反芻を止めようとして、「考えないようにする」と失敗しやすい。
なぜなら、脳は未処理のものを勝手に回すからである。
違和感がある。納得できない。意味が分からない。自分が悪いのか、相手がおかしいのか、構造が悪いのかが分からない。次にどう動くべきかも決まっていない。
この状態だと、脳は何度も同じ場面を再生する。
「さっきの発言は何だったんだろう」 「なぜあんな言い方をされたんだろう」 「自分が何か間違えたのか」 「いや、研修で言っていた内容と矛盾しているのでは」
こうして反芻が始まる。
最近うまくいっているのは、反芻を我慢して止めているからではない。
反芻になる前に、構造化して処理済みにしているからである。
違和感が出る。
その場で流さず保持する。
何が変なのかを分解する。
「これはリーダー論の矛盾だ」 「これは安全性を壊す発言だ」 「これは自主性を求めながら自主性を潰している」 「これは相互信頼がない状態で引っ張ろうとしている」 「これは課題形成ではなく、頭の中の正解を当てさせる儀式だ」
こうやって名前をつける。
すると脳は、「意味不明な出来事」ではなく「処理済みの構造」として保存できる。
さらに、記事にする。MDにする。転職判断に接続する。距離を取る方針に落とす。
ここまでいくと、反芻はかなり減る。
反芻とは、脳のバグではなく、未処理ログの再生である。
だから、対策は「考えるな」ではない。
考え切って、名前をつけて、外に出して、行動方針にする。
反芻をなくす訓練とは、感情を押し殺すことではなく、違和感を処理済みデータに変換することである。
