社会は言う。
「学校くらい行け」
「みんな行っている」
「甘えるな」
「将来困るぞ」
でも、学校に穴がある可能性は見ない。
学校に合わない子を、子どもの問題だけにする。
しかし本来は、学校側にも複数のルートが必要である。
- 別室登校
- オンライン学習
- フリースクール
- 少人数教育
- ペースの違う学習
- 心理的安全性のある場所
- 家庭以外の安心基地
こうした選択肢が細いほど、落ちる子は増える。
家庭の穴:愛情の形で境界線を越える
家庭もまた、穴が見えにくい場所である。
家族だから。
親だから。
あなたのためだから。
心配だから。
こうした言葉のもとで、境界線が曖昧になることがある。
親が子どもの人生に入りすぎる。
母親が娘を支えようとして、逆に干渉になる。
親の不安を、子どもが処理する。
家族の期待を、本人の人生より優先させる。
すると、子どもは距離を置こうとする。
そこでまた言われる。
「冷たい」
「親不孝」
「家族なのに」
「心配しているだけなのに」
でも、ここでも穴を見ない。
愛情があることと、境界線を守れていることは別である。
支えることと、相手の人生に入りすぎることも別である。
家庭の穴は、優しさや心配の形で出てくるから厄介である。
福祉・支援の穴:落ちた後に戻る道が細い
穴あき社会の一番きついところは、落ちた後に戻る道が細いことだ。
休職する。
ひきこもる。
学校に行けなくなる。
短期離職する。
空白期間ができる。
メンタルを崩す。
すると、戻る時にまた壁がある。
履歴書の空白。
面接での説明。
生活リズムの再構築。
体力の回復。
人間関係への不安。
お金の不安。
家族の目。
社会の目。
本当は、戻るためには段階が必要である。
いきなり週5日8時間に戻るのではなく、
- 週1
- 週2
- 短時間
- 在宅
- 軽作業
- 人間関係の少ない仕事
- 支援付き就労
- 小さな成功体験
- 自分のペースでの回復
こういう段階が必要になる。
しかし社会は、落ちた人に対して急に通常モードを求めがちである。
これはかなり厳しい。
穴から落ちた人に、いきなり崖を登れと言っているようなものだ。
穴あき社会の怖さは、落ちた人を見て安心するところ
穴あき社会の怖さは、落ちた人を見た時に、穴ではなく本人を見るところである。
「ああはなりたくない」
「自分はちゃんとしている」
「あの人は甘えた」
「あの人は弱かった」
「あの人は努力しなかった」
こう思うと、自分は安心できる。
でも本当は、その人は自分の少し先に落ちただけかもしれない。
職場の負荷が少し増える。
人間関係が悪化する。
家族問題が起きる。
睡眠が崩れる。
メンタルが削れる。
収入が不安定になる。
支援につながれない。
条件が揃えば、誰でも落ちる可能性がある。
だから、落ちた人を笑うより、穴を塞いだ方がいい。
「個人の努力」と「社会の設計」は両方必要
ここで誤解してはいけない。
穴あき社会と言うと、
「全部社会が悪いのか」
という反論が出る。
そうではない。
個人の努力も必要である。
生活リズムを整える。
少しずつ外に出る。
相談する。
働き方を探す。
スキルをつける。
自分の特性を知る。
できる範囲で行動する。
これは大事である。
しかし、個人の努力だけでは埋まらない穴もある。
職場が休ませない。
学校が合わない。
家庭が境界線を越える。
雇用市場が空白に厳しい。
支援制度が細い。
低負荷の仕事が少ない。
社会が「普通」に合わない人を不良品扱いする。
この場合、個人だけを責めても解決しない。
必要なのは、
個人の回復努力 × 社会側の穴埋め
である。
どちらか片方では足りない。
穴を塞ぐとはどういうことか
穴を塞ぐとは、説教を増やすことではない。
「頑張れ」
「甘えるな」
「外に出ろ」
「働け」
「親の気持ちを考えろ」
「会社に合わせろ」
こういう言葉を増やしても、穴は塞がらない。
穴を塞ぐとは、選択肢を増やすことである。
会社なら、
- 有給を普通に取れる
- 短時間勤務を選べる
- 在宅勤務を選べる
- 業務範囲を明確にする
- 教育担当を置く
- 怒鳴らない
- 休職後の復帰ルートを作る
- 若者を排出する構造を直す
学校なら、
- 別室登校
- オンライン学習
- 少人数支援
- いじめ対応
- 学び直し
- 安心できる居場所
家庭なら、
- 連絡頻度を決める
- 干渉範囲を決める
- お金・恋愛・仕事への口出しを減らす
- 親の不安を子どもに処理させない
- 愛情と境界線を分ける
社会なら、
- 段階的就労
- 中間就労
- 低負荷の仕事
- 履歴書空白への過剰な不利を減らす
- 相談先へのアクセス改善
- 生活保障
- 再挑戦しやすい雇用制度
こういうものが穴埋めである。
ラベル:甘え認定で穴を隠す社会
穴あき社会の中心にあるのは、これである。
甘え認定で穴を隠す社会。
人が落ちた。
でも穴は見ない。
本人の根性を見る。
本人の性格を見る。
本人の努力不足を見る。
これでは同じことが繰り返される。
人が落ちる。
また甘えと言う。
また穴は残る。
また次の人が落ちる。
これは、デバッグしないシステムである。
ログは出ている。
エラーは出ている。
ユーザーは大量に落ちている。
でも開発側が「ユーザーの使い方が悪い」と言っている。
いや、システムを見ろ。
結論:人が落ちるなら、穴を見ろ
ひきこもりが増える。
休職が増える。
若者が辞める。
有給が取れない。
学校に行けない子がいる。
家庭から距離を置く人がいる。
会社に適応できない人がいる。
それを全部「甘え」で処理するのは無理がある。
もちろん、個人の課題はある。
でも、個人の課題だけではない。
社会には穴がある。
会社の穴。
学校の穴。
家庭の穴。
労働市場の穴。
福祉の穴。
世代間の穴。
そこから人が落ちている。
だから、必要なのは説教ではない。
穴の特定である。
穴埋めである。
落ちた人が戻れる道である。
落ちる前に支えられる仕組みである。
「甘え」と言うのは簡単だ。
でも、100万人単位で人が落ちているなら、
まず見るべきは本人の根性ではない。
穴である。
穴あき社会では、人が落ちる。
まともな社会は、落ちた人を責める前に穴を塞ぐ。
