導入
『もののけ姫』を見ていると、ふと疑問になる。
乙事主はなぜ喋るのか。 モロはなぜ人間と会話できるのか。 シシ神はなぜ目の前に現れるのか。 神様って、普通はもっと見えない・触れない・認識できないものではないのか。
現代の感覚だと、神様は空の上や神社の奥にいて、直接会話したり、体当たりしてきたり、撃たれて傷ついたりする存在ではないように思える。
でも『もののけ姫』の神様は、目の前にいる。 喋る。 怒る。 血を流す。 森を歩く。 人間と交渉する。 戦争に参加する。
これは、現代的な「神様」のイメージというより、かなり日本的な「八百万の神」「山の主」「獣神」「土地の神」の発想に近い。
結論から言うと、『もののけ姫』の乙事主やモロは、キリスト教的な全知全能の神というより、
山や森に長く生き、土地や種族の力を背負った神格化された獣
として見ると分かりやすい。
そして日本の神様ワールドには、自然や動物だけでなく、人間ポジションから神になった存在もいる。ヤマトタケル、菅原道真、徳川家康、豊臣秀吉などがその例である。
つまり日本の神様図鑑には、こういうタイプが並んでいる。
- 山・海・風などの自然神
- 木・岩・川などに宿る神
- 狐・狼・猪などと結びつく動物神・獣神
- 氏神や祖先神
- ヤマトタケルのような英雄神
- 菅原道真・徳川家康・豊臣秀吉のような偉人神
乙事主は、この中で言えば「自然側・動物側の山の主」タイプ。 ヤマトタケルは「人間側の英雄が神格化された」タイプである。
『もののけ姫』の神様は西洋の絶対神ではない
まず大事なのは、『もののけ姫』の神様を、西洋的な唯一神のイメージで見ると混乱するということだ。
西洋RPGや一神教的なイメージでは、神は人間よりはるか上にいて、世界を作ったり、絶対的な力を持ったり、直接姿を見せない存在として考えられやすい。
しかし、日本的な神、つまり「カミ」はかなり広い。
神社本庁の説明では、神道の神々は、海の神、山の神、風の神など自然物や自然現象を司る神、衣食住や生業を司る神、国土開拓の神などさまざまで、その多さから八百万の神々と呼ばれる。また、国家や郷土のために尽くした偉人、祖先の御霊も神として祀られてきた。
つまり、日本的な神は、
「世界を作った一人の絶対者」
だけではない。
山にも神がいる。 海にも神がいる。 風にも神がいる。 土地にも神がいる。 祖先も神になる。 偉人も神になる。 英雄も神になる。
この感覚で見ると、『もののけ姫』の森の神々はかなり分かりやすくなる。
八百万の神とは何か
「八百万の神」とは、八百万柱の神が正確にいるという意味ではない。
「ものすごくたくさんいる」「数えきれないほどいる」という意味に近い。
神社本庁も、神道は八百万の神さまを信仰対象にするものとして、自然現象や生業、国土開拓、祖先や偉人の御霊など多様な神々を説明している。
つまり「八百万」は、現代風に言えば、
神様の分類がめちゃくちゃ多い世界観
である。
西洋RPGで例えるなら、ひとつの世界に、
- 火属性の神
- 水属性の神
- 山フィールドの神
- 海フィールドの神
- 村の守護神
- 家系の祖先神
- 英雄ユニットの神格化
- 怨霊鎮め系の神
- 職業・商売の神
が全部いる感じである。
だから乙事主のような「猪の神」「山の主」も、八百万的な発想ではそこまで変ではない。
八十神とは違う
ここで混ざりやすい言葉がある。
「八十神」である。
「日本にはたくさん神がいる」という話なら、基本的には「八百万の神」が正しい。 「八十神」は、大国主命の兄弟神たちなど、神話上の別の文脈で出てくる言葉である。
ざっくり分けるとこう。
| 言葉 | 読み | 意味 |
|---|---|---|
| 八百万の神 | やおよろずのかみ | 数えきれないほど多い神々 |
| 八十神 | やそがみ | 大国主命の兄弟神など、神話上の特定文脈 |
今回の「日本にはいろんな種類の神がいる」「乙事主はその一種っぽいのか」という話なら、見るべきは八百万の神である。
神様は本来見えないのでは?
現代感覚では、神様は見えないものという印象がある。
これはかなり自然な感覚だと思う。 神社に行っても、神様本人が歩いてくるわけではない。 木や岩や社殿、鳥居、祭り、空気感を通して「いる」と感じることが多い。
神道や民俗信仰では、神霊が木や岩、物、人、場などに宿るという考え方がある。國學院大學系の神道研究や民俗研究でも、木や自然物に神が宿る、あるいは依代として神が降りるという発想が論じられてきた。
つまり、現実寄りに言えば、
神そのものは見えない でも 神が宿る場所・物・自然・祭りを通して感じる
という形である。
では、なぜ『もののけ姫』では神様が見えるのか。
それは、作品世界ではこの発想をファンタジーとして一段階進めているからだ。
普通なら見えない神の気配が、あの森では肉体を持って目の前に出ている。
雑に言えば、
普通の神様はWi-Fiみたいに見えない。 でも『もののけ姫』の森では、ルーター本体が山から歩いて出てきている。
なぜ乙事主やモロは喋るのか
乙事主やモロが喋るのは、普通のイノシシや山犬だからではない。
彼らは、ただの動物ではなく、古い神・もののけ・森の主として描かれている。
つまり、
- 動物である
- でも単なる動物ではない
- 長く生きている
- 種族や土地を背負っている
- 神格を持っている
- 人間と対立・交渉できるほどの意思がある
という存在である。
だから喋る。
リアルな猪が突然日本語を覚えたのではない。 自然側の神格ある存在が、動物の形をしているから喋るのである。
乙事主は神様なのか
乙事主は、かなり神様枠で見てよい。
ただし、シシ神のような生命と死そのものに関わる上位存在とは少し違う。
乙事主はもっと具体的に、
- 猪神
- 猪族の長
- 山の主
- 古い自然神
- 滅びかけている神々の一柱
- 人間に追い詰められた自然側の代表
という存在に見える。
ここが面白い。
乙事主は神様だが、万能ではない。 老いている。 目も悪い。 怒る。 騙される。 傷つく。 絶望する。 タタリ神化しかける。
つまり、
神だけど、滅びかけている神
である。
この「神なのに弱っている」「神なのに人間に追い込まれる」という構造が、『もののけ姫』の怖さであり、魅力でもある。
乙事主の名前の由来
乙事主という名前については、「乙事」という地名との関係がよく言及される。
長野県には「乙事」と書いて「おっこと」と読む地名があり、地域の神社名にも残っている。宮崎駿監督が長野県周辺にゆかりを持つこともあり、乙事主という名前の連想元としてよく語られる。
名前を分解すると、かなり分かりやすい。
乙事 → 地名的な響き
主 → ヌシ、土地や群れや山の主
つまり乙事主は、
乙事のヌシ 巨大な猪神 山の主
という名前に見える。
ここでも、彼は単なるイノシシではなく、「主」として名付けられている。
なぜ神様と人間が接触できるのか
『もののけ姫』で神様が人間と接触できる理由は、いくつか考えられる。
1. 舞台が神域に近い
舞台は都会ではなく、森・山・たたら場・境界である。
人間の領域と神々の領域がぶつかっている場所だ。
神様が人間の街に遊びに来ているのではなく、人間側が神域を削って前線まで入り込んでいる。
だから接触が起きる。